今週の礼拝メッセージは「励まし」について。私の弱い部分。話を聞いていても、どうしても理詰めで説得したいという思いが先走ってしまって、ただ頷いて相槌を打つことが苦手。『情』より『論』に走ってしまっているので、自己評価はF(落第)だな。そんな礼拝アプリケーションをする私に、教会の男の子は「そんなことないよ!いつもボクは励まされているよ。」と言ってくれる。彼は励まし上手だ。その辺り、ほめることが上手な〝アメリカ人″入っている。でも素直でない私には、哀しい哉、そんな言葉が「励まし」として受け取れない。(なんて非情な!)そこで考えた、神様から来る「励まし」って何だろう?今日のローズ・ケネディさんのお証しにあった家政婦さんの言葉のように、決して甘いだけではなく、力のある「励ましの言葉」はどういうものだろう?
『情』より『論』タイプなので、早速聖書と向き合う。すると、やっぱりスゴイ!神様は必要なことを語ってくださるのだ。「励まし」という言葉は100回以上も聖書にあるそうだけど、旧約には13回しかなく、驚くことに四福音書には一度もない。旧約での使われ方を見ると、13回の内2-3は私たちが普通に考える「励まし」になっているが、約10回、つまりほとんどは「神様が励ます、あるいは神様に在って励ます」というニュアンスが見える。そう考えると、福音書に記述がないのは「励まし」そのものであるイエス様がこの地におられたからかもしれない。私個人として、スゴイ発見のようで大感動している。(で、早々にブログまで書いている。)
例えば、最初の登場の申命記3:28。モーセが神様にカナンに行かせてほしいと願ったその後。
ヨシュアを任務に就け、彼を力づけ、励ましなさい。彼はこの民の先頭に立って、お前が今見ている土地を、彼らに受け継がせるであろう。
また詩編では、すべて「主が励ます」と謳われている。
わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
主は貧しい人々を励まし 逆らう者を地に倒される。
残りの「励ます」を含む聖句から受け取るものは、「前進させる」こと。これは家政婦さんがローズさんに語った言葉も同じだ。苦しい時、悲しい時、悩む時、もちろんその問題そのものに対する対処も大切だが、その人が「それでも前に進もう」とする思いが解決の糸口になる。逆に、「このままでいい、ジッとしていよう」という思いが解放を阻むのだ。そう考えると、私の好きな『論』や批判は、解決から後退させるものになっている。人は、特に問題の渦中にある疲れた人は、わざわざ痛い目に遭う壁に向かわない。壁に背を向けるなら、それは問題から目を背けさせる結果になる。前進はない。
「前進させる」気持ちを与えるのが神様からの励まし、「金のりんご」だ。と、わかったことは嬉しいけれど、じゃあ、どうしたら?と思った時、やっぱり神様はアドバイスをくださる。神様からの「励まし」は私を前に進ませる。私もまた、「金のりんご」をいただいたのだ。「金のりんご」について調べていると、アメリカの某教会のメッセージが出てきた。(画像参照)りんご=APPLESで、励ましの言葉の性質を揚げているもの。
A:適切で
P:(神様に在って)喜ばせるもので
P:純粋で
L:美しく
E:勇気づけて
S:柔らかい言葉
うーん、むつかしいかも。まさしく「批判」は「金のりんご」にはなり得ない証拠。全部とは行かなくても、いくつかの性質を含んだ言葉を心掛けると同時にふと、昨日読んだ「頷き」についての記事を思い出す。心理学的に、頷くことは人の承認欲求を満たす効果があり、相手の話を引き出す能力がある、と書かれていて、カウンセリング現場でも、頷くことはとても大切だそうだ。メッセージ中でも、えんぢぇる師は、下手なことを言うより必要最小限の相槌と励まし、と極意を教えてくれていた。となれば、神様からの今週の課題は、「頷いて聴き、励ますこと」だ!さて、どんな実践の場が与えられるだろう?(これだけアドバイスをいただいているのだから、この後もきっとある!と確信。)この課題を心に留めて、誰かを「励ます」ことができるだろうか。結果は後日談をお待ちください。そして、私が励ますことができるように、祈ってください!
