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使徒聖アンデレについて

2018-12-01 10:02:04 | 聖研
使徒聖アンデレについて
今日は聖アンデレの日なので、アンデレについて一言、紹介しておく。共観福音書においてアンデレの名前は、マタイで2回(4:14、10:2)、マルコで4回(1:16、1:29、3:18、13:3)、ルカはたった1回のみ(6:14)で、そのほとんどがペトロの弟として紹介されている。そのうち、マルコ13:3ではペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人にアンデレが加えられている。通常ははじめの3人だけがイエスの主要な弟子として述べられているだけであるが、なぜかここにはアンデレが加えられている。遠藤周作も『イエスと12弟子』(新潮社)で「アンデレはペトロの弟である。『一番弟子』ペトロの影にかくれて、アンデレの話はあまりのこっていない」という。上に見た通り、共観福音書においてアンデレは影にかくれている。
ところがヨハネ福音書においては事情は異なる。最初にイエスの弟子になった2人の弟子のひとりで、もう一人の方は匿名化されている。(匿名化されている弟子については「ヨハネ」であろうと推測されているが確証はない)。つまり、アンデレはイエスの最初の弟子であり、彼によってフィリポが弟子に加わり、フィリポによってナタナエルが弟子団に参加した。その意味ではアンデレは弟子集団の形成の核になった人物である。ついでに、ひとこと付け加えておくと、ペトロはアンデレの兄としてイエスに出会ったとされるが、その記述(ヨハネ1:41~42)は、前後の文脈から完全に浮いており、いかにも後から付け加えたものと思われる。
その後、イエスの初期の活動のクライマックスである、パンの奇跡の場面では、イエスがフィリポに「この人たちに食べさせるにはどこでパンを買えばいいだろう」と問いかけ、フィリポがそれに応えているが、その側にアンデレがいたらしく、「ここに大麦のパン五つと、魚二匹とをもっている少年がいます」(6:9)と言ったのはアンデレである。この場面ではペトロの姿は見えず、フィリポとアンデレとが中心的役割を担っている。
さらに、イエスがいよいよ十字架へ近づいた最後の頃、ギリシャ人がイエスに会いに来ている場面では、ギリシャ人は何故かフィリポにイエスの取り次ぎを願い出ている(12:22)。そのとき、フィリポはアンデレに相談している。ここはかなり緊張する場面で、イエスはユダヤ人から命を狙われている状況で、うかつに知らない者をイエスに会わす訳にはいかない。だから、よほど信頼できる人と相談すべき場面であるが、フィリポはアンデレに相談している。要するにアンデレは弟子集団の中での官房長官か幹事長の立場に立っているかのようである。ここにもペトロは登場しない。
このように見え来ると、アンデレは決して「影の人物」ではない。もし「影」としたら、それは「イエスの影」「イエスを背後から守っている弟子」という役どころである。
4つの福音書では、ヨハネは3対1で、どうしても無視されがちではあるが、共観福音書はほとんど一つであるから、ヨハネ福音書対共観福音書としてみたら、アンデレの見方がかなり違ってくるのではないだろうか。(2016.11.30)

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