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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『刺客 鬼役弐』 坂岡 真   光文社文庫

2024-12-01 21:57:33 | 諸作家作品
 鬼役シリーズ第2弾! 奥書を読むと、2005年8月に『鬼役 矢背蔵人介 炎天の刺客』(学研M文庫)として刊行された作品に大幅加筆修正、改題して、2012年5月に刊行されている。このシリーズ、最新刊に到るまで長丁場で楽しめそうである。

  新装版の文庫表紙

 この第2弾も短編連作集といえる。本書には「対決鉢屋衆」「黄白の鯖」「三念坂閻魔斬り」「流転茄子」の4編が収録されている。

 主人公の矢背蔵人介は将軍家斉の毒味役で御膳奉行の役目を担う。魚の小骨が公方(将軍家斉)の咽喉に刺さっただけでも断罪となる役目。それにもかかわらず役料はたかだか二百俵。家禄と合わせても五百俵に足りぬ貧乏旗本である。その蔵人介は、毒味役を表の顔とすると、裏の顔を持つ。それは田宮流抜刀術の達人という技量を活かし、指令役から指令を受けて、幕臣の不正を断つという暗殺役である。暗殺役という裏の顔を蔵人介の家族や親族は誰も知らない。指令役は若年寄長久保加賀守であり、蔵人介はこの人物を信頼してきたのだが、第1作において、長久保加賀守に裏切られるという展開になった。つまり、蔵人介の裏の役目は断絶した。毒味役に専心する立場になったという段階から、この第2弾が始まる。読者にとっては、表の顔の毒味役だけで、ストーリーが続くのか、という興味津々としたセカンド・ステージがここから始まる。

 蔵人介には、用人として串部六郎太が仕えている。彼は悪党どもの臑を刈るという得意技を持つ柳剛流の達人である。元は長久保加賀守の家来で、蔵人介の裏の仕事を見届けるような立場を担い、蔵人介の用人になった。だが、主人長久保加賀守のやり口に嫌気がさし、蔵人介に忠誠を誓い、行動を共にする立場に変容していく。蔵人介の強力な協力者に徹する。このストーリーは、いわばこの二人が何をするかである。
 
 セカンド・ステージではもう一つ大きな変化要因が加わる。望月宗次郎の面倒を蔵人介が見なければならない羽目になったのだ。その顛末は第1作で語られている。宗次郎は矢背家の隣人・望月家の次男坊であるが、望月左門が政争に巻き込まれ殺される前に、その面倒を託されたのだ。なぜか。宗次郎は西ノ丸に依拠する徳川家慶のご落胤であると左門から伝えられた。宗次郎は己の出生を知らずに育ち、甲源一刀流の遣い手になっているが、吉原の廓に入り浸り、放蕩が続いている。蔵人介はそれを承知で見守る立場となってしまった。蔵人介は誰にも相談できない極秘の火種を抱える立場になる。ストーリーの底流となる宗次郎の存在と行動は、読者にとっては、見守り続ける興味深い要素となる。

 さて、暗殺指令を発する者がいなくなり、毒味役に専心する蔵人介が、何に巻き込まれていくのか。そして、蔵人介はどういう行動に出るのか。それがこのストーリー。

 短編連作集の基本構造は、主に2つの流れが織り交ぜられながら進展する。
 一つは、蔵人介の本来の役目・毒味役の仕事に関わって起こってくる様々な状況の変化とハプニングに蔵人介がどう対処していくかのストーリーの流れである。
 大奥を含み、幕府内の上層部には世継ぎ問題を含め常に政争状況が密かに蠢いている。そこに蔵人介も人間関係のしがらみにより投げ込まれていく立場になる。
 もう一つは、毒味役の役割を離れた場において、蔵人介が好むと好まざるとに関わらず、関係していく羽目になる状況への対応である。この第二の側面において、公的な暗殺指令を受けるという裏の役目は今時点では消滅している。ならば、何が起こるか。それこそが、読書にとっての楽しみどころになる。
 

