日本でビザが下りなかった私は、観光ビザで入国するしか方法がありませんでした。
ですから3ヶ月ごとに他の外国に行かないといけなかったのです。
当初の約束でアメリカにいる友人とニューヨークで待ち合わせて1ヶ月かけてヨーロッパ旅行に出掛けました。
1ヶ月間はとても自由なわたしでした。
でもまたあの自由のない生活に戻るかと思うと
帰りの列車の中で吉田家が近付いて来た時、胃が痛くなるほど帰りたくありませんでした。
それくらいそこでの生活が嫌だったのです。
そして更に3ヶ月が近付いた頃
私は一人で外国への旅を決心しました。
でもそれはおじ様から大反対され、ボーナスと言うことで、娘のひろこちゃんと二人で
スペイン領土のアフリカの西の方にあるカナリアン諸島への旅行をプレゼントされました。
それは、今までの中で最も楽しくなかった旅行でした。
何故ならわたしとひろこちゃんは性格が全く合わなかったからだったのです。
たぶん、ひろこちゃんも私との旅はつまらなかったのでしょう。。。
でもなんだかんだ言っても、普通では経験出来ない事をさせてもらっていたことに対する感謝の気持ちが湧いてきたのは、それはかなり後になってからのことでした。
つづく・・・
ですから3ヶ月ごとに他の外国に行かないといけなかったのです。
当初の約束でアメリカにいる友人とニューヨークで待ち合わせて1ヶ月かけてヨーロッパ旅行に出掛けました。
1ヶ月間はとても自由なわたしでした。
でもまたあの自由のない生活に戻るかと思うと
帰りの列車の中で吉田家が近付いて来た時、胃が痛くなるほど帰りたくありませんでした。
それくらいそこでの生活が嫌だったのです。
そして更に3ヶ月が近付いた頃
私は一人で外国への旅を決心しました。
でもそれはおじ様から大反対され、ボーナスと言うことで、娘のひろこちゃんと二人で
スペイン領土のアフリカの西の方にあるカナリアン諸島への旅行をプレゼントされました。
それは、今までの中で最も楽しくなかった旅行でした。
何故ならわたしとひろこちゃんは性格が全く合わなかったからだったのです。
たぶん、ひろこちゃんも私との旅はつまらなかったのでしょう。。。
でもなんだかんだ言っても、普通では経験出来ない事をさせてもらっていたことに対する感謝の気持ちが湧いてきたのは、それはかなり後になってからのことでした。
つづく・・・