物事に100%とか絶対は一部のケースを除けばあり得ないだろう。
例えば停車している車に追突した場合、追突した方の過失が100%となる。
日常、クルマ運転していて気になることがある。
駐車場から通りに出る場合、或いは小路から大通りに出る場合など
こちらの動作を察知して進路を譲ってくれた時、相手に礼の思いを込めて手を上げてそれに応える。
男同士の場合は、以心伝心、暗黙の了解でスムーズに事が運ぶ。
お互いにいい気分である。
ところが相手が女の場合は異なる。
こちらが譲ってやっても知らん顔で行ってしまう。たいへんムカつく。
すべてとは言わないが、まあ、今までの経験では100%そうだ。
こちらが大通りに右折で出ようとしてタイミングを計っている。
左側の車列がなくなったので右折しようと徐行で出かけても右から来るクルマ
男の場合、進路を譲ってくれる。
しかし、女は違う。100%知らん顔でこちらのクルマの前を通過。
辛うじてスペースが空いたので行こうとすると、間が悪く信号が変わったりして機を逸する。
前に一台分のスペースがあっても、男であれば周りの状況を見て譲る。
女にはそれがない。
まったく自分本位である。
まあ、余裕がないといえばそれまでだが。
なぜこんなことを書くか。
午前中にある医院に受診に行った帰り。
進行方向信号は赤。
左角にあるコンビニから左折のクルマが一台。
出やすいように停止して道を譲った。
左折のクルマも軽く手を上げてあいさつ。
阿吽の呼吸で、相手が譲ってくれた、こちらも譲るからどうぞ、である。
相手が女だとこうはならない。
あいさつ無しなら、ああ、女か、で終わり。
どうかすると強引に出てくるのもいる。
とにかく自分本位、だ。