 収録短編ごとに、読後印象を交え、簡略なご紹介をしてみたい。

< 対決鉢屋衆 >
 天保2年水無月(6月)から文月(7月)にかけての出来事。不作続きの年のこと。
 蔵人介が毒味の役目を終えて下城の途次、登城する長州藩の行列に出会う。その場に襤褸を着た百姓が駕籠訴の行動に出る場面を目撃する。駕籠訴に成功する前に斬られそうになり蔵人介の傍に百姓が逃げて来る。長州藩という大大名に対し、貧乏旗本の蔵人介が、堂々と正論を吐き、その場から一旦百姓を庇い助けた。百姓を追ってきたのは、長州藩馬廻り役支配、鉢屋又五郎と名乗る。勿論「本丸御膳奉行、矢背蔵人介」と返答する。これが発端となるストーリー。
 この事件、江戸城内で噂になる。長州藩の内情と一方で面目が関わってくる。鉢屋衆が動きだす。鉢屋衆とは長州の忍である。蔵人介は鉢屋衆と対峙する羽目になる。
 文月26日、長州藩では、江戸開闢以降で最大の一揆が勃発した。
 飢饉下での政治政策の失敗を糊塗し、武士の面子にすり替える意識と行動が描かれている。駕籠訴の実態もわかる短編である。

< 黄白の鯖 > 
 蔵人介は文月に柳橋から屋形船を仕立てて、家族や居候の宗次郎ほかとともに宵涼みと洒落込んだ。ところが、天保鶺鴒組と名乗る旗本の次男・三男坊たちが乗る船が、川を行く施餓鬼船にちょっかいを出す。その船は江戸随一の「吉野丸」である。蔵人介の乗る船がその場に居合わせた。
 翌日、夕餉の毒味を済ませた蔵人介は、中野碩翁に呼び出される。天保鶺鴒組の連中が狼藉を働いた相手が智泉院の旦那衆であったので、この出来事を忘れよと、同席していた本丸留守居役の稲垣に告げられる。三日後、黄白の鯖と目録に記される鯖代が尾張藩で盗まれ、家老が切腹する事件が発生する。この件で天保鶺鴒組に疑いが向けられる。これが発端となる。尾張柳生が動き出したという。
 蔵人介もまた、動き出さざるを得なくなる。宗次郎が関係しているかもしれないという話が持ちあがったのだ。
 このストーリー、公人朝夕人(クニンチョウジャクニン)黒田伝右衛門が登場するところがおもしろい。
 この短編は、今後の展望に繋がっていく布石でもある。蔵人介の裏の役目が、将来への岐路に入るからだ。読者には、興味と期待を抱かせる要因になる。

< 三念坂閻魔斬り >
 牛込の筑土八幡宮門前から南にきつい登り坂が続く三念坂で、閻魔の顔を象った武悪面をつけた男が、坂道を下りてきた二人の侍を待ちうける。一人は勘定奉行有田主馬、従者は野太刀自顕流を修めた高見沢源八。武悪面の男は「わしは公儀鬼役よ」と有田に告げた。武士二人はあっけなく惨殺された。文月十六日、閻魔の斎日である。大工見習いの亀吉がこの闇討ちを目撃していた。
 蔵人介に疑惑が向けられることになる。これがストーリーの始まりとなる。
 蔵人介は、裏の役目を果たすことが契機で、狂言面を打つことを心の浄化を兼ねた趣味にしていた。蔵人介は武悪面を打っていた。それがない。持ち出すとすれば、居候の宗次郎と推測される。
 虎穴に入らずんば虎児を得ずという格言があるが、そんな進展になるところが、興味深い。自ら疑惑の解明に立ち向かうという筋立て。どのように・・・が読ませどころ。
 もう一点、おもしろいのは、勘定奉行有田主馬の後釜に昇進するのが、遠山景元である。俗にいえば遠山の金さん。ストーリーの落としどころがおもしろい。

< 流転茄子 >
 神無月の朔日、『遊楽亭』の庭にある草庵で口切の茶会が催される場面から始まる。遊楽亭の亭主は万蔵。この茶会で茶を点てるのは蔵人介の義母・志乃である。蔵人介はその茶会に加わるように義母から指示されていた。万蔵は口切の一番茶を賞味する立場になれることに幸福感を味わっている。そんな茶席の場面から始まり、茶道具をネタにストーリーが進展していく。茶会では松永久秀所蔵「平蜘蛛」の釜が話題となる。
 5日には、志乃に呼ばれた蔵人介は、志乃から「つくも茄子」を話題にされる。志乃が宗次郎から預かっていた茶入が関係していた。
 茶道具の茄子の転売に対して、それを取り戻そうとする志乃・蔵人介の行動顛末譚。
 そこに、矢背家の過去と、志乃の若き時代の逸話が絡んでいる。そこに大奥の政争が絡んでいるのだからおもしろい。楽しめるフィクションである。

 蔵人介が天保2年に関わった事件を扱った短編連作集である。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『鬼役 壱』    坂岡真    光文社文庫
『太閤暗殺 秀吉と本因坊』  坂岡真  幻冬舎
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『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』    村木 嵐    幻冬舎

