『太閤暗殺 秀吉と本因坊』を読むことでこの著者と出会った。『鬼役』という長大なシリーズが出ていることを知った。このシリーズ、現在時点で第34作まで刊行されている。タイトルが面白そうなので、このロング・シリーズを読み継いでみようと思った。
本作は、奥書を読むと、2005年4月に学研文庫で刊行されていたものに大幅に加筆修正を加え、改題して、2012年4月に光文社文庫として刊行されている。
主人公は公儀鬼役、矢背蔵人介。公儀鬼役とは何か。ここで公儀は徳川幕府を意味する。鬼役とは通称で、若年寄配下の御膳奉行。将軍家毒味役である。将軍の食事に毒が含まれていないかを一部試食することにより防御するのが役目。河豚(フグ)毒に毒草、毒茸、蝉の殻、なんでもござれで毒をくろうてこその立場である。従来「鬼食い役」と呼ばれたものが「鬼役」という通称になった。「なにしろ、箸で取りそこねた魚の小骨が公方の咽喉に刺さっただけでも、切腹を申し渡される」(p22)という損な役目。だが、矢背蔵人介はたかだか200俵取りにすぎない。重責の割には安すぎる俸給! 矢背蔵人介、42歳、厄年。
鬼役が将軍のための毒味役とわかると、重責とはいえそんな役目が時代小説として、どう展開できるのだろうか・・・とまず、疑問が湧く。それはすぐに氷塊する。なぜか。
鬼役蔵人介には、もう一つの隠された顔がある。それは「白洲で裁けぬ悪を断つ」という「暗殺役」の役目だ。
蔵人介は反りの深い長柄刀を使う。刃長二尺七寸、名匠藤源次助眞の手になる「大反り助眞」である。蔵人介は田宮流抜刀術を会得していて、「飛ばし首」という秘技を使う。 本丸に鬼役は5人いるが、蔵人介以外の4人は長くとも3年で役目替えとなり去っていく。蔵人介一人だけがこの18年間、淡々と鬼役の役目をこなしてきた。
蔵人介の裏の役目を知るのはただ一人、若年寄、長久保加賀守正忠のみ。この加賀守が蔵人介に奔命を発し、蔵人介は命じられた的を悪人と信じ、問答無用と斬ってすてる。二人にはこの極秘の関係がある。蔵人介の裏の顔は蔵人介の妻ですら知らない。
蔵人介はこの裏の役目を先代で養父の矢背信頼から引き継いでいた。
主な登場人物として、ここではまず二人に触れておこう。
一人は、串部六郎太。彼は加賀守から蔵人介の裏の役目の補佐として寄こされた男。表向きは、「二年前に飯田町の剣術道場で知りあい、用人の空きがあったので年四両二分の住み込みで『どうだ』と誘いかけたところ、二つ返事で傳(カシズ)かれた」(p25)というふれこみになっている。つまり、加賀守と蔵人介の間のメッセンジャーを兼ねている。齢33で独り身、臑(スネ)斬りを本旨とする柳剛流の達人。
もう一人は、綾辻市之進。彼は蔵人介の妻幸恵の実弟。徒目付の役職なので、役目柄、幕府内での見聞内容について、折に触れ蔵人介に情報提供する役回りを果たす。勿論、市之進も義兄の裏の役目は全く知らない。
さてこの第1作、読み進めると、短編連作風のまとまりになっている。私はそのように受け止めた。「天守金蔵荒らし」「大奥淫蕩地獄」「群盗隼」「惜別の宴」で構成される。陰謀というキーワードで通底しつつ、それぞれの問題事象は一応の結末を重ねていく。
< 天守金蔵荒らし >
冒頭、蔵人介が魚河岸の干鰯(ホシカ)問屋、駿河屋利平を待ち受けて暗殺する場面から始まる。読者は、ストレートに蔵之介の裏の役目に導かれて、その後で表の鬼役という役目を知る。当然、話がおもしろくなるだろうと予感できる。裏の役目ばかりでなく、鬼役本来の役目の側面も織り込まれていく。鬼役の視点を通して、江戸城の大奥の世界を読者も垣間見ることになる。
師走半ばに、相番の西島甚三郎から蔵人介は御天守台での事件を聞く。御天守台から台所方の中村某が降ってきたという。中村の死骸には随所に醜い傷跡があった。御霊屋の遣い坊主月空が目撃したと告げ、下手人は天守番の御家人、叶孫兵衛と目星をつけたらしいという。蔵人介は一瞬、ギクッとする。叶孫兵衛は蔵人介の実父なのだ。父が何事かの謀り事に巻き込まれたと感じる。蔵人介は串部を使いこの事件の背景を調べ始める。
惨殺された中村某と遣い坊主月空が、霊巌島にある廻船問屋「浜田屋」と関係があることがわかる。さらに、浜田屋善左衛門はまっとうな商人に見えるが、真の顔は群盗の首魁だった。
御天守台の近くには、御金蔵がある。この事件には御金蔵が絡んでいるに違いないと蔵人介は推測する。父への嫌疑を晴らすために、蔵人介は行動をとる。
< 大奥淫蕩地獄 >
大奥で阿芙蓉と称される丸薬が蔓延する事態が発生する。阿片である。蔵人介は、加賀守からこの状況を引き起こした下手人を探し出し抹殺せよと奔命を受ける。蔵人介は大奥に足を踏み入れられない。さて、蔵人介、どうする?
