スウェーデンでの暮らしも数ヶ月が過ぎた頃
おじ様とおば様が日本に行くと言うことで、私と息子の圭吾さん、そして鑑別士の人達とでお留守番することとなりました。
圭吾さんの提案で夕食作りは当番を決めてやろう!と、言ってくれたので
私一人で食事を作らなくても良くて、なんだかとても楽が出来て嬉しかったのを覚えています。
10日間位だったと思います。
みんなで海に行ったり、ディスコに行ったり、毎日のように一緒に遊んでいました。
たぶん、スウェーデンでの生活で一番楽しかった日々でした。
そんなこともあり、やっと私が圭吾さんや、鑑別士の男性とも打ち解けてきた頃
ちょっぴり酔っ払った私は、圭吾さんに
日本に帰りたい。ここでの暮らしは辛い。。。と、言ってしまいました。
圭吾さんも辛そうな顔をしていました。
『僕がちはるさんの望むようにするからもう少し頑張って欲しい』と、頼まれ
その時から、私が彼に心を開くようになったのです。
彼と出掛けることが楽しくなりました。
ウインドサーフィンも少しずつ上手になりました。
彼の友達とも積極的に親しくなるように努力しました。
おじ様もおば様も、私と圭吾さんが仲良くすることをとても喜んでいました。
でも・・・私は不安でした。
このままいったら私は、おじ様やおば様の望む通りにさせられるかもしれないと・・・
つづく・・・
おじ様とおば様が日本に行くと言うことで、私と息子の圭吾さん、そして鑑別士の人達とでお留守番することとなりました。
圭吾さんの提案で夕食作りは当番を決めてやろう!と、言ってくれたので
私一人で食事を作らなくても良くて、なんだかとても楽が出来て嬉しかったのを覚えています。
10日間位だったと思います。
みんなで海に行ったり、ディスコに行ったり、毎日のように一緒に遊んでいました。
たぶん、スウェーデンでの生活で一番楽しかった日々でした。
そんなこともあり、やっと私が圭吾さんや、鑑別士の男性とも打ち解けてきた頃
ちょっぴり酔っ払った私は、圭吾さんに
日本に帰りたい。ここでの暮らしは辛い。。。と、言ってしまいました。
圭吾さんも辛そうな顔をしていました。
『僕がちはるさんの望むようにするからもう少し頑張って欲しい』と、頼まれ
その時から、私が彼に心を開くようになったのです。
彼と出掛けることが楽しくなりました。
ウインドサーフィンも少しずつ上手になりました。
彼の友達とも積極的に親しくなるように努力しました。
おじ様もおば様も、私と圭吾さんが仲良くすることをとても喜んでいました。
でも・・・私は不安でした。
このままいったら私は、おじ様やおば様の望む通りにさせられるかもしれないと・・・
つづく・・・