法華経の中では修行者たちに対し、佛教の何かを授けるものとしては、成佛の授記と、法華経の伝授と、阿耨多羅三藐三菩提の法の屬累の3つの種類があると思います。
これら3つは各々別なものだと思いますが、この3つをどの佛も教えとして説いていると考えられるでしょう。
そして、この3つ各々には自分自身の為と他人の為という両面が各々あると思います。
ただ、佛に成る成佛授記の場合は特に佛とは他人救済の為に存在しているのでしょうから、修行者自身への自分の為に頑張ることへの指導のほうは専門ではなく面倒であると考えられるのではないでしょうか?
ですから、佛は修行者自身で心を起せと指導するルールになっているようです。
そして、修行者自身の力で修行していくために経典や七宝佛塔があると考えられますし、また、その経典や佛塔の真実へ導くために佛が教師となっていると考えて良いでしょう。
そして、経典には諸法すべての総合的な真実があるのであり、一佛ずつ独自の法とは各々に巡り会いで生ずるらしく、そのように幾つか多くの諸佛に供養して奉事することで経典の真実へ徐々に向かって成長してことになるのでしょう。
なお、阿耨多羅三藐三菩提を得れれば、それで成佛達成という意味に思えますが、その達成条件としてはそれまでに多くの種類の諸佛を供養・奉持することらしく、そして更に菩薩の道を具足することにより阿耨多羅三藐三菩提を得れるということのようですから、阿耨多羅三藐三菩提の法とはそもそも菩薩の法と考えて良いのかもしれませんね。
リンクHPへ ⇒ 第11-06日号 是の大迦旃延は當來世に於て 【授記品第六】(六十五行~七十一行)
これら3つは各々別なものだと思いますが、この3つをどの佛も教えとして説いていると考えられるでしょう。
そして、この3つ各々には自分自身の為と他人の為という両面が各々あると思います。
ただ、佛に成る成佛授記の場合は特に佛とは他人救済の為に存在しているのでしょうから、修行者自身への自分の為に頑張ることへの指導のほうは専門ではなく面倒であると考えられるのではないでしょうか?
ですから、佛は修行者自身で心を起せと指導するルールになっているようです。
そして、修行者自身の力で修行していくために経典や七宝佛塔があると考えられますし、また、その経典や佛塔の真実へ導くために佛が教師となっていると考えて良いでしょう。
そして、経典には諸法すべての総合的な真実があるのであり、一佛ずつ独自の法とは各々に巡り会いで生ずるらしく、そのように幾つか多くの諸佛に供養して奉事することで経典の真実へ徐々に向かって成長してことになるのでしょう。
なお、阿耨多羅三藐三菩提を得れれば、それで成佛達成という意味に思えますが、その達成条件としてはそれまでに多くの種類の諸佛を供養・奉持することらしく、そして更に菩薩の道を具足することにより阿耨多羅三藐三菩提を得れるということのようですから、阿耨多羅三藐三菩提の法とはそもそも菩薩の法と考えて良いのかもしれませんね。
リンクHPへ ⇒ 第11-06日号 是の大迦旃延は當來世に於て 【授記品第六】(六十五行~七十一行)
