『nursery』
2. この町は待機児童ゼロだ。
⇒ 言葉だけを切り取って訳す。『待機児童』だけを切り取って訳す。
よくあることだが、その誘惑に陥ってはならない。言葉とは関係性である。周りとの関係性において言葉は存在している。言葉を一人歩きさせてはならない。ある言葉は、必ず具体的な状況、文脈との関連において使われている。それを無視して言葉を切り取っても自然な英語にはならない。言葉には、必ず背景というものがある。見えない背景を『観る』。
よく日本語で『観察』という。単純に ウォッチング と同じように使われているが、『観察』とは本来『観て、察すること』である。察するのである。表面的な事柄を見ることにとどまらず、その内奥にあるものを察するのである。ウォッチングなどとはわけが違う。そして観察の『観る』は単なる、外見だけを『見る』のではなく、見えないものを観ることを指す。『観察』は本来、非常に奥深い言葉である。
コナンドイルのシャーロックホームズでは、ホームズが、相棒のワトソンに、『君はよく観察しているが、推理が足りない』というようなことを言って、たしなめる場面がある。これなども本来の意味の『観察』の話と関連しているだろう。ホームズの天才的な推理は、観察(observation) と推理(reasoning) のバランスで成り立っている。
我々も英語にする際、本当の意味で『観』察をして、本来の意味を『察して』、真に言いたいことは何かを看破する必要がある。
『察する』ことを伝統的に重んじる日本文化。古き良き日本の伝統文化に、英語熟達のヒントが隠されている。『察する』とは何か。先人の思いを考えながら、英訳も考えたい。
さて英作課題『待機児童ゼロ』である。
考える(察する?)と『待機児童ゼロ』ということは、要するに待っている人(児童、親)がいない状態。即ち足りてる状態。十分(enough)施設がある状態である。よって
・We have enough nursery schools here (in this town).
もっと簡単にmany を使って、
・We have many nursery schools in this town.
十分ある、ということは、これ以上必要(need)ないわけである。よって
・We don't need any more nursery schools in this town.
待機児童ゼロということは、近くに保育所があり、お母さんが心置きなく(心配=worry)働きに出ること。
・Mothers can go to work without worrying about their kids, because they have nursery schools nearby.
good を使ってみると、
・The city is good for working mothers, with a lot of nursery schools around.
get を使ってみると、
・Every working mother can get the nursery school services for their children in this town.
児童の立場で言うと、
・Every child can stay at nursery school while their mothers are away.
待機児童ゼロ ということは、逆から言うと、あちこちに保育所がある、ということである。よって
・We have nursery schools everywhere in this town.
英作は、着眼点が命である。
『待機児童ゼロ』と言われて、それだけを見ていても英語は出てこない。
待機児童ゼロって、そもそもどういうこと?
我々に必要なことは、少し立ち止まって考えることである。
答えは自分の中にある。
以上。
2. この町は待機児童ゼロだ。
⇒ 言葉だけを切り取って訳す。『待機児童』だけを切り取って訳す。
よくあることだが、その誘惑に陥ってはならない。言葉とは関係性である。周りとの関係性において言葉は存在している。言葉を一人歩きさせてはならない。ある言葉は、必ず具体的な状況、文脈との関連において使われている。それを無視して言葉を切り取っても自然な英語にはならない。言葉には、必ず背景というものがある。見えない背景を『観る』。
よく日本語で『観察』という。単純に ウォッチング と同じように使われているが、『観察』とは本来『観て、察すること』である。察するのである。表面的な事柄を見ることにとどまらず、その内奥にあるものを察するのである。ウォッチングなどとはわけが違う。そして観察の『観る』は単なる、外見だけを『見る』のではなく、見えないものを観ることを指す。『観察』は本来、非常に奥深い言葉である。
コナンドイルのシャーロックホームズでは、ホームズが、相棒のワトソンに、『君はよく観察しているが、推理が足りない』というようなことを言って、たしなめる場面がある。これなども本来の意味の『観察』の話と関連しているだろう。ホームズの天才的な推理は、観察(observation) と推理(reasoning) のバランスで成り立っている。
我々も英語にする際、本当の意味で『観』察をして、本来の意味を『察して』、真に言いたいことは何かを看破する必要がある。
『察する』ことを伝統的に重んじる日本文化。古き良き日本の伝統文化に、英語熟達のヒントが隠されている。『察する』とは何か。先人の思いを考えながら、英訳も考えたい。
さて英作課題『待機児童ゼロ』である。
考える(察する?)と『待機児童ゼロ』ということは、要するに待っている人(児童、親)がいない状態。即ち足りてる状態。十分(enough)施設がある状態である。よって
・We have enough nursery schools here (in this town).
もっと簡単にmany を使って、
・We have many nursery schools in this town.
十分ある、ということは、これ以上必要(need)ないわけである。よって
・We don't need any more nursery schools in this town.
待機児童ゼロということは、近くに保育所があり、お母さんが心置きなく(心配=worry)働きに出ること。
・Mothers can go to work without worrying about their kids, because they have nursery schools nearby.
good を使ってみると、
・The city is good for working mothers, with a lot of nursery schools around.
get を使ってみると、
・Every working mother can get the nursery school services for their children in this town.
児童の立場で言うと、
・Every child can stay at nursery school while their mothers are away.
待機児童ゼロ ということは、逆から言うと、あちこちに保育所がある、ということである。よって
・We have nursery schools everywhere in this town.
英作は、着眼点が命である。
『待機児童ゼロ』と言われて、それだけを見ていても英語は出てこない。
待機児童ゼロって、そもそもどういうこと?
我々に必要なことは、少し立ち止まって考えることである。
答えは自分の中にある。
以上。