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原本ヨハネ福音書研究より抜粋(第12章)

2017-04-10 09:54:43 | 聖研
原本ヨハネ福音書研究より抜粋(第12章)

1.ヨハネ福音書12章に入る前に

松村克己は第12章の冒頭で次のように総括的に論じている。少し長いが、非常に興味深いので全文を書き写しておく。文章は文屋によって現代文に書き改められている。
<以下、松村克己『ヨハネ福音書』からの引用>
この章の構成は非常に興味深い。13章から始まる苦難史の序曲として、ここではエルサレム入城のことが語られるが、共観福音書と違ってこれを3つの異なった物語でその意味を明確にしょうとしている。共観福音書が記しているエルサレム入城の物語は恐らく事実であったと考えられ、群衆が歓呼してイエスをキリストとして迎えイエスはまた彼らと異なる意味でではあるが、この歓迎を受けて民衆の待望・期待に応えている。本書ではそれを第2の部分(Jh.12:9~19)に採録している。
本書の特徴はその前後に2つの物語を配置していることである。第1は、その材料を共観福音書から取り出し、異なる意義を与え、イエスの真の意義を知らないユダヤの群衆の外面的歓呼に対して、イエスの内面に深く分け入った一人の弟子の溢るる思いをこめた一つの行為を描いている。それをイエスがどれ程喜ばれたのかということを伝えている。それは12人の側近の弟子の一人ではなく、直弟子とは対蹠的な一人の女性である。ヨハネ福音書がルカ福音書を重視していることは随所に窺われるが、罪ある女をベタニヤのマリヤ、マグダラのマリヤと同一視する根拠はない。
第3の部分(Jh.12:20~36)は、ギリシャ人がイエスに会うために来たという記事である。将来、世界の救い主として顕われことを予表しているかのように見える。ここではギリシャ人は間もなく消されるイエスの最後の叫びを聞こうとしている。イエスはギリシャ人の来訪を喜び、異常に感動しているようである。それはこの出来事の中に非ユダヤ人の世界にまでおよぶ信仰と救いの萌芽を見たからであろう。苦労の結果が失敗であるかのように思われる、この時、それが決して無駄ではなかった思わされる出来事であった。それで、前に進むことを決意する。なお、エウセビオスは、メソポタミヤのエデッサの王、アブガラスという人物がイエスに使いを送り、イエスを招いたという一つの物語をその「教会史」の中に伝えているが、それは恐らくこの物語からヒントを得た伝説であろう。
以上が第1部で、ここでイエスは群衆の前から身を隠し公開の場に現れず、側近の弟子たちだけに最後の教えを遺言のように、たたき込むことに専念する。そして、第2部(Jh.12:37~50)は、著者自身が書いたことを読み返し、イエスの活動の跡を回顧しつつ信と不信との対立の事実を読者に印象づけようとしている。従って、第12章の第2部は、同時にこの福音書の全体の第2部の始まりでもある。つまり、この章全体が、福音書全体の第1部から第2部への渡り廊下のようなものである。
<以上引用>

つまり松村はヨハネ福音書全体を二つに分け、12章の36節までを第1部とし、37節以下を第2部とする。興味深い分け方である。

2.ナルドの香油

ラザロが甦って墓から出てきたという事件は、直ちにユダヤ共同体当局に伝えられ、深刻な問題として捉えられ、重大な決議がなされた。それに対応するイエス側においてもそれなりの対応がなされた。それがここで述べられる「ナルドの香油」という出来事である。

<テキスト12:1~11> 
語り手:過越の祭の6日前(安息の規定があけた土曜日の夕)、イエスは動き始めました。まず、死人の中から甦らせたラザロの住むベタニア村に姿を現しました。マルタ、マリア、ラザロの3人はイエスのために宴会を開きました。マルタは得意の料理の腕をふるい、ラザロはイエスの側で接待していました。その時、そこにマリアが高価な本物のナルドの香油を1リトラ(約326グラム)持ってきて、イエスの足に塗り、自分の髪の毛でぬぐいました。家は香油の香りが満ちました。それを見ていたイエスの弟子の一人であるイスカリオテのユダ(後にイエスを裏切ることになる)が言いました。

ユダ:何という無駄なことを、この香油を300デナリ(労働者の1年分の賃金に相当する)で売って、貧しい人たちに施せば、いいものを。

語り手:彼がこんなことを言ったのは、貧しい人たちのことを考えていたのではなく、彼はイエスから預かっていた財布の中から私用にくすねていたのです。それを見ていたイエスが言ました。

