日本時間2008年11月 5日(水)歴史的選挙戦を経て米次期大統領に決まったバラク・オバマ氏。
勝利演説を聞いて目頭が熱くなった人も少なくはないはず。情熱に満ち溢れた内容を熱い眼差しで語る米次期大統領に圧倒された。
海の向こうでは若きリーダーを中心に若者や貧困所得者までもが立ち上がり、自国の危機を乗り切ろうとしている。「自分たちの声が変化をもたらすことができると信じている」と勝利演説の中にあった様にアメリカは大統領選を終えて国家の団結力が増した様に思われる。投票日当日は、首都ワシントン市内の投票所では出勤前に投票を済ませようという有権者が朝から列をつくり投票まで1時間半待ちであったり、ニューヨーク州など夜明け前から列ができるところも出た。ニュース速報を見ていたらほとんどの州で投票率が80%に近いのに驚いた。こんなに国民が関心を持つ選挙が日本にあるだろうか?日本は出来るのだろうか?日本国民が「自分たちの声が変化をもたらすことができる!」と信じれるだろうか?アメリカが良いとかマネをしようという訳ではないが「Yes,We Can !!(我々にはできる)」とボク達は声を高々に上げられるのだろうか?自分達の未来を信じられるのか?
いつになっても権力者だけが勝ち上がれる様な出来レースでは関心が持てない。もうそろそろ金や汚職に紛れた選挙で国民を騙すのは終わりにしよう。昔の若き日に、とある国会議員の選挙運動を会社からの命令で強制的にやらされて、挙句の果てにボクの1票はその無能な国会議員へのモノにさせられてしまった。社内命令で選択の余地は無し。選挙は全て会社がコントロールしていて、強制的に投票(社員の1票を)までコントロールされた。その無能な国会議員は今も国会議事堂の赤い絨毯の上で自分の富と幸福のコトだけを考えて大意張りしている。おかげでボクは選挙を、政治を信じられなくなった。日本の選挙なんてそんなモノだ。口だけの民主主義だ。最低な立候補者ばかりで甲乙付けがたいほどに選べない。選挙に行っても日本の未来が見えないのだ。だからボクの選挙権は「誰に投票するか?」という選択よりも、まずは「選挙に行くか行かないか?」の選択になる。大切な1票だからこそ信頼できる立候補者に入れたい。この人に国政をお願いしたいという人に投票したい。信頼できる人がいなければボイコットするしかないのだ。ボイコットは「逃げ」ではなく権利の行使の一つだと思う。もう無駄に1票を使いたくはない。田舎町特有の!?「誰に入れても同じだから」と言って、愚行な立候補者に投票するという行動はその愚行な立候補者と同じレベルだと思う。だから先日「必ず選挙に行きましょう」なんて言っているバカなラジオのDJには呆れて、鼻で笑ってしまった。11月16日(日)この田舎町に選挙がある。どの候補者の演説を聞いてもオバマ氏の様に演説の中に熱すぎるくらいの‘情熱’が感じられる候補者は、残念な事だけど一人もいない。
この国は腐りかけてきている。愚策が飛び交い、責任の擦り付け合い。責任転換という言葉が常識になりそうだ。金融問題、経済問題、、医療問題、公的年金問題など数えたらキリがないくらいに課題が山積みだ。それなのに給付金を出すという最大の愚策が出た。小渕内閣の時代に出した地域振興券がどれだけ経済政策にならなかったことか・・・過去の教訓を見ようとしないで実行に移そうとしているその強気だけは認めるてやる(笑)が、そのツケは我々、国民にやってくるだろう。強者が弱者にツケを払わせるのだ。「消費税の増税を公言した総理の勇気は・・・」と麻生総理のことをヨイショしていた自民党議員が居たけど、そんな糞同然な勇気よりも番組の企画でアポイント無しで低予算でオバマ大統領に会いに行ったノッチの「勇気」の方が沢山の人に勇気と感動を与えたと思うし、とても価値がある。今は日本国の総理大臣よりも芸人のほうがスゴイ!!
最近、憲法で謳っている「平等」の意味も分からなくなってきている。「国民に平等に配る」と言われて、一万円ちょっとのお金を貰っても何とも思わない。その総額2兆円(給付を行う地方自治の事務手数料を含めたら本当の総額はいくら?)をもっと有効に使って、公的年金、社会保険や後期高齢者制度を見直して安心して老後を過ごせるようにしたり、病院の数や医師の人数を増やして医療への不安を取り除いたり、国民の不安を取り除くのに使って欲しいと思う。「不安」を消して「安心」を国民一人一人に「平等」に与えて欲しい。この国の「不安」は小手先の政策では解決できない所まで来ていると思う。既存の規制を根本から変えるくらいの思い切った制度改正が必要だと思う。もうこの国で生きていくには全ての保障を自分自身でやらなくてはならない時代へと変わったのかもしれない。自分の身は自分でしか守れない物騒な国になってしまったのかもしれない。
野党は与党の文句ばかりしか言えない。それに対して与党は言い訳ばかり。そんな国会茶番劇を横目にしながら官僚が自己の利益のために手を打つ。そこにはもはや‘国家のため’や‘国民のため’という大義名分の存在は無く、自己の利益のためという欲望しかない。特にここ数年の社会保険庁の官僚の国民を騙す戦略は見事なものである(詳しくは、木村 剛 著「僕らの年金脱退宣言」←良書。腐りきった社保庁の実態や官僚の愚策やムダ使いによって破壊された公的年金のシステムなどが分かりやすく詳細に書かれている良書です)。大政奉還が行われて江戸幕府に終止符が打たれた時、明治天皇をはじめ、伊藤博文や桂小五郎、西郷隆盛や大久保利通や小松帯刀、坂本龍馬など幕末の偉人達の平均年齢が(確か)24.5歳と聞いたことがある。明治維新よりも動乱ともいう平成維新を乗り切るには超党派の若い力が必要なのでは?と思う。
福沢諭吉は、かの有名な「学問のすすめ」の中で「政治は国民の上で成り立っており、愚かな人の上には厳しい政府ができ、優れた人の上には良い政府ができる。法律も国民の行いによって変わるもので、単に学ぶ事を知らず無知であるのに強訴や一揆などを行ったり、自分に都合の良い事ばかりを言う事は恥知らずではないか。法律で守られた生活を送っていながら、それに感謝をせず自分の欲望を満たすために法律を破る事は辻褄の合わない事だ。」(意訳)と言っている。今から200年以上も前にだ。明治時代という江戸時代とは全く違う新しい世の中が出来たばかりにだ。今の日本はボクみたいな愚かな人間がいるから‘厳しい政府’があるのだろうネ(笑)。政府の文句を嘆く前にボクら国民が変わらなきゃいけないんだ!一万円の給付金が手元に届いてしまったら福沢諭吉の顔を見ながら、諭吉の言葉を思い出そう・・・。もしかしたら諭吉の目には平成の世の日本が見えていたのかも知れない。
S2000とは関係のない話ですね(笑)。
全く持って政治家へなろうなんて思っておりません(笑)。左胸にバッチを付けるとマトモな人間にはなれないらしいので(笑)。たとえ新車のS2000を頂けるとしても政治家だけにはなりません!(キッパリ)。ボクは真っ当な人間として生きて、真っ当な人間として死にたいだけですから(笑)。ただココ数週間の出来事に憤りを感じたので思いの丈をバラ撒いてみました。
乱筆乱文ですが自分への戒めと思って綴っておきました。
「日、出づる国」の未来は・・・