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ぶんやさんの記録

メッセージとしての幼稚園(つのぶえ01.08.20)

2001-08-20 11:15:14 | つのぶえ
メッセージとしての幼稚園
西大和双葉幼稚園の前身「聖ペテロ幼稚園」が奈良県知事(鈴木新太郎)から設立許可を受けたのは大正15年6月4日、そして、その7月6日に新しい礼拝堂の聖別式が行われ、9月から正式に開園している。
地方の小さな教会にとって礼拝堂の建設ということは資金的にどんなに苦労があったことだろうか。どんなに計算をしても成り立つ話ではない。しかし、彼らは信仰をもって推進した。「龍田聖ペテロ教会沿革史」によると、建築総額約6352円の内、教会の積み立てが724円、教会内部からの献金が1500円、ミッションからの補助金が2928円で、どう計算しても1200円が不足であった。結局その不足分は篤信の信徒からの借入ということでなんとか聖別式までこぎつけたのである。問題はその借入金をどうして返済するかという問題が残った。このことについて先ほどの沿革史は次のように記録している。
「右借入金1200円は9月より開園せし幼稚園に対する補助金50円と牧師家賃の名目で支給されし30円を毎月無利子にて大方氏に支払い、昭和2年11月をもって皆済せり。われらは大方氏の好意と共に、これが返済のために保母として奉仕せられし中村八重および濱田福子の両姉の特志を記憶すべきなり。」
確かに、彼らの働きは「記憶すべきである」。今日の西大和聖ペテロ教会と西大和双葉幼稚園とが車の両輪のように一体であるというあり方において、「記憶すべき」である。斑鳩時代から今日に至るまで、教会と幼稚園はそれぞれの固有の任務に忠実でありながら、同時に一体であるということによって、彼らの無償の奉仕は継承されている。
教会が教会であるということは、社会(この世)に対して常にメッセージを発信することによって成り立つ。教会がメッセージを発信しなくなったら、形だけの空虚な空間か、あるいは仲良しクラブにすぎない。教会によっては、礼拝堂そのものが社会に対する強力なメッセージとなることもあろう。
わたしたちの教会では幼稚園そのものが地域社会に対するメッセージである。従って、ただ、平穏で評判がいい幼稚園であればいいとは考えていない。歴史的遺産と呼ばれ尊重されるが、霊的なエネルギーを失ってしまった礼拝堂は、もはやメッセージではない。同様に「メッセージとしての幼稚園」はただ存続していればいいのではない。わたしたちがどういう子どもを育てようとしているのか。人間が人間であるためには、何が必要不可欠なものなのか。西大和双葉幼稚園は何を最も大切なものとして守っているのか。時には、それを守るために大きな犠牲を払わなければならない時もある。

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