本日、妻の七回忌法要。
義父、義弟には久し振りに会う。義弟の髪には白いものが目立つ。
生きている人は齢を重ね、亡き妻は今もあの時のままだ。
あれから6年……。
早いような短いような、複雑な期間だった。
亡くした当初は、人生でこれ程悲しいことは経験した事がないと感じ、毎晩酒におぼれ声を押し殺して泣いていた。
当時は時間の流れが遅く感じられた。それも夜がひどかった。
会社にいれば仕事をしているので、イヤでも妻の事は考えない。
でも帰宅し、娘が寝た後一人になると、時計の動きがゆっくりになる。
あの頃はかなりの量の酒を飲んでいた。がぶ飲み状態。
自暴自棄であったし、飲まないと寝られなかった。
酔い潰れて眠る為に飲んでいた。
今じゃ信じられない(笑)。
も、も、もったねぇ~
一年目は記憶が殆ど、いやまったくない。一切ない。
寒いとか暑いなんて殆ど感じなかった。
人間は良く出来ている。
想定外大きなダメージを受けると、そのダメージを少なくする為に記憶や感覚の一部を消してくれる(そうやって、充電されるのをじっと待つのだろうか)。
それでもスイッチが入ると、涙があふれた。
テレビCMで家族団らんのシーン、スーパーで買い物中にすれ違う妻と同年代の女性を見たり、『ママ』や『おかあさん』といった単語だけでも、悲しみのスイッチがパチン!と入ったものだ。
でも、あの「記憶喪失の一年」があったから、精神的にも肉体的にも耐えられたのだろう。
当時はそんなこと、全然解らなかったなぁ~。
今でも時々、そのスイッチは入る。
人によっては同様の状態を『地雷を踏む』と言う。
最近はかなり踏み慣れた模様。
『小さな地雷』だったら、踏んでも壊れなくなった。
やはり、年月のお陰だろう。
それに伴って、妻についての記憶も多少目減りし始めている。
老化現象にはちと早いが、まぁそれに近いのだろうと諦めている。
・・・「その2」へつづく
私のほうが何かと先に法要を迎え、
私が七回忌を迎えたと聞いたときは、
いわともさん的には「そんな日が来るんだろうか・・・」
だったんじゃないかと、想像します。
人のことだけど、
「そうか、いわともさんも七回忌か・・」ってなんだか、不思議な感じ。
私も1年目は記憶にもやがかかったようになっています。
彼のことも、いいようにデフォルメされてるなって思うから、
あまり人に話せなくなってきました。
それが「生きるため」に、私たちに与えられた何かなんじゃないかと、思います。
そういうことが、これからも出てくるんでしょう。
だから、生きてるって面白い気がします。
7回忌お疲れさまでした。
あ、すっごくお久しぶりでしたね、すいません。
ここのところ、急に夏日から冬に変わってしまい風邪っぽくしております。
これからは寒くなりますが、どうぞご自愛下さい。
ではまた。
コメント、ありがとう。
私はいつもチカさんの背中を見て、この道(どんな道?)を歩いてきました。
文字通り「そんな日が来るんだろうか?」でした。
当時は、今の心境・生活がまったく想像できなかった。
あれから……。
よくぞここまで来られたな、と自分を褒めて上げたい(笑)。
もちろん、感謝の気持ちを忘れたりしません。
チカさんを含む死別の仲間達、会社の同僚、幼馴染みの面々。
そして、おばあちゃん(実母)、愛娘。
デフォルメの件、チカさんらしい冷静で思慮に富む分析だ。
「生きてるって面白い」、最近はそれに近い部分は、私の中にも確かにある(気がする)。
でも、まだちょっと楽しめていないなぁ~。
現実が見えてきた分、色々と大変な部分も発生しています(笑)。
チカさんのブログにはなかなか書き込めませんが、今まで本当にありがとう。
そして、これからもよろしくね♪
コメント、ありがとう。
お久し振り! 元気でしたか?
群馬は朝晩の寒さがジワジワ、といった感じです。
赤城山や榛名山は、紅葉真っ盛りです。
「自愛」、忘れてました(笑)。
我々はなかなな眠れない事もあります。
そんなときは、暖かくして横になって身体を休ませましょう。
無理に眠らなくても……、良いですよね(笑)。
七回忌、何とか終了です。
一つの区切りと考えております。
これからの人生、見つめ直す良いチャンスかも知れません。
お疲れ様でした
一年めはそうなんですね
私にはまだ7年という月日はあまりにも遠いのですが
皆様同じ道を乗り越えて
今があるんですね
最近私も時間が少し怖くなってきました
忘れてしまうのが嫌、怖いんだと思います
コメント、ありがとうございます。
ここまでの道程、長いようで短く……。
一言では表せません。不思議な時間が流れたようです。
今は悲しみの中にいても、いつか必ず『あぁ、そんな日があったなぁ~』と思える日が来る事を信じています。
私、亡き妻の記憶は断片的です。
彼女は今頃あきれているでしょう、きっと(笑)。