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旧都シラテスは歴史の町だった。
第二夫人の親戚を重用したことでスキャンダルをねつ造されたギー十八世が、傭兵あがりの大臣、カジミール・ダントスと戦った町だ。
実際は、ギー十八世が閨で寵姫にたのまれてその人物を抜擢したのではなく、単純に人物がすばらしかったので、重責を伴う仕事をまかせてみただけだ、というのが今の通説になっている。閨閥というには、一人だけが重用されているのでは、数が少なすぎるのだ。それにその第二夫人は、臣籍と言えど、王家の血流を引く名家の出だった。王の寵愛をいいことに、傍若無人にふるまった形跡もない。
ギー十八世は、スキャンダルに汚されてはいるが、かなりの良君だったと言われている。父である先王の時代、人頭税をとったりなどして、人民を苦しめた政治を根底から改めようとしていた。財政をたてなおすために質素を奨励するなどのこともしていた。よい人物を抜擢するのも、そのための良策だったと言ってよい。
しかし、後宮に入り浸り、国に財政危機をもたらした先王の不徳は、ギー十八世にも響いていた。カジミールがねつ造した閨閥のスキャンダルを、人民はあっけなく信じた。
騒乱は十三世紀に起こった。スキャンダルをねたに地方の大貴族を味方につけたカジミールは、三万騎を率いて旧都シラテスに襲い掛かった。対するギーの軍勢は、先王の失政の影響から離反者が続出し、一万騎に満たなかった。
王統の凋落は明らかだった。勝敗は戦う前から見えていた。早朝に火ぶたを切った戦乱は、夕方にはもうケリがついた。圧倒的不利を悟ったギーは、数少ない味方の軍勢を引き連れて、復讐を誓いながらシラテスの王宮を逃れ、トレガドの別宮に逃げた。
勝利を手にしたことを確信したカジミールは、堂々と王宮に入り込み、玉座につく前に、その背後にかけてあった王家の紋が入った旗を、一刀両断に切り裂き、王家の墜落と自らの即位を宣言した。
これをシラテスの乱、あるいは断旗の乱という。
アマトリア人なら、誰もが知っている歴史的事件だ。中世史のテストには必ず出てくる問題だが、答えられないやつは滅多にいない。
(つづく)