リビングライフのエッセイから。
高麗大学病院の医師たちがストライキを決め、病院を離れた時、一人の研修医、アン・スヒョンは病院に残ることを決意しました。彼は、医者は患者の側にいてこそ意味があるという信念が有り、それが神様の望んでおられることだと確信していたのです。彼は、人の目と評価を恐れませんでした。幾晩も徹夜して癌病棟を守り、夜は一人一人の患者を訪ねて、祈りをささげました。
彼はこのように言いました。「私たちにくださった福音は、私たちの弱さをかろうじて支える杖程度のものではありません。それは、いのちであり、力です。私は、机の前に『Coram Deo』という言葉を貼っています。『神の御前で』というこの言葉を読むたびに、襟を正します。畏敬の念は、私たちを神に集中させる健全な畏れです。私は、主の御前に立ち、親しみと畏れの二つの柱を軸として、私の内に生じる大小さまざまな思いや感情を静め、心と思いを主に留めます。」
万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主。(イザヤ8:13)
高麗大学病院の医師たちがストライキを決め、病院を離れた時、一人の研修医、アン・スヒョンは病院に残ることを決意しました。彼は、医者は患者の側にいてこそ意味があるという信念が有り、それが神様の望んでおられることだと確信していたのです。彼は、人の目と評価を恐れませんでした。幾晩も徹夜して癌病棟を守り、夜は一人一人の患者を訪ねて、祈りをささげました。
彼はこのように言いました。「私たちにくださった福音は、私たちの弱さをかろうじて支える杖程度のものではありません。それは、いのちであり、力です。私は、机の前に『Coram Deo』という言葉を貼っています。『神の御前で』というこの言葉を読むたびに、襟を正します。畏敬の念は、私たちを神に集中させる健全な畏れです。私は、主の御前に立ち、親しみと畏れの二つの柱を軸として、私の内に生じる大小さまざまな思いや感情を静め、心と思いを主に留めます。」
万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主。(イザヤ8:13)