イエス:この人がしていることを邪魔してはいけないな。この香油は私の埋葬の日のために彼女が貯めていたものなのです。貧しい人たちはいつでもあなた方の近くにいて、施しをしようと思えば自由に出来るではありませんか。だが私はあなた方の側に何時までもいるわけではありません。

語り手:イエスがベタニア村に姿を現したということを聞きつけた大勢のユダヤ人たちがやって来ました。それは勿論イエスを一目見るというだけではなく、死んで甦ったというラザロを見るためでもありました。ラザロの評判を聞いた祭司長たちはラザロも生かしておく訳にはいかないと決議しました。なぜなら多くのユダヤ人たちがラザロのことで、イエスを信じるようになったからです。

<以上>

先ず、ベタニア村のマルタ、マリア、ラザロがイエスへの感謝の気持ちで一つの宴会が催された。エルサレムから遠く離れたエフライムに身を隠していたイエスと弟子たちの一行も招きに応じてベタニア村まで出てきた。宴会には彼らの他にもかなりの人たちが招かれていたようである。その祝いの席に、マリアが高価なナルドの油の壺を抱えて登場し、「イエスの足に塗り、自分の髪の毛でぬぐいました」。これはイエスに対する最高の歓迎と感謝の気持ちの表れでした。「家は香油の香りが満ちました」。このためにはかなりの量が消費されたでしょう。それを見ていたイエスの弟子の一人イスカリオテのユダは、この非常に贅沢な行為を冷ややかに批判した。「何という無駄なことを、この香油を300デナリ(労働者の1年分の賃金に相当する)で売って、貧しい人たちに施せば、いいものを」(Jh.11:5)。この贅沢をイエスが喜ぶはずがない。これだけの費用を貧し人に施すことこそ、イエスが喜ぶことであろうというのが、ユダの本当の気持ちであったであろう。通常ならイエスもユダの言葉を認めたことであろう。しかし、ここは違う。あるいは「時」は違う。ラザロの甦りと引き替えのように、イエスの処刑がもう既に決定されているのである。つまり「今」のイエスは「死」を宣告された者として、ここにいる。このことをどれだけの人が知っていたのかは著者も何も言わないけれど、イエスは知っていた。今日の、この宴会は、ユダヤ人共同体側の死刑宣告とパラレルになっている。だから、次のイエスの言葉がある。「この人がしていることを邪魔してはいけないな。この香油は私の埋葬の日のために彼女が貯めていたものなのです。貧しい人たちはいつでもあなた方の近くにいて、施しをしようと思えば自由に出来るではありませんか。だが私はあなた方の側に何時までもいるわけではありません」。
このエピソード自体は共観福音書でも見られる。Mk.14:3~6およびMt.26:6~13では「ベタニアのシモンの家」での出来事とされている。Lk.7:36~50ではもっと早い時期の出来事で「ファリサイ派の人の家」での「罪ある女」の出来事とされている。伝説では彼女をイエスによって救われたマグダラのマリヤだとしている。おそらくこれらの伝承をヨハネは一つにまとめてここに置いたのであろうと思われる。著者がこれをここに置いたのは明らかにユダヤ当局側の「死刑宣告」と対応するベタニア村での出来事である。ベタニアとエルサレム、その間はたった3キロ程(15スタディオン)で、ベタニアはエルサレムの一部のようであって、エルサレムの外である。エルサレムは城壁に囲まれた町であるが、ベタニアは城壁の外の村である。ルカ福音書によれば、イエスの最後の1週間、昼間はエルサレム城内で活躍し、夜になると「出て行って、外ですごした」(Lk.21:37)とされる。その意味ではベタニアはエルサレムに対するイエスの拠点でもあったように思われる。それを示しているのが次の語り手の解説である。「イエスがベタニア村に姿を現したということを聞きつけた大勢のユダヤ人たちがやって来ました。それは勿論イエスを一目見るというだけではなく、死んで甦ったというラザロを見るためでもありました。ラザロの評判を聞いた祭司長たちはラザロも生かしておく訳にはいかないと決議しました。なぜなら多くのユダヤ人たちがラザロのことで、イエスを信じるようになったからです」(Jh.12:9~11)。つまり、この出来事を通して「ベタニア」と「エルサレム」との対立関係が鮮明になった。ベタニアは復活したラザロの村であり、イエスが「私が復活であり、生命なんです」と宣言した場所であり、エルサレムはイエスとラザロに死刑を宣告した町である。

