朱と群青

日々の思いを、時々趣味の絵をアップしながら書き綴っています。

あの日から10日経ちました。

2016年04月25日 | 日常

最初の地震から10日振りにPCのやっと電源を入れる気持になれました。

 

我が家の被害は、瓦が数枚落ちて駐車場の屋根を破った程度で、建物は見かけ上はどうにか大丈夫でした。

しかし、家の中は大変な状態で、食器棚は倒れて中の食器は半数以上が壊れて、本棚も中のものは部屋中に飛び散り

また、何時揺れて同じ状況になるか知れませんので、危険な物だけを取り除いてそのまま片付けはしていません。

 

10日前、1回目の地震で収まったと思って安心していたのですが、其処からが本当の悪夢の始まりだったのです。

その時、深夜酷い揺れで飛び起き、本当に家が壊れるかと思い慌てました。

貴重品も何も持たず、着の身着のまま、ダウンだけを羽織って近くのスーパーの駐車場に避難しました。

かなりの人がそこに集まっていて、余震の揺れが来るたびに悲鳴と携帯の緊急地震警報が一斉に鳴り響くのが

異様でした。

次第に駐車場は避難の乗用車が集まるようになり、私たちも車を自宅から移動させ、車中泊で夜を過ごしました。

 

何度もの酷い余震が続く夜が明けると、かなり広い駐車場は車で満杯になっていました。夜は、揺れが怖いので、

家には帰らず、その場所での車中泊が6日間続きました。

その間困ったのは飲み水の確保で、水道は断水が続いたので、近くの小学校で2時間程度並んで給水して頂きました。

食事は、近くにコンビニがあり1回目の地震で何もかも売り切れていて、翌日来るかどうか分からない店の商品の

配送車を待って、数時間並びました。コンビニの店員は「一睡もしていません」と言っていました。

 

そんな状態が3日ほど続き、やっと水道がチョロチョロ程度に出るまで回復し、5日目に自宅に帰りました。

近所の家では屋根瓦がかなり落ちている所があり、酷いところは駐車場の高級外車が落ちてきた瓦で

ボコボコニなり無残な状況になっていました。

ニュースで知ったのですが、震源地近くの方々は大変な被害を受けられ、その状況はお察し致します。

 

 

 

10日経った今も余震が続き、いつ又大きな揺れが来るかと思うと、小さな揺れでも恐怖が収まりません。

連日、テレビでは震源地近くで被害の酷かった益城町や南阿蘇の報道をしていますが、市内でもかなり

被害を受けている所もあり、被害は広範囲で復旧には永い年月がかかるかも知れません。

 

故郷の誇りであった熊本城は壊滅的な損害を受け、きれいな湧水池の水前寺は地震が原因で枯渇し、自然がきれいで

毎月のようにドライブしていた南阿蘇は橋が崩壊、トンネルも崩落しアクセスが出来なくなり、思えば気持も沈みます。

 

地震後、皆さんから見舞いの電話やメールを頂き、本当にありがとうございました。

元の状態に回復するまで永い永い年月がかかるでしょうが、希望を持って暮らして生きたいと思っています。

 

 

 

 

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