いち早く後日談を知りたい方は、ぜひ土曜日朝の家の教会にお越しください。ロサンゼルス(グレンデール)で、毎週集まっています。ランチ付!食卓を囲んで、えんじぇる師の聖書メッセージから人生の知恵と希望を分かち合いましょう。「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。あなたをおもてなしします。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI
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『情』より『論』タイプなので、早速聖書と向き合う。すると、やっぱりスゴイ!神様は必要なことを語ってくださるのだ。「励まし」という言葉は100回以上も聖書にあるそうだけど、旧約には13回しかなく、驚くことに四福音書には一度もない。旧約での使われ方を見ると、13回の内2-3は私たちが普通に考える「励まし」になっているが、約10回、つまりほとんどは「神様が励ます、あるいは神様に在って励ます」というニュアンスが見える。そう考えると、福音書に記述がないのは「励まし」そのものであるイエス様がこの地におられたからかもしれない。私個人として、スゴイ発見のようで大感動している。(で、早々にブログまで書いている。)
例えば、最初の登場の申命記3:28。モーセが神様にカナンに行かせてほしいと願ったその後。
ヨシュアを任務に就け、彼を力づけ、励ましなさい。彼はこの民の先頭に立って、お前が今見ている土地を、彼らに受け継がせるであろう。
また詩編では、すべて「主が励ます」と謳われている。
わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
主は貧しい人々を励まし 逆らう者を地に倒される。
残りの「励ます」を含む聖句から受け取るものは、「前進させる」こと。これは家政婦さんがローズさんに語った言葉も同じだ。苦しい時、悲しい時、悩む時、もちろんその問題そのものに対する対処も大切だが、その人が「それでも前に進もう」とする思いが解決の糸口になる。逆に、「このままでいい、ジッとしていよう」という思いが解放を阻むのだ。そう考えると、私の好きな『論』や批判は、解決から後退させるものになっている。人は、特に問題の渦中にある疲れた人は、わざわざ痛い目に遭う壁に向かわない。壁に背を向けるなら、それは問題から目を背けさせる結果になる。前進はない。
「前進させる」気持ちを与えるのが神様からの励まし、「金のりんご」だ。と、わかったことは嬉しいけれど、じゃあ、どうしたら?と思った時、やっぱり神様はアドバイスをくださる。神様からの「励まし」は私を前に進ませる。私もまた、「金のりんご」をいただいたのだ。「金のりんご」について調べていると、アメリカの某教会のメッセージが出てきた。(画像参照)りんご=APPLESで、励ましの言葉の性質を揚げているもの。
A:適切で
P:(神様に在って)喜ばせるもので
P:純粋で
L:美しく
E:勇気づけて
S:柔らかい言葉
うーん、むつかしいかも。まさしく「批判」は「金のりんご」にはなり得ない証拠。全部とは行かなくても、いくつかの性質を含んだ言葉を心掛けると同時にふと、昨日読んだ「頷き」についての記事を思い出す。心理学的に、頷くことは人の承認欲求を満たす効果があり、相手の話を引き出す能力がある、と書かれていて、カウンセリング現場でも、頷くことはとても大切だそうだ。メッセージ中でも、えんぢぇる師は、下手なことを言うより必要最小限の相槌と励まし、と極意を教えてくれていた。となれば、神様からの今週の課題は、「頷いて聴き、励ますこと」だ!さて、どんな実践の場が与えられるだろう?(これだけアドバイスをいただいているのだから、この後もきっとある!と確信。)この課題を心に留めて、誰かを「励ます」ことができるだろうか。結果は後日談をお待ちください。そして、私が励ますことができるように、祈ってください!
いち早く後日談を知りたい方は、ぜひ土曜日朝の家の教会にお越しください。ロサンゼルス(グレンデール)で、毎週集まっています。ランチ付!食卓を囲んで、えんじぇる師の聖書メッセージから人生の知恵と希望を分かち合いましょう。「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。あなたをおもてなしします。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI
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