3.エルサレム入城

マルコ福音書によると、イエスのエルサレム入城は11章で語られ、ベタニアでのナルドの香油の出来事は14章で述べられている。マタイではエルサレム入城は21章で、ベタニアの出来事は26章で述べられている。ヨハネでは、ベタニアでの出来事があって、その次に「エルサレム入城」の出来事がある。この順序には大きな意味がある。ヨハネ福音書ではベタニアとエルサレムとの対立構造が明白になった後のエルサレム入城である。

<テキスト12:12~19> 
語り手:その翌日、つまり過越の祭の5日前(日曜日)のことです。祭のために各地からエルサレムに来ていた大勢の人々は、イエスがエルサレムに来られるということを聞き、町の城門の近くで、椰子の葉を手にして待ち構えています。そこに小さなロバに乗ったイエスが弟子たちを従えてやって来ました。人々は手に手に椰子の葉を振りかざし、叫び、歌い、イエスを歓迎いたしました。

群衆:ホサナ、主の名において来られた方に祝福あれ。そしてイスラエルの王に。

語り手:人々は聖書の言葉「恐れるな、シオンの娘よ。見よ、汝の王が来たる、驢馬の子に乗って」という情景を思い起こしたのでしょう。群衆の中にはラザロを墓から呼び出し、死人を甦らせた時、その現場で見ていた人々も居り、彼らがその時のことを話回っていたので、イエスを一目見ようと思って出迎えた人々もいたようです。しかし弟子たちはこの歓迎が何を意味しているのか分からなかったようです。しかし後にイエスが復活されたとき、この時のことを思い出したとのことです。
他方、この様子を見ていたファリサイ派の人々は「もう、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ってしまった」と語り合っていました。

<以上>

城門近くではイエスがエルサレムに入って来るというので、多くの人たちが待ち構えていた。大勢の群衆が集まった理由としてラザロの事件があったことを明白に述べている。

4.ギリシャ人の来訪

ギリシャ人の訪問の記事はヨハネ福音書だけが伝えている出来事である。しかも、この出来事はイエスの生涯において決定的な重要性を持つものとして描かれている。ここは2つのシーンに分けられる。

シーン1 ギリシャ人たちの来訪

<テキスト12:20~22>
語り手:さて、過越の祭にはいろいろな人たちが、全国各地からやって来ます。中には外国人もいます。これらの外国人はユダヤ人の生き方や聖書に興味を持ち、ユダヤ人たちの礼拝に参加している人たちもいます。ここにイエスに会いたいというギリシャ人たちがいました。彼らもイエスの噂を聞いて会いたいと思ったのでしょう。どういう理由か分かりませんが、彼らはガリラヤのベッサイダ出身のフィリポを訪ねて、イエスへの取り次ぎを頼みました。

ギリシャ人たち:お忙しいところ、お願いがあります。私たちは過越の祭のために来た旅人ですが、この機会にぜひイエス様にお会いしたいのでお取り次ぎいただけるでしょうか。

語り手:フィリポはギリシャ人たちの申し出を、どうするべきか考えます。時が時ですし、イエスに何か害でも及ばないかと心配して、アンデレに相談いたしました。その結果、取りあえずイエスに相談した方がいいだろうということで、2人でイエスに話しました。それを聞くとイエスは非常に驚いた様子で、緊張し、独白します。

<以上>

ギリシャ人たちが来訪し、フィリポに取り次ぎを願う。フィリポはアンデレと相談してイエスに報告する。この重要な場面でペトロは登場しない。
その頃イエスとユダヤ人当局との対立がかなり鮮明になり、ユダヤ人たちはイエスを捉えようと手配をしていた。そこに堂々とユダヤ人たちの本拠地エルサレムに入城して来たイエス一行は、何時、何処からテロリストが現れても不思議ではなかった。その意味では、イエスの弟子たちも厳重にイエスの身の安全を守るために神経を尖らせていたことであろう。そこに見も知らない外国人がイエスとの面会を求めて来たのであるから、めったにイエスに会わせるわけにはいかない。ここには二つの問題がある。