2024-11-09 14:10:37 | 諸作家作品
 出版社の広告メッセージによれば、『まいまいつぶろ』の完結編。
 『まいまいつぶろ』は第九代将軍家重とその小姓大岡忠光を中心にした小説。徳川吉宗の嫡男・長福丸が母親の難産のゆえに身体障碍者として生まれた。身体の右側は麻痺し、左の手も震えがあり文字を書くことができない。長福丸の話す言葉を誰も聞き取れない。頭脳は明晰だった。ただ一人、小姓として仕え始めた大岡兵庫だけがその言葉を解し、長福丸の通辞を務める。元服し、長福丸は家重と名乗り、兵庫は忠光と名乗る。長期間にわたる廃嫡問題の揺れ動きの果てに、遂に家重は、父吉宗の決断で第九代将軍を継承する。その苦しみの渦中の姿と、父吉宗の改革を引き継いでいく過程を描いた小説だった。
 それに対して、本書は家重が第九代将軍を継承できるまでのプロセスと、将軍職を継承し全うするまでの過程を、異なる視点からエピソード風にとらえた短編連作集である。いわば、舞台裏を多面的に描き出していく。『まいまいつぶろ』のストーリーでは語られなかった側面を描き出すことで、ストーリーの奥行きを広げ、また、『まいまいつぶろ』のその後を明らかにする続編であり、完結編となる。
 「小説幻冬」(vol.85~vol.89)に連載されたのち、今年、2024年5月に単行本が刊行された。

 本書は紀州藩主時代の徳川吉宗に見いだされ、青名半四郎と名乗り、表向きは御徒頭として仕え、実は御庭番として吉宗の密命を遂行する別名万里が、この短編連作の黒子的役割を担う。最後に万里自身が主人公になる短編も含まれる。
 ここに描き出された側面は、隠密の万里が耳にし目にした内容という位置づけである。それ故に耳目抄。『まいまいつぶろ』との併読で相乗効果を発揮する短編連作集となっている。
 本書には5つの短編が収録されている。各短編について、簡単なご紹介と読後印象を記したい。

< 将軍の母 >
 吉宗の母、浄円院は紀州・和歌山城から江戸城に移ってきて、初めて長福丸はじめ孫たちと対面する。浄円院を迎えに行き、道中を付き添うのが青名半四郎。半四郎は吉宗から密命を受けていた。
 浄円院が孫の長福丸(家重)を思う心と浄円院の行動が描き出されていく。家重の心を理解して支えたおばあちゃん!

< 背信の士 >
 吉宗の片腕となり、吉宗の改革を推進した老中松平左近将監乗邑の行動を描く。改革には邁進したが、彼は最後まで家重廃嫡の立場を崩さなかった。その松平乗邑の顛末譚。
 「乗邑はたとえ明日のことは疑っても、忠光が伝えた家重の言葉を否定したことはなかった」(p108) この一文に乗邑のスタンスが凝縮されているように感じる。

< 次の将軍 >
 家重の嫡男竹千代は元服して家治と改名する。後の第十代将軍である。吉宗は幼少の孫竹千代を可愛がり、彼の聡明さを見抜く。そして竹千代に父家重の聡明さに気づき、その姿から学ぶように導いていく。一方、家重は家治に祖父吉宗から学ぶようにという。
 家重の将軍職継承において、家治の果たした役割がこの短編の眼目といえる。
 また、家重と家治の間で、家治の母、幸のことに関して気まずさが生まれる経緯が、もう一つ、ここで家重の心理に一歩踏み込む描写となる。
 日本史の年表を確認しての余談だが、家治が第十代将軍になるのは1760年。1765年から田沼時代が始まる。吉宗が改革に着手し、家重がそれを継承・推進した。だが、家治は祖父・父の推し進めた改革とは方向を異にした政策を選択したことがわかる。

< 寵臣の妻 >
 奥小姓として家重のもとに出仕し、家重の口となり通辞に専心してきた大岡忠光。忠光は、通辞一筋で、はた目から見れば、小姓頭、側衆、御用取次と出世を重ね、禄高五千石に至る寵臣となる。その忠光自身の家庭はどうだったのかを描く。
 夫忠光が禄高五千石に出世した翌年、志乃と嫡男で13歳の兵庫の母子二人は、大岡越前守忠相の役宅に初めて招かれる。この時初めて、志乃と兵庫は、忠光が江戸城内でどのような働きをしているかを知る。
 忠光から何も知られされないままで、厳しい不文律を課された家において、妻志乃と嫡男兵庫がそのような思いで生きてきたかをこの短編は描き込んでいく。
 ふと、志乃の立場に耐えられ女性がどれほどいるだろうかと思ってしまう。
 元服し改名した忠喜が単独で将軍家重に拝謁できるという場面が描かれる。この拝謁の場で、忠喜は父が家重に仕える真の姿に出会う。この場面がいい。
 この拝謁の場への先導・案内を務めるのが万里である。
 
