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JF3TBMの無線道楽雑記帳。その他、社会随筆も不定期に掲載。明日の活力にと、スパイスの効いたサプリのような。

●近隣の『見えない戦跡』<2>。

2024年06月28日 | 町歩き

戦跡をたどるのは『今の自治体ごとに区切って』では、因果関係が見えにくいものです。昨日、紹介した松下航空機から『ここへ運んで飛ばしたのではないか?』と推察される、現在の東大阪市新庄南にある『盾津飛行場跡』へ、ご案内します。

【写真:東大阪市立盾津中学校(撮影協力)正門内に設置された飛行場跡の説明】
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◆盾津飛行場跡に関しては、取材しやすかった。
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盾津飛行場の説明書きは『盾津中学校の中』に設置されています。

池田市の事件以後、校門が閉ざされ『インターホン』で撮影許可を頂きます。

今回は、同校の教頭先生が対応して頂き、校門を開けて頂きました。

▲今は、こんな風に校門が常に閉まっています。

 

▲盾津中学校の北隣に『戦没者の慰霊塔』があります。

 左右の灯篭には『遺族會(会)』も文字が刻まれています。

▲不自然に、左カーブしているのは『飯盛山』を目指した方向に滑走路があった名残。

 

カーブを曲がると、真正面に生駒山系の山が見えます。

概ね、飯盛山の防空監視哨の方向を向いていますから、

練習機は、飯盛山を目指して離陸したのが想像できます。

 

▲かつての陸軍練兵場跡地は、戦後『機械団地』や『トラックターミナル』に。

 

軍事施設の跡地は『空襲の跡』などがなければ、

ここが『戦跡』と特定しにくいものです。

なぜなら、軍事に関しては『超機密事項』だったため、

よほどでなければ『文献』も残りませんし、

機密事項を他人や家族に話したりもできません。

 

施設だったレンガ造りの建物でも残っていたら戦跡とわかりやすいのですが。

 

▲トラック左側の奥の山が、だいたい飯盛山のあたり(ここが旧飛行場と思われる)。

 

・文献も残っていない、敗戦時に焼却処分したとも考えられる

・当時を知る人も、ほとんどいない。語り部もいない

・空襲の形跡なども、あったのかも知れないが整備されてなくなっている

 

日本の『どこの地域』も『戦跡はあるはず』です。

 

私は、仕事で盾津中学校付近の『不自然なカーブ』を走っていて、

違和感を覚えたので、約15年前に地元の方に話をうかがって、

ここに戦時中の飛行場や練兵場があったことを知りました。

城東練兵場が移設され、この地に練兵場ができたと聞きました。

残念ながら、このお話をしてくださった方も、数年前に他界されました。

 

浅学菲才を承知で、戦跡をたどる『まちあるき』は続きます。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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