きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

心(KOKORO)ごはん:「罪と罰と復活」から

2015年02月12日 | 羊の声


イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11:25)

人間の本質は「霊」にあります。「霊」とか「死後の世界」とか口にすると、教会の中であっても「」という反応を見ることがあります。しかし、現世だけでなく来世への命に繋がること、そしてその「復活」のため唯一の鍵を語っているのが聖書です。「復活」の信仰なしに、クリスチャンである意味はまったくありません。復活こそが、クリスチャンにとって信仰の源であり、クリスチャンの最大且つ唯一の特権なのです。

ヨハネ福音書には7つの奇跡が書かれています。最初はカナの婚礼での話で、そして本日の聖書箇所、ラザロの復活は7番目の奇跡です。最初の奇跡で、イエス様は水をワインに変えられました。水をワインという全く質の異なるものに変えられたのです。聖書に書かれた「新しい」という言葉には、二種類の意味のもので区別されています。一つは一般的に新しくなる意味のネオス。そして、全く異質のものに変えられるという意味の「κ α ι ν σ ζ/カイノス」。イエス様が「新しく」されるのは、いつでもこのカイノスです。ラザロの命もまた、カイノスされたのです。

聖書には「死」もまた、二種類の意味で書かれています。黙示録には、「第二の死」という言葉が4回書かれています。「第一の死」という言葉はありませんが、「第一の復活」はあります。「第二の復活」はありません。どちらの「死」も、「分離」を意味する言葉となっています。今回は他のことは一切忘れてよい、と言われたことに忠実にこのポイントをまとめて、自分のものにしたいと思いました。

第一の死:霊と肉体との分離 = 『肉体の死』
第二の死:私たちの霊と神様の霊との分離 = 『霊的死』


主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創世記2:7)

人間は、神様の息を吹き込まれて、生きる者となりました。ヘブライ語の「ルーアッハ」רוּחַは、「霊」(spirit)、「風」(wind)、「息」(breath)と訳されます。人間は、この神様の息なしに生きることはできないのです。人間の主体は、肉体でも脳が司る心でもなく、神様から直接吹き込んでいただいた息=霊なのです。そして霊は、肉体を離れても霊の世界で存在し続けます。

だから、この霊の世界での「死」が、人間にとってより重要で、より切実なのです。そこでの「死」、霊の滅びは永遠の滅びを意味するからです。この「第二の死」は、神様からの完全な断絶です。神様の恵み、存在が全くない場所なのです。私にとっては、映画What Dreams may comeのイメージが強烈です。信仰を持つ直前に観たものですが、今はコワすぎて観られない、観る気にならないのですが、ご希望があれば教会で上映会をいたしましょう。ご連絡ください。



人間は、誰一人の例外なく、死を体験します。これは意思の尊重も選択の余地もありません。しかし、コワすぎる「第二の死」については、その憂き目に遭わず、神様の霊と分離すつことなく永遠に神様の世界で生きる人がいるのです。それが、イエス様に従うクリスチャンです。つまり、この「死」は個人の選択次第で回避可能であり、行先をそれぞれが決めることができるのです。天国か地獄か。HEAVEN OR HELL。避けられないと思っていた「死」を逃れられるとしたら?それは素晴らしい良い知らせでしょ?まさにGOOD NEWS、福音なのです。

第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。(黙示録20:6)

つまり、二度生まれた人は、二度死ぬことはありません。二度生まれた人は、一度だけ死ぬのです。そして、一度生まれた人は、二度も「死」の体験をすることになります。その基準は、善行や行いではありません。基準がわからないような曖昧なもので決定されるのではなく、自らの意志による自らの決定に拠ります。天国に入るためには資格は必要ありません。ただイエス様が差し伸べられている手を取るか払いのけるか、その決定だけで、「永遠の生命」か「永遠の滅亡」のどちらかのゴールに至るのです。

主の名を呼び求める者はだれでも救われる。(ヨエル3:5、ローマ10:13、使徒2:21)

先週、優先順位についてメッセージをいただきました。人生という限られた時間の中で、優先すべき事を優先し、どうでも良いことは捨てていくことは、実に重要な作業なのです。私たちが何に時間を使っているのかということは、何に対して自分の命を使っているのかということと同じだからです。だからこそ、その選択をまだ保留にしている人は、今すぐ決定をしましょう。「人々が喜ぶレベルで話していても、救いは起こらない。語るべきは、救い、聖霊様の導き、癒し、祝福、そして死からの解放について。」と、ある牧師先生が仰っていました。その通りです。あなたの命を死に支配されたままにしないでください!そして、復活を知る私たちクリスチャンは、その希望と喜びを一人でも多くの人に与え、喜びの連鎖を作ること、これこそが、神様が与えてくださっている「使命」です。

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