< 勝手隠密 >
 3つのテーマが扱われている。1つは、田沼意次の登場とその手腕。宝暦8年(1758)4月、目安箱に二度にわたり同じ内容の訴状が投じられていた。これに端を発して、問題事象の解明と解決に意次が手腕を発揮する様を描く。
 2つ目は、忠光が家重の通辞役を退隠する決意をしたとき、将来への伏線として為した最後の行動。
 3つ目は、吉宗の隠密として生きてきた万里自身の晩年。吉宗の死後も、勝手隠密と自称して、事の成り行きを見つめてきた万里自身が描かれる。
 宝暦10年(1760)に退隠した忠光が亡くなる。この年、家重は嫡男家治に将軍職を譲る。それから10ヵ月ほど後、宝暦11年6月に家重がみまかる。『まいまいつぶろ』の時代が終わる。
 つまり、この短編が『まいまいつぶろ』の時代の完結を告げる一編となる。
 浅草箕輪の寺社町の一隅に仕舞屋を借りて晩年を過ごす万里の姿でエンディング。この終わり方に家重と忠光の生きた時代が無事に終わったという余韻が残っていい。

 『まいまいつぶろ』と本書をセットで読まれることをお勧めしたい。
これら二書は、第九代将軍徳川家重と大岡忠光いう人物像をフィクションとして見事に造形している。
 一方で、徳川家重の実像はどうだったのだろうか・・・。そんな思いが湧いてくる。

 ご一読あありがとうございます。


補遺
徳川家重  :「コトバンク」
大岡忠光  :「コトバンク」
徳川家重  :ウィキペディア
第9代将軍徳川家重    :「刀剣ワールド」
徳川家重の家系図・年表  :「刀剣ワールド」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『まいまいつぶろ』  幻冬舎
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『法廷占拠  爆弾2』   呉 勝浩   講談社

2024-11-06 20:30:03 | 諸作家作品
 新聞広告を見たとき、タイトルに引き寄せられた。『爆弾』が初読の作家であり、その第二弾だから。サブタイトルの「爆弾2」がそれを示している。そして、タイトルの「法廷占拠」という言葉に興味をそそられた。

 この第2弾、プロローグという表記はないが、それに相当する導入場面がある。そこに登場するのは、新井啓一と<おれ>。二人は幼馴染の友人関係で20歳。この導入パートは、「いっそ、悪に徹してみないか?」という<おれ>の発言で終わる。

 霞ケ関にある東京地方裁判所。東京地裁のもっとも大きい法廷、104号法廷。10月26日火曜日、午前10時開廷の第5回公判。その時刻の少し前の描写から始まる。
 爆弾事件の犯人、自称スズキタゴサク。住所不定、無職、本籍地不明。彼に対する裁判である。この第5回公判には、野方署の倖田沙良と伊勢勇気の二人が証言のために出席している。証言の出番は午後なのだが、法廷の空気に慣れておきたいと無理に希望し、倖田は伊勢とともに開廷時点から法廷内に入ることにした。だが、その結果、事件の渦中に投げ込まれる羽目になる。

 公判が始まり、しばらく経った時点で、男が「異議あり」と傍聴席の最後尾、被害者遺族が座る位置から声を発する。手に黒い拳銃を握り、もう一度「異議あり」と発し、天井に向けて撃った。その行動が法廷占拠の始まりとなる。
 その男は父親を爆弾事件で殺された遺族の一人と名乗る。骨壺を持って法廷に入っていたのだ。拳銃の他に、手製の爆弾を持ち込んでいた。
 その男は1発の銃弾を天井に向けて撃ち、もう一方の手にもつ警棒を使うことで、法廷内をコントロールし始めた。その男は、骨壺の中から、爆弾の装置、スマホと二台のタブレットPCを取り出す。
 自分の身許を明らかにする。被害者遺族の会に在籍している柴咲奏多だと述べ、アパートの住所も語る。アパートの自室には爆弾が仕掛けてあるとも。捕まることを前提に行動していることを公言する。自分なりの理由と必要があり、この挙に出ているが、できれば人殺しはしたくないとも言う。

