OTA(Now On The Air)

JF3TBMの無線道楽雑記帳。その他、社会随筆も不定期に掲載。明日の活力にと、スパイスの効いたサプリのような。

●まちづくりって、何スかねぇ?。

2024年06月25日 | 町歩き

アマチュア無線で『記念局』というのが、しばしば出ています。ほとんどが『カードはワンウエイで送ります』とか言っています。記念局のおおかたが『市政〇〇周年記念』だとか、アナウンスしています。私は、記念局をほとんど呼びません。なんか『しらこい(しらじらしい)』というのか、記念局って、運営は大変だとは思うのですが『まち』の『本質』が『本当にわかっているのかな?』と感じるからです。『まちづくり』とかも、非常に違和感を持っています。なぜなら『すでに「まち」は「あるから」』です。私は、趣味で『まちあるき』をしますが、しばしば『まちづくり系の方ですか?』とか聞かれます。なんなん?『~系って?』とか感じます。まちづくりは『不動産屋や建設会社の仕事』ですから、私は『単に、まちを深掘りしているだけです』と答えています。

【写真:なぜ、ここに『駅』があるのか・・・も、深掘りしたらおもしろい】
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◆しつこいですが『まち』は『すでにあるもの』です。
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まちづくりの定義を知っていくと、大抵が・・・活性化を目標にしています。

 

・人づくり、とか

・コミュニティづくり、とか

・公共施設の建設、とか

・循環バスの運行、とか

・観光、祭り、イベント企画、とか・・・のことを言うようです。

 

まちは『つくる』というより『深掘り』していくものです。

 

・なぜ、ここに『まち』をつくったのか?

・最初に『まち』をつくったのは、誰?

・それが、旧石器時代なのか、縄文時代なのか、あるいは、もっと後々なのか?

 

そこに『まち』をつくった先達の思いが、必ずあるはずですね。

 

そして、その後の展開があります。

いろんなものが『結節』して『まちの原型』ができたはずです。

私は『まちの原型』の中に『まちの未来がある』と感じます。

 

ここまで、伝わっていますか?。

 

まちの原型は、その『まち』の『存在理由そのもの』です。

これが『わかることこそが大事』だと考えます。

まちは『活性化』させるようなものではなく、

そこに住む人々の生活の拠点として『安定化』させることこそが大事です。

 

・便利にしたり

・賑わいを『演出』したり

・効率化したり

・人を集めたり

 

それが最初からあったとは思えません。

 

最初にあったものは『生活そのもの』です。

さらに『その生活の安定化』です。

まちには、自然に沿った『役割』が見える『共同体』がありました。

 

そこでの生活は『交感神経』ではなく『副交感神経』が主導します。

 

・ゆるやかなふれあいがあって

・落ち着いて生きていける状況が先決です

・生活拠点としての『まち』は『活性化』ではなく

・安定した生活圏としての『維持』が最重要です

・集金システムのような『観光』は、二次的なものであるべきでしょう

 

私が行う『まちあるき』とは・・・

 

・歴史の時代区分や

・政治

・経済

・文化・・・などを『個別領域』で『切り離す』ことはしていません。

 

全体的で循環的な視点から『深掘り』すると、

まちの存在理由が、おぼろげに見えてきます。

なぜ、ここに人が集まって『まち』ができたのか・・・。

 

人は、自然と共同体によって生かされてきました。

 

かつて、それぞれの『家』には『何らかの自給自足や生産活動』があり、

その『過不足』を補うために『贈答』がありました。

安定供給が必要ならば『業(なりわい)』が『産まれ』ました。

 

それが、本来の『産業の姿』だと実感します。

 

産業の原点は自分の『役割』が見える、

『ムラ』『集落』といった『共同体』が、

基盤になっているはずです。

 

まちあるきの本質は『まちの深掘り』。

 

原型である『まちの存在理由』から出発し、

それぞれの役割が見える『共同体』を『再構築』することです。

従って、自分が生活している身近な規模での『自給自足』や、

あるいは『協同作業』や『助け合い』を『仕組むこと』です。

 

・まちの『存在理由』を知ること

・そこから『将来』『未来』を『展望する』こと

・その未来展望を『肌感覚』『五感』で感じ取ること

・素人でも、浅学菲才も承知の上で取り組んでみる

・まちを『真摯』に捉え、確かめる『ひとつの見方』

 

ここから、詳しい人に叱正や助言をいただく

 

共同体とは、煩わしさもありますが、

それに勝る『生活の律』がありました。

昭和40年(1965)頃から、

自然や共同体が次第に消えて現在に至ります。

戦時中の隣組を模した『形だけの「町内会」』はありますが、

正直なところ『あっても、なくても、どっちでもいい存在』です。

 

今の『大人の幼稚さ』や『倫理観の欠如』は、この頃から始まっています。

 

▲河内街道沿いの、お寺(大東市内)

 

なぜ、ここに『お寺があるのか?』の存在理由もあるはずですね。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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