伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

耳が痛い話

2014-08-03 15:17:45 | 釈尊の言葉 ダンマパダ編

この世は努力なしでも常に最善に成ると思い込み、
自分が見るものを選択せずに、
食事の節制もせずに食べ放題であり、
仕事もしない人は、
必ず悪魔に打ち負かされます。
まるで、根のはらない木々が風により自然と倒れるようにです。

この世は努力なしでは常に悪くなると思い、
自分が見るものを選択し、
食事の節制を行い、
仕事に励む人は、
必ず悪魔に打ち勝ちます。
まるで、岩山が風に揺れないようにです。
(原始仏典 ダンマパダ第1章-7・8番)

(感想)
「未来は決まっている」「あるがままに従う」「自分の自由が最善」・・・・・という精神世界の先生の間違いを、釈尊が毅然と指摘しています。
釈尊が生きた約2500年前も、現代と同じく一般人に間違いを教えて食い物にする有料先生(サンニャーシ:修行者・出家者・世捨て人)がたくさん居たのです。

先生の色欲により一般人の夫婦関係を破壊し、金銭を巻き上げ、自由と変な真理の名の下(もと)に普通の人々を食い物にしていたのです。現代でもまったく同じです。
こういう連中が常に存在するのは、もう人類のサガ・性とも言えそうです。
釈尊こそは、何度もサンニャーシたちに殺されかけながら、生き延びて真理を語った稀有なる御方だったのです。
その時に、ダマサれた人々を目覚めさせるための御言葉が、この章だと言えます。

このような文章を読みますと、堅苦しく思われるかも知れませんが、やはり自業自得(じごうじとく:自分の行いの報いを自分が受けること)の真理です。
そして悪魔とは、自浄作用のための悪いバクテリアとも言えそうです。
悪い人を掃除して行くために、
「ええ仕事しまっせ~」と似たもの同士のところに悪魔は現れているだけなのです。

これが人間は分かりませんので、悪いモノからは逃げる・避けることばかりを考えるものです。
でも真実は、自分自身が変われば良いだけなのです
そのためには、「自分の努力と自己節制を信じなさい」と、釈尊が太鼓判を押しています。
釈尊ご自身が、超努力の人でした。

もう努力なんてしたくない!と人間ならば思うこともあります。でもコノ世だけの期間限定のことなのです。
誰もが期間限定ならばと、不自由を体験してみたい、どこまで自分が出来るかを試してみたい、それでも・・・・、何とかしたい・・・・と生まれていることを感じます。

苦しい中でも前向きな人は、私は本当に美しく感じます。光り輝いて観えます。
コノ世の地獄の中だからこそ、逆に少しの光でも輝けるのではないのでしょうか。
今日も自分なりに小さくとも輝きたいものです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

コメント
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