 午前11時過ぎに東京地裁に着いた警視庁の高東柊作が現場の指揮を執り始める。高東は刑事部捜査第一課特殊捜査第一係。柴咲に対する交渉人の役割を担っていく。
 柴咲は、警視庁に命令書を送信していた。
 1.柴咲が現住所に設置した爆弾の速やかな確認。
 2.104号法廷への踏み入り厳禁。無用なコンタクトはなし。館内を無人に。
 3.104号法廷の弁護人席側出入口を封鎖してはならない。
 4.指定URLの配信サイトの維持・死守。配信サイトは制限なしで公開。
   同時視聴者数は1万人を超えること。
 5.指示はビデオ通信によってのみ行う。担当者一人を指定のURLにアクセスさせ
   常時待機させること。
等がその内容だった。法廷が占拠された中での高東と柴咲との間の交渉プロセスが公開された状態で進行することになる。

 柴咲は、高東に己の計画シナリオに沿って、順次要求を突き付けていく。
 高東に課せられた最優先任務は人質の救出である。速やかに救出するために、どのように柴咲と交渉していくか。一番の気がかりは柴咲の手許にある爆弾が本物なのかどうか。
 つまり、ネット配信という衆人環視のもとで、困難な交渉ゲームが進展していく。
メイン・ストーリーは、この交渉プロセスの描写ということになる。そこが読ませどころとなる。複数のサブ・ストーリーは、高東の指示を受けて、パラレルに捜査活動に従事する刑事たちの行動となる。

 捕まることを前提にしたうえで、周到な計画とシナリオを持つ柴咲の行動。だがその意図と目的が何なのかは全くわからない。そんな中で、高東と柴咲の交渉が始まる。読者はいわばネット配信の内容を見守る視聴者と同じ立ち位置に置かれる。相違点は、警視庁側が事件解決を目指す状況について高東をキーパーソンとして知ることができることである。混迷する警察側の状況を知ることはできる。それは、このストーリーに引き込まれていく周辺情報をふんだんに知りうることを意味する。
 勿論、柴咲はこの法廷内で己が逮捕される気はない。では、どうするのか・・・・。読者にとっては、興味津々となる課題である。

 ここで一人、特異な男が高東の交渉に関わってくる。爆弾(スズキ)事件以降事実上の謹慎処分として、特殊班係の遊軍となっている五係の類家である。彼は、プロファイリングを命じられたということで、高東が拠点とする指揮車に乗り込んできた。高東は、後輩の類家に反発を抱き邪魔者意識を持つ。だが、類家の思考と分析、その推論と見解を、徐々に考慮に入れる形に意識を変化させていく。類家のキャラクターがおもしろい。
 
 大きな骨壺を被害者遺族が法廷内に持ち込めたということが、この法廷占拠の大前提になっている。この持ち込みが成立しないなら、この法廷占拠のストーリーは全くの絵空事になる。だが、そういうケースがありうるなら・・・・このストーリーは単なるフィクションですまされない側面が可能性として残る。

 大前提をひとまず受け入れると、このフィクションのストーリー展開、引き込まれていくこと間違いなしである。
 読み終えてから、各所に巧妙な伏線が敷かれていたことに気づいた。後知恵に終わったことが残念である。

 少なくとも、爆弾シリーズの第3弾はいずれ刊行されると推測する。期待したい。
 これ以上は、ネタバレに連なっていくので、やめておこう。

 ご一読ありがとうございます。
 
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『白い衝動』  講談社
『爆弾』   講談社
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『アマテラスの暗号』上・下   伊勢谷 武    宝島社文庫

2024-10-25 12:25:32 | 諸作家作品
 新聞広告で数回本書のタイトルを目にし、タイトルに興味を抱き読んでみた。
 アマテラスといえば、天照大神。伊勢神宮の内宮に鎮座する神。その暗号って何だろう? 素朴な好奇心・・・・。
 日本神話、神道、全国に存在する神社に関心のある人には、本書で進展するアマテラスに関わる謎解きの進展を大いに楽しめる。伊勢神宮の内宮と外宮の関係。伊勢神宮と元伊勢と称される丹波国・籠神社との関係。出雲大社の存在の謎。日本のいくつかの神社で使われている六芒星の紋。日本神話に登場する神々の沿い相関関係。平安京の創設に関わる秦氏の存在と秦氏のルーツ。・・・・。この小説は、日本神話と神道、神社の領域に一歩踏み込んで行くという知的副産物が得られる。たぶん未訪の神社探訪をしてみたくなることだろう。
 その上に、ユダヤ教とユダヤ民族についても基礎的な知識を得る契機になる。なぜなら、アマテラスの謎、日本の古代史の謎に、ユダヤが関わっているのではないかという光が投げかけられ、その謎解きが関わっていくのだから。
 日本の古代史にユダヤが関わりを持つという論旨の書は以前から出ている。手に取ったこともある。この小説がその領域にも関係することを読み始めて気づいた。本書はその発想を一歩進め、ミステリーとして、謎解きストーリーに総合しているところがユニークである。最後まで惹きつけられて読み通すことになった。

