大東市には『かつて、三洋電機の工場があった』のは、まあまあ知られています。三洋があったところは『三洋町』という地名まで付き、同社が撤退しても『三洋電機前』という交差点名が残っています。
【写真:ここが『戦跡』とは、誰も知らない】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆松下航空機跡。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
松下電器が軍需産業に駆り出されたのは、
かつて、NHKの朝ドラでも放映されていたのは、
多くの方がご存じと思います。
その一部が、現在の大東市にありました。
▲三洋電機の跡地。ここに『松下航空機』があった。
大東亜戦争当時『北河内郡』の『住道町界隈』は、
鐘紡、松下航空機、松下無線などの『軍需産業』で、
いろんな人が『徴用工』やらで従事していました。
松下航空機では『明星』という『木製飛行機』が製造されました。
木製飛行機は『敗戦色が濃くなった、資材不足』の苦肉の策でした。
本来『軽量化』すべきところ『木製』ゆえに『重量が増す』ということで、
明星の『艦載爆撃機』から『練習機』に転用された、ということです。
松下航空機から、南西に約2kmほどのところに『盾津飛行場』がありました。
おそらく、工場から盾津飛行場まで運んで、
練習機を飛ばした・・・のでしょう。
大東市の場合、戦時下の人口が少ない上に、
文献がほとんど残っていないため、
近隣の戦跡を探すのには、ちょっと苦労します。
松下無線は・・・。
航空機に搭載する通信機を製造する軍需工場の会社で、
阪奈道路の上り線『寺川』付近にあったと聞き出せました。
まだ『ウラ付け』が取れていないので『何とも言えない』のですが、
松下航空機から、現在の府道・八尾枚方線を通って、
盾津飛行場へと運んだのではないかと推察しています。
となれば、八尾枚方線は『元、軍用道路だった?』と。
八尾方面に関しては『大正飛行場(現・八尾空港)』の予備滑走路を、
のちに『府道へ転用した』という経緯もあり、
軍用道路だったのは、あながち間違ってはいないと感じます。
軍関係施設だったところは、たいていが戦後に『公営住宅』が建っています。
・松下航空機跡:三洋電機と朋来住宅
・松下無線跡:寺川住宅
・盾津飛行場横の練兵場:春宮住宅、機械団地、トラックターミナル
・鐘紡工場跡:住道駅前住宅、大東四条畷消防組合消防本部、サーティーホール、ベルパーク
大東市内には、爆撃の跡などは見つけられませんでした。
とはいえ、これだけの軍需工場があったのですから、
戦争が長引けば、空襲の危険もあったと考えられます。
ちなみに、FM大阪、FM802、NHK-FMの送信所がある『飯盛山』には、
防空監視哨の建物が、山頂に残っています。
これは『敵機来襲』を早く見つけて、
中部軍管区(現在の陸上自衛隊・中部方面隊:伊丹市)に伝達し、
大本営へ報告が上がったのだろうか・・・と考えています。
追い追いと、近隣の戦跡を紹介していきます。
毎度おおきに。ほんじゃーね!!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※記事は、表現と言論の自由に則ったエッセイで、
公人を除き、登場する個人・団体名は全て架空のものです。
※時事問題については、筆者個人の考えです。
※SNSなどの他サイトへリンクやリツイートはご遠慮ください。
※X(旧Twitter)等、拡散性の高いSNSでのコメント合戦はお断りします。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyright:(C)2024 Ota-Tadashi All Rights Reserved.
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※下記の広告は本記事とは無関係です。