(1) 何故、このギリシャ人たちはフィリポを訪ねたのだろうか。ここでわざわざ「ベッサイダ出身の」と言っているので、ベッサイダ関係の紹介状でもあったのかも知れない。フィリポの名前が最初に出てくるのは弟子入りの場面(Jh.1:43~48)で、ここではイエスから直接声をかけられた弟子として描かれ、その直後にイエスを友人ナタナエルを紹介している。そこでフィリポはアンデレとペトロと同じベッサイダ出身だと紹介されている。次に登場するのが5000人の給食の場面で、イエスはフィリポに「この人たちを満腹にするためにはどれぐらいパンが必要かな」(Jh.6:5)と訊ねている。これらを考え合わせると弟子集団の中ではかなり重視されているようである。イエスと弟子たちとの動きを見ているとかなり活発な弟子と思われたのであろう。また、この重要問題をフィリポはペトロに相談せずにアンデレに相談している。二人の関係はかなり緊密であったことが伺える。

(2) ここに登場する「ギリシャ人たち」とは一体どういう人たちであったのだろうか。ヨハネ福音書では「ギリシャ人」は三回用いられている。その内、JH.7:35では「ギリシャ人のディアスポラに行ってギリシャ人に教える」というような使い方で二回用いられている。ここではディアスポラのユダヤ人のことをギリシャ語を話すユダヤ人を意味している。従って、ここの「ギリシャ人」とは異なる。では、これはユダヤ人の目から見たギリシャ人と言うことで外国人一般を意味しているのだという意見もあるが、これには根拠薄弱である。ここはやはりギリシャ人あるギリシャ人を意味していると見るのが自然である。当時のユダヤ人から見たら自分たちのヘブライ文化に対応できる外国文化はギリシャ文化である。特にヨハネ福音書の著者はこの福音書をギリシャ哲学のロゴス論を引き合いにして神の子キリスト論を展開しているのであるから、そのギリシャ人が直接イエスに面会を求めてきたということは一つのエポック(新局面)と見たのであろう。

シーン2 私の時が来た

<テキスト12:23~36>
イエス:いよいよ私の時が来た。これから最後の時が始まります。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままですが、死ねば、多くの実を結びます。自分の生命を愛する人はそれを失いますが、この世で自分の生命を憎む人は、それを保って永遠の命に至ります。もしも誰か私に仕えようとする人は、私に従って来ればいい。そして私に仕える人は私のいる所にいることになるでしょう。私に仕える人は、私の父もその人を重んじるでしょう。
今、私の魂は混乱しています。何と言ったらいいのだろうか。父よ、私をこの時から救ってください。いや、いや、そうではない。このために、私はこの時まで生きてきたのだ。父よ、あなたの御名の栄光を現して下さい。

語り手:その時イエスの祈りに合わせるかのように、天からの声が響き渡りました。

天の声:私は既に栄光を現した。さらに栄光を現そう。

語り手:そこに居合わせていた人々は「雷が鳴っている」と言い、また別の人々は「天使がこの人に話しかけている」と言いました。

イエス:あの声は私へのものではありません。あなた方のための声なんです。今こそ、この世が裁かれる時、今こそ、この世の支配者たちが追放されるのです。そして人の子は地上から引き上げられ、すべての人を自分のもとへ引き寄せるでしょう。

語り手:この謎のような言葉は、イエスがどんな死に方をするかを予言したものです。

群衆:私たちは、聖書によって、キリストは永遠にとどまる、と学んで来ました。それなのに、どうしてあなたは、人の子は地上から引き上げられねばならない、などと言うのですか。その人の子とはいったい誰のことですか。
イエス:まだしばらくの間、光があなた方の所に留まっているでしょう。光があるうちに歩きなさい。それは闇があなた方を捕まえないためです。そして闇の中を歩む人は、自分がどこに行くのかを分かりません。光がある間に、光を信じなさい。光の子となるためです。