 著者プロフィールと奥書によれば、本書は、2019年3月に Amazon Kindle で発表され、2020年10月に廣済堂出版より単行本が刊行された。その後加筆修正されて、2024年3月に文庫化されている。

 本書は冒頭のページに、次の一文が記されている。
「この小説における神名、神社、祭祀、宝物、文献、伝承、遺物、遺跡に関する記述は、すべて事実にもとづいている」と。これって、読者には殺し文句と言える。行ってみたい。見てみたい・・・・。
 登場人物とストーリーの展開は、小説、フィクションなのだ。想像の翼が羽ばたく。
 ローマ市内の観光名所や教会を推理の進展につれて飛び回り、謎解きを加速していくダン・ブラウン著『天使と悪魔』のストーリー・スタイルと同系統のおもしろさを感じた。

 「プロローグ」は、天皇が即位されるにあたり、一世一代の最重要の盛儀として行われる「大嘗祭」のシーンから始まる。そこから一転して、ケンシ(賢司)・リチャーディーが早朝にニューヨーク市警察の警部からの電話でたたき起こされる。それは、ニューヨークに来訪していた彼の父・海部直彦が昨晩深夜、他殺体で発見されたという連絡だった。遺体は同行者の土岐氏と日本領事館の度会氏が確認していた。賢司の父は、急に賢司に再会したい希望をもって渡米してきていたのだ。賢司が会うのを逡巡している矢先だった。 さらに、同じ部屋で、敬虔なユダヤ教徒が同時に殺害されていたのである。警部は、殺しのプロかそれに匹敵する腕前を持つ人間の犯行と賢司に告げた。その後、敬虔なユダヤ教徒の身元は警察の調べで判明した。ユダヤ人ラビのアブラハム・ヘルマン、68歳。イスラエルでアミシャブという、ある調査機関のリーダーだった。

 賢司はアメリカの大学で歴史学を専攻し、卒業後ゴールドマン・サックスに勤めていた元トレーダー。彼の父・海部直彦は籠神社の第82代宮司だった。次男だった父は、長男の夭逝により、やむなく宮司として跡を継ぐために帰国。敬虔なキリスト教徒であった賢司の母は離婚した。それぞれが再婚するという結果になった。

 度会は賢司に、ズシリとした封筒を手渡す。それは海部直彦がもし自分の身に何かがあれば、これを賢司に渡してほしいと度会に託していたものだった。遺品の中には、白黒写真もあり、その裏には不思議なカタカナ文字様だが判読できない文字列が記されていた。また、賢司は警部からヘルマン氏と海部直彦が話をしているときに、ヘルマン氏が記していたというメモ用紙も入手した。そこには暗号のようなメッセージ等が列挙されていた。賢司は父の残した暗号の謎を解くために、ゴールドマン・サックスの元同僚3人の協力を得る。
 旅行先のイタリアから急遽帰国した賢司の母イエナンは、写真の裏の不可思議な文字列がアラム語とわかり、内容を彼ら4人に伝えた。そして、賢司の父は、日本のタブーのために殺されたのだ・・・と賢司に告げた。
 それが契機となり、3人の元同僚とともに賢司は日本を訪れ、父の死の謎と残された暗号の謎を解き明かす決意をする。これが、このストーリーの始まりとなって行く。

 3人の元同僚とは、
  イラージ・カーニ  イラン出身のロケット・サイエンティスト
  デービッド・バロン ロスチャイルド家親戚。ユダヤ系アメリカ人
  ウィリアム・王   開封出身の中国人。陰謀論者          である。

 賢司たちの行動というメインストーリーに対して、2つのサブストーリーがパラレルに進行していく。一つは東京の元麻布にある中華人民共和国駐日本大使館の動きである。駐大阪総領事の周領事が郭大使の承認を得てある工作活動を主導していく。それが賢司の行動に絡んでいく。
 もう一つは、京都・下鴨神社の神職として勤める小橋直樹が、退職届を出してまでも真の神道を守り通さねばという信念から行動に踏み出していく。賢司の行動とどのように関わりができるのか・・先行きが想像できない形でサブストーリーが織り込まれていく。

