S2000奮闘記

スポーツカー偏愛録。
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Book / 徳川家康 23、24

2012年05月17日 | 雑記
「徳川家康23 蕭風城の巻」
背用紙より。
「故太閤の十七回忌のため方広寺を再建した大阪方に対し、家康は鐘の銘文の中の「国家安康 君臣豊楽」の句を取り上げ、家康の天下を呪うものとして、開眼供養の執行を中止させる。真意は豊臣家存続を望む家康だが、秀頼母子が在る限り、切支丹信徒や不平分子が、秀頼を擁して争乱を招くおそれがあるので、穏便に大阪城を明け渡せとの謎だった。」


「徳川家康24 戦争と平和の巻 」
背表紙より。
「慶長十九年十月、大阪冬の陣はじまる。大阪方は河内の出口村の堤を決潰させ、枚方附近の道路を妨害した。家康は二条城を動かず、松平乗寿と福島忠勝にその修理を命じ、戦闘開始は十一月六日夜。優勢を誇る関東方の大砲の威嚇射撃で一旦和議と成るが、それも束の間、戦意を喪した秀頼に拘わりなく、時の勢いは夏の陣へ・・・。」


徳川家康 21、22
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