蔵人介は大奥での阿芙蓉問題の直接の下手人を抹殺する。だがその背後の黒幕には至りつけない。
その隔靴掻痒感が、このストーリーのはずみとなっていく、
< 群盗隼 >
加賀守の屋敷に隼小僧の一味が入る。盗み出したのは何かの裏帳簿。蔵人介と串部は逃走経路で待ち伏せ、阻止する。矢背家が借地している旗本望月家に行状不宜の沙汰が下るかもしれないということを市之進が知らせに来る。望月家は幕閣内の派閥争いの渦中にもいた。そんな最中に、西島甚三郎の誘いで、中野碩翁と対面することになる。蔵人介は碩翁の持ち掛けた話を拒絶する。そこから事態が進展していく。
一筋縄では行かぬ、奥深い闇の存在が見えてくる。
< 惜別の宴 >
鬼役の間でも、林田肥後守と長久保加賀守の派閥抗争が話題に上るようになる。鬼役としての務めの相番は疝気を患う押見兵庫だった。西島に揶揄された意地からか、押見はその日の毒味をすべて引き受ける。その結果、鱶鰭(フカヒレ)の毒味において、血を吐き死ぬことに。附子の毒が仕込まれていたようだ。蔵人介は、これは公方ではなく鬼役の毒殺を狙った所業と推測する。狙われていたのは己ではないかと。
碩翁が現れ、事態を隠蔽しようとする。
蔵人介は、己の身を守るために、幕閣内に蠢く謀略の渦中に自ら一歩踏み込んでいかざるを得なくなる。転居してきて6年を経て、蔵人介は初めて借地主である望月家を訪れ、当主の望月左門と面談することから始める。だが、それは蔵人介を加賀守と対決する局面に導いていく。
このストーリー、最後は幕閣の政策的なオチがついている。いつの世も同じか。
このストーリー、改めて「天守金蔵荒らし」「大奥淫蕩地獄」「群盗隼」「惜別の宴」を俯瞰的にとらえると、起承転結におさまっているように思う。そして、「覇権を渇望しはじめたときから、人ではなくなったのだ」(p281)という一文が、根底のテーマとしてあるように思う。
今日知ったのだが、現在新装版が出版されている。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『太閤暗殺 秀吉と本因坊』 坂岡真 幻冬舎
本作は、奥書を読むと、2005年4月に学研文庫で刊行されていたものに大幅に加筆修正を加え、改題して、2012年4月に光文社文庫として刊行されている。
主人公は公儀鬼役、矢背蔵人介。公儀鬼役とは何か。ここで公儀は徳川幕府を意味する。鬼役とは通称で、若年寄配下の御膳奉行。将軍家毒味役である。将軍の食事に毒が含まれていないかを一部試食することにより防御するのが役目。河豚(フグ)毒に毒草、毒茸、蝉の殻、なんでもござれで毒をくろうてこその立場である。従来「鬼食い役」と呼ばれたものが「鬼役」という通称になった。「なにしろ、箸で取りそこねた魚の小骨が公方の咽喉に刺さっただけでも、切腹を申し渡される」(p22)という損な役目。だが、矢背蔵人介はたかだか200俵取りにすぎない。重責の割には安すぎる俸給! 矢背蔵人介、42歳、厄年。
鬼役が将軍のための毒味役とわかると、重責とはいえそんな役目が時代小説として、どう展開できるのだろうか・・・とまず、疑問が湧く。それはすぐに氷塊する。なぜか。
鬼役蔵人介には、もう一つの隠された顔がある。それは「白洲で裁けぬ悪を断つ」という「暗殺役」の役目だ。
蔵人介は反りの深い長柄刀を使う。刃長二尺七寸、名匠藤源次助眞の手になる「大反り助眞」である。蔵人介は田宮流抜刀術を会得していて、「飛ばし首」という秘技を使う。 本丸に鬼役は5人いるが、蔵人介以外の4人は長くとも3年で役目替えとなり去っていく。蔵人介一人だけがこの18年間、淡々と鬼役の役目をこなしてきた。
蔵人介の裏の役目を知るのはただ一人、若年寄、長久保加賀守正忠のみ。この加賀守が蔵人介に奔命を発し、蔵人介は命じられた的を悪人と信じ、問答無用と斬ってすてる。二人にはこの極秘の関係がある。蔵人介の裏の顔は蔵人介の妻ですら知らない。
蔵人介はこの裏の役目を先代で養父の矢背信頼から引き継いでいた。
主な登場人物として、ここではまず二人に触れておこう。
一人は、串部六郎太。彼は加賀守から蔵人介の裏の役目の補佐として寄こされた男。表向きは、「二年前に飯田町の剣術道場で知りあい、用人の空きがあったので年四両二分の住み込みで『どうだ』と誘いかけたところ、二つ返事で傳(カシズ)かれた」(p25)というふれこみになっている。つまり、加賀守と蔵人介の間のメッセンジャーを兼ねている。齢33で独り身、臑(スネ)斬りを本旨とする柳剛流の達人。