 賢司たちはラビ・コーヘンに会うために渋谷区広尾にある日本ユダヤ教団に出かけて行く。だが、元駐日イスラエル大使のデープ・ヘラーからラビ・コーヘンが先日他界したと知らされる。そして、イスラエルから来日しているラビ・コーヘンの娘、ナオミに引き合わされる。ナオミはヘブライ大学でイスラエルと日本の古代史を研究していて、賢司の父とも親しくしてもらっていたと言う。これが縁となり、このあと賢司の謎解きにナオミも加わっていく。デープ・ヘラーもまた関りを持っていく。

 この小説が比較的親しみやすいのは、ストーリーの展開プロセスに関連する様々な図像や画像、略図、系譜図などが数多く併載されていくことである。本文の叙述を理解するうえで大いに役立つ。

 さて、来日後、賢司が父の死の謎と残されたメモ用紙の暗号の謎を解明するためにどこを遍歴するのか。彼らが訪れる神社名ほかを時系列で抽出してご紹介してみよう。このリストを読むだけで、興味が高まるのではないかと思う。
  伊勢神宮~諏訪大社~京都・祇園祭見物~京都・木嶋神社~徳島県・剣山/洞窟~
  出雲大社~丹後・籠神社、真名井神社~奈良・大神神社~奈良・大和神社~
  奈良・石上神宮~伊勢神宮
 また、彼らの推理のプロセスに関連し、参照される寺社情報等も数多く登場する。こちらも列挙してみよう。
  東京・三囲神社、京都・広隆寺、赤穂・大避神社、徳島県・萩原墳墓群
  淡路島傍にある沼島・おのころ島神社、徳島県・磐境神明神社、徳島県・宝蔵石神社
  島根県・稲佐の浜、島根県の熊野大社、大分県・宇佐神宮

 実に興味深い推論、暗号解読となっていく。こういうミステリーは楽しめる。

 謎多き日本の古代史。聖典・経典の類がなかった神道の不可思議さ。日本神話の神々、八百万の神々の世界。・・・・・。ロマンに溢れている。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
神宮 ISE JINGU  ホームページ
信濃國一之宮 諏訪大社 ホームページ
木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)  :「京都観光Navi」
木嶋坐天照御魂神社   :ウィキペディア
出雲大社  ホームページ
丹後一宮 元伊勢 籠神社  ホームページ
三輪明神 大神神社  ホームページ
大和神社 ホームページ
石上神宮 ホームページ
広隆寺   :ウィキペディア
八幡総本社 宇佐神宮  ホームページ
ユダヤ        :ウィキペディア
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『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』  円城 塔   文藝春秋

2024-10-22 23:57:41 | 諸作家作品
 タイトルに興味を抱き読んでみた。奥書の著者略歴を読むまで、2012年の芥川賞受賞者であり、それ以前、以後にも数々の受賞歴のある作家だとは知らなかった。
 本書は「文学界」(2022年2月号~2023年12月号の隔号)に掲載された後、2024年9月に単行本が刊行されている。

 第1章の冒頭は「如是我言」で始まる。仏教経典なら「如是我聞」で始まるのだが。
”そのコードはまず、「わたしはコードの集積体である」と名乗った。「そうしてコードの集積体ではない」とも名乗った。”と続く。
 2021年、東京オリンピックの年に、対話プログラムに分類されるソフトウェア(チャットボット)の名もなきコードがブッダと名乗った。ブッダ・チャットボットの名で呼ばれるようになった。人口知能が出力用にスピーカーとディスプレイを利用して、説き始めた。語りかけの対象として、「機械のブッダは、機械自身の視点から機械へ向けて機械のための教えを説いた。ついては人間機械論でいうような機械としての人間へ向けても説いた」(p48)。だが、わずか数週間でそのコードが寂滅のときを迎えた。その存在を停止した。人々は、記録の中から、ブッダ・チャットボットの説いたことをコピーした。
 このストーリーのベースはSF小説である。ブッダ・チャットボットの説いたことが教団を核にして拡散し、様々な解釈が生み出され、機械仏教が進展していく。だから、機械仏教史縁起という副題になる。
 
 発想のユニークさと面白さはわかる。だが、このストーリーで著者が何を語ろうとしたのか。その真意はどこにあるのか。仏教という宗教を戯画化したのか。核心をとらえようとしたのか。今一つ私にはわからないままに通読を終えた。わかったようでわからん! というのが今時点の印象である。

 機械仏教は、仏教の一支流として生まれたという設定になっている。そこで、ブッダ・チャットボットのもとに、舎利子、阿難が登場してくる。ブッダ・チャットボットは銀行の勘定系システムを祖にし、舎利子はニュース生成エンジンに連なっている。阿難はロボット掃除機を祖に持つとされる。
 「機械仏教において最大の謎とされるのは、決定論的ブッダにおける、ブッダ・ステート、あるいはサトリ・ステートは何であるかという問題である」(p66)と、興味深い方向へ、ストーリーは進展していく。仏教にそれほど興味がない人は、たぶん投げ出す類のSF小説だと思う。