語り手:この言葉を残してイエスは立ち去り、彼らから身を隠くされました。

<以上>

(a) ギリシャ人たちの来訪という出来事にイエスは異常に緊張する。その緊張ぶりは尋常ではない。ここでの重要な言葉は「いよいよ私の時が来た」である。原文では「栄光化されるときが来た」、これまでイエスが何度か繰り返していた「私の時」(2:4,7:6,7:8)が、今だという。イエスはこの時の到来を目指し、待ち、備えていた。イエスのこの認識とギリシャ人の来訪との関係はわからない。ここでのイエスのセリフも誰に話しているのかもよく分からない。ギリシャ人に会うとも、会わないとも言わないで、自己の中に閉じこもってしまっている。その中で重要な発言がなされた。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままですが、死ねば、多くの実を結びます」(Jh.12:24)。つまり「私の時」とは「私が死ぬ時」だという。私が死んだ時に私の使命は果たされる。このようなことを考えイエスは「今、私の魂は混乱しています」と告白する。ここでの「私の魂」とは「私の心」ではなく「私の精神」であり、精神が錯乱状態にあることを意味している。ここでの「混乱している」はラザロの墓場の前でも用いられた単語である。イエスのこの言葉を当然のことながらフィリポもアンデレも、そして来訪したギリシャ人も聞いている。イエスはユダヤ人である弟子たちの前でもまた非ユダヤ人であるギリシャ人たちの前でも、自分の死について錯乱状態で語っている。こういう場面は共観福音書には見られない。「父よ、私をこの時から救ってください」(Jh12:27)と祈り、それをすぐに打ち消す。いろいろ祈りながら最終的には「父よ、あなたの御名の栄光を現して下さい」という祈りで結ばれる。この祈りに応えて天からの声が響く、「私は既に栄光を現した」。しかし残念ながら天からの声も人々には雷の音にしか聞こえなかったらしい。

(b) イエスにおいて死ぬということは天に引き上げられることを意味した。それについては群衆たちも理解していたようであるが、むしろ問題は彼らのキリスト(メシア)観によれば、キリストは地上に「永遠に留まる」(Jh.12:34)と考えていたらしく、イエスの言葉と彼らのキリスト観とにズレがあったらしい。この「上げられる」という言葉はヨハネ福音書では重要なことで、二つの意味が一つになっている。一つは「十字架に懸けられる(上げられる)」こと、もう一つは「天に上げられる」ことで、ここでもそれが一つのこととして語られている。

5.ヨハネ福音書のここまでのまとめ

<テキスト12:42~47>
語り手:ユダヤ人社会の指導者たちの中には彼を信じた人々も少なくありませんでした。しかし彼らはファリサイ派の人々の手前、その信仰を告白しませんでした。何故なら会堂追放者にされることが怖かったからでした。要するに、神からの誉れよりもむしろ人間からの誉れを選んだのです。

イエス:私を信じる者は、私を信じるのではなく、私を遣わした方を信じることになるのです。そして私をしっかりと見る者は、私を遣わした方をしっかりと見るのです。私はこの世ための光として来ました。私を信じる者が誰も闇に留まらないためです。そして、もしも誰かが私の言葉を聞いて、それを保たないとしても、私はその人を裁くことをしません。私はこの世を裁くために来たのではなく、この世を救うために来たのだからです。

教会的編集者の挿入:12:37~41、48~50

<以上>

(a) ヨハネ福音書のここまでをまとめた文章。「もしも誰かが私の言葉を聞いて、それを保たないとしても、私はその人を裁くことをしません。私はこの世を裁くために来たのではなく、この世を救うために来たのだからです」という言葉の持つ温かさ。これがヨハネが語るイエス像である(Jh.3:17)。

(b) Jh.12:37~41については、これを教会的編集者の挿入とするのは田川建三だけである、と田川自身が言う。そして「もしもヨハネ福音書に教会的編集者による付加が存在するという仮説を採用するのであれば、ほかのどの個所よりも、まずそうと認めるべきであろう」という。「このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、彼らはイエスを信じなかった」(Jh.12:37)という言葉はヨハネ福音書のここまでの発言と矛盾する。その信仰内容に対する批判はあるにせよ、すくなからずの人はイエスを信じたのである。

<参照>ヨハネ12:37~41(田川訳)
彼のこれほど多くの徴を彼は彼らの前で行ったのであるが、彼らは彼を信じなかった。預言者イザヤがまた(次のように)言った言葉が成就するためである。「主よ、我々から聞いたことを誰が信じましたか。そして主の腕は誰に顕されましたか」。この故に彼らは信じることができなかった。イザヤがまた(次にように)言っているからである。「彼(=神)は彼らの眼を盲目にし、彼らの心を頑なにした。彼らが眼で見ることがなく、心で考えるこををせず、引き返すことがないからである。そして私が彼らを癒やすことはないであろう」。イザヤがこう言ったのは、彼の栄光を見たからである。そして彼について語ったのだ。

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