もう一人は、綾辻市之進。彼は蔵人介の妻幸恵の実弟。徒目付の役職なので、役目柄、幕府内での見聞内容について、折に触れ蔵人介に情報提供する役回りを果たす。勿論、市之進も義兄の裏の役目は全く知らない。
さてこの第1作、読み進めると、短編連作風のまとまりになっている。私はそのように受け止めた。「天守金蔵荒らし」「大奥淫蕩地獄」「群盗隼」「惜別の宴」で構成される。陰謀というキーワードで通底しつつ、それぞれの問題事象は一応の結末を重ねていく。
< 天守金蔵荒らし >
冒頭、蔵人介が魚河岸の干鰯(ホシカ)問屋、駿河屋利平を待ち受けて暗殺する場面から始まる。読者は、ストレートに蔵之介の裏の役目に導かれて、その後で表の鬼役という役目を知る。当然、話がおもしろくなるだろうと予感できる。裏の役目ばかりでなく、鬼役本来の役目の側面も織り込まれていく。鬼役の視点を通して、江戸城の大奥の世界を読者も垣間見ることになる。
師走半ばに、相番の西島甚三郎から蔵人介は御天守台での事件を聞く。御天守台から台所方の中村某が降ってきたという。中村の死骸には随所に醜い傷跡があった。御霊屋の遣い坊主月空が目撃したと告げ、下手人は天守番の御家人、叶孫兵衛と目星をつけたらしいという。蔵人介は一瞬、ギクッとする。叶孫兵衛は蔵人介の実父なのだ。父が何事かの謀り事に巻き込まれたと感じる。蔵人介は串部を使いこの事件の背景を調べ始める。
惨殺された中村某と遣い坊主月空が、霊巌島にある廻船問屋「浜田屋」と関係があることがわかる。さらに、浜田屋善左衛門はまっとうな商人に見えるが、真の顔は群盗の首魁だった。
御天守台の近くには、御金蔵がある。この事件には御金蔵が絡んでいるに違いないと蔵人介は推測する。父への嫌疑を晴らすために、蔵人介は行動をとる。
< 大奥淫蕩地獄 >
大奥で阿芙蓉と称される丸薬が蔓延する事態が発生する。阿片である。蔵人介は、加賀守からこの状況を引き起こした下手人を探し出し抹殺せよと奔命を受ける。蔵人介は大奥に足を踏み入れられない。さて、蔵人介、どうする?
蔵人介は大奥での阿芙蓉問題の直接の下手人を抹殺する。だがその背後の黒幕には至りつけない。
その隔靴掻痒感が、このストーリーのはずみとなっていく、
< 群盗隼 >
加賀守の屋敷に隼小僧の一味が入る。盗み出したのは何かの裏帳簿。蔵人介と串部は逃走経路で待ち伏せ、阻止する。矢背家が借地している旗本望月家に行状不宜の沙汰が下るかもしれないということを市之進が知らせに来る。望月家は幕閣内の派閥争いの渦中にもいた。そんな最中に、西島甚三郎の誘いで、中野碩翁と対面することになる。蔵人介は碩翁の持ち掛けた話を拒絶する。そこから事態が進展していく。
一筋縄では行かぬ、奥深い闇の存在が見えてくる。
< 惜別の宴 >
鬼役の間でも、林田肥後守と長久保加賀守の派閥抗争が話題に上るようになる。鬼役としての務めの相番は疝気を患う押見兵庫だった。西島に揶揄された意地からか、押見はその日の毒味をすべて引き受ける。その結果、鱶鰭(フカヒレ)の毒味において、血を吐き死ぬことに。附子の毒が仕込まれていたようだ。蔵人介は、これは公方ではなく鬼役の毒殺を狙った所業と推測する。狙われていたのは己ではないかと。
碩翁が現れ、事態を隠蔽しようとする。
蔵人介は、己の身を守るために、幕閣内に蠢く謀略の渦中に自ら一歩踏み込んでいかざるを得なくなる。転居してきて6年を経て、蔵人介は初めて借地主である望月家を訪れ、当主の望月左門と面談することから始める。だが、それは蔵人介を加賀守と対決する局面に導いていく。
このストーリー、最後は幕閣の政策的なオチがついている。いつの世も同じか。
このストーリー、改めて「天守金蔵荒らし」「大奥淫蕩地獄」「群盗隼」「惜別の宴」を俯瞰的にとらえると、起承転結におさまっているように思う。そして、「覇権を渇望しはじめたときから、人ではなくなったのだ」(p281)という一文が、根底のテーマとしてあるように思う。
今日知ったのだが、現在新装版が出版されている。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『太閤暗殺 秀吉と本因坊』 坂岡真 幻冬舎