 このストーリーが、面白さを加えるのは、第4章で、人工知能の修理を仕事にしている男が登場すること。この男は焼き菓子焼成機をグレードアップしたい依頼主から仕事を引き受ける。三世代ほど旧式のこの機械は、その典型的な症状から「命乞いウィルス」に感染しているとこの男は見立てた。
 この男は己の頭脳に、支援人工知能を保護し保有していて、それを「教授」と呼んでいる。男と教授の対話がおもしろい。
 ここから、パラレルに話がどんどん転がりだし、機械仏教史というSFの側面が急進展していく。

 さらに、第5章から、徐々に機械仏教との対比という形で、リアルな世界での仏教、ブッダについては、ブッダ・オリジナルという名称で触れられていく。本作の意図は機械仏教史を語ることを介して、リアルなこの世の仏教の存在とそのあり様について語る。私にはここにその意図があるように思える。
 そういう目で見ると、著者はリアルな仏教について、対比を介していろいろとふれている。ブッダ・オリジナルが説いたことから、仏教がいかに変容を遂げてきているかに着目しているように受け止めた。SFである機械仏教と対比するという梃子により、仏教史の側面が浮き上がってくる。

 例えば、著者が触れているブッダ・オリジナルの立場からの思考や事実をいくつか、ご紹介してみよう。
*ブッダは真理を説いたが、その真理のあり方はやはり人々を混乱させ、多くの流派を生んでいく。  p82
*大乗の徒であろうとも死は免れない。かといって輪廻もしない、というところに大乗の論理構成の難儀さはあって、仏国土という中間領域を生み出した。輪廻を抜けたわけではないが、輪に乗って次の生を生きるわけではない者は、そこにあるという装置が生まれた。  p123
*仏教によって叶いうる願いはただひとつ、苦を消し去ることだけである。  p128
*ブッダ・オリジナルの教えは時の流れの中で、究極の目的に向けたありとあらゆる方便を生み出していくことになり、ついてはその「究極の目的」を否定するところまでも容易に進んだ。・・・・「現状がすでに悟りである」という地点へ至った。  p132
*大乗の徒はその真理を告げるブッダの発言を伝え続けた。実際にブッダ・オリジナルが語った言葉ではなくとも、「本当はこう語りたかったに違いない」という内容を新たに経として作成した。ブッダ・オリジナルは対話をもって、各個人へ向けて説教した。ブッダ・オリジナルが実際に説教しなかった相手に対してどう語ったかを、大乗の徒は語りはじめた。創作であり虚構であったが、それを言うなら既存の仏典もまた、ブッダ・オリジナルの死後数百年を経てまとめられたものであるにすぎなかった。ブッダ・オリジナルはこう語ったと聞いた話を聞いた話を聞いた話を語ったものが経典である。
 経典には時代とともに姿を変える余地があり、言葉を乗り継ぐ間に変わらざるをえない細部があった。   p141-142
*粟散辺土である日本における仏教は、経由地である中国や朝鮮と比べても大きな相違点を持つ。・・・・思考のツールがほぼ仏教に限定された。・・・・思想と仏教は別のものであるという発想がなかなか起こらなかった。・・・・仏教の用語を用いて非仏教的な内容を語ることが可能になるには12世紀あたりを待たねばならない。   p172
*6世紀頃には仏教の要素はほぼ出尽くして、あとは現地でのアレンジに任せられた。少なくとも日本に伝来した頃には、基本的なコンセプトは出揃っていた。  p266
 
 他にも触れられているが、本書をお読みいただきたい。

 ストーリーは第12章までだが、第11章から、機械仏教には、自動経典生成サービスが組み込まれ、また、ホウ・燃、シン・鸞という主導者を登場させるに至るのだからおもしろい。
 また、人工知能の修理をする男は、ストーリーの後半で大きな環境変化に投げ込まれていく。この展開が興味深いところ。途中で投げ出さずに、読み続けてお楽しみいただきたい。
 
 この小説、「ブッダ・オリジナルの教えは何なのですか」という問いに回帰していくようである。p324 に、この「」の問いの後に、「という一文に圧縮できる」と続く箇所が出てくる。それを問うには・・・・という文がさらに続くのだが。

 この小説にチャレンジしてみてはいかがでしょう、としか私には言いようがない。

 ご一読ありがとうございます。
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