新聞広告で本書を知った。広告文面に興味を惹かれ読んでみた。その広告を見るまで著者を知らなかった。初読みの作家本となる。奥書によると本書は「小説現代」2022年3月号に掲載され、同年4月に単行本が刊行されている。
警察小説を読み始めて10年余になるが、このタイプのストーリーの進展のさせ方は、私の記憶では初めて接したものと思う。ちょっと特異な進展となっていく。その点新鮮な感覚があった。
まず、この単行本の表紙に触れておこう。
最初なにげなくみていたときは気づかなかった。よく見ると、東京タワーを中央にして鳥瞰的な暗雲の都内風景が、東京タワーを背表紙に据えて天地逆転した風景が使われている。その風景を地にして、爆弾の爆裂後のイメージが重ねられている。都内のあちらこちらで爆弾が破裂する。大都会のパニックの始まりを予感させる印象。この表紙の発想もまたおもしろい。
この小説、私にとっては初タイプの特異な進展と言った理由を述べよう。
本書は三部構成になっている。だが、その前に何の見出しもなく、3ページの文が始まる。普通のスタイルでは「プロローグ」とか「序」という見出しが付いているのだが・・・・。ここには、大学生の細野ゆかりが登場する。サークルの飲み会に参加する目的で日曜日の秋葉原に出て来た。その時のゆかりの心理描写である。その末文は、
いま、この街に隕石が落ちてしまえばいいのに。
その後が三部構成となる。第一部が137ページ、第二部が74ページ、第三部が107ページというボリュームになっている。第一部のウエイトが相対的に大きいと言える。
第一部に入った途端、全く細野ゆかりとは無関係なシーンに転換している。
場所はJR総武線中野駅を最寄り駅とする野方警察署の取調室。スズキタゴサク、49歳と名乗るだけの男を等々力功刑事が取り調べている場面である。スズキタゴクは、酒屋の自動販売機を蹴りつけて、止めにきた店員を殴ったことが原因で逮捕された。彼はのらりくらりとした態度で取り調べを受け続ける。このスズキが刑事に「十時ぴったり、秋葉原のほうで、きっと何かありますよ」と発言する。「いいかげんにしてくれ。冗談になっていない」と刑事は反応した。
スズキの指紋は前科者データベースに引っかからない。空っぽの財布を持つだけ、住所は忘れたの一点ばり。
9月27日22時1分、秋葉原の繁華街から外れ、往来に面していてテナントが去った空きビルの3階でガスを使った時限式の自家製爆弾が爆発した。同ビル3階の窓がいっせいに割れ、ガラスが路面に降り注いだ。
秋葉原での爆発が、取調室の等々力に伝えられた直後から状況は一転する。スズキは変わらない笑みのまま、等々力に告げる。
「あなたのことが気に入りました。あなた以外とは何も話したくありません。そしてわたしの霊感じゃあここから三度、次は一時間後に爆発します」と(p14)。スズキはあくまで己に霊感が降りたその内容を伝えるのだというスタンスを貫いていく。
1時間後に、東京ドームそばで爆発が起きる。ニュー番組がそれを報道し、取調室に居る等々力は、記録係の伊勢が示したパソコン画面の報道でその事実を知る。
この後、等々力は外され、爆弾テロの被疑者として、スズキは警視庁捜査一課特殊犯罪係の清宮によって引き続き取り調べを受けることになる。
第一部は、清宮によるスズキの取り調べに終始していく。清宮とスズキとの間での心理・思考合戦が延々と始まって行く。清宮はスズキから爆発物がどこに仕掛けられ、何時に爆発するように設定されているのか。こんな行為に及んだ動機は何か。これが単独犯なのか集団による犯行なのか・・・・。一切合財を聞き出そうとする。清宮には、類家と名乗る部下が付き添っていた。清宮がスズキを尋問し、類家は後で彼らのやり取りを傍聴する形となる。取り調べの記録係は引き続き伊勢が担当する。
爆弾の爆発時刻が何時で、場所はどこかを聞き出す尋問は、常にタイムリミットを考えながらの駆け引きとなっていく。現場の警察官たちは状況不明のままで、本部からの指示をうけて捜査に右往左往するという危機的状況に放り込まれて行く。一方で、スズキの犯した暴行事件を契機にスズキについての聞き込み捜査も行われて行く。
スズキタゴサクとなのる男は何者なのか?
霊感と言い続けるスズキから爆弾のヒントを得ようと清宮は質問を投げかけていく。スズキは<9つの尻尾>というゲームで心の形を当てるというゲームを清宮に投げかけ、2人の間でのやり取りが始まって行く。その会話の中で、スズキは巧妙に謎かけを試みていく。清宮と類家はその含意を分析し対処を始めることに。勿論、現場は振り回されることになる・・・・。現場の状況が点描的にパラレルに織り込まれて行く。こんなストーリー展開の警察小説は私には初めて。まさに特異な状況設定。スズキと清宮間でのまどろっこしいやり取りとその会話のテンポに、徐々に引きこまれていく。
<9つの尻尾>のゲーム中で、4問目として、スズキは「その人は長谷部有孔さんですか?」という質問を清宮に投げかける。長谷部有孔は元野方警察署の刑事だった・・・。
スズキの仕掛ける謎解きに清宮と類家がどう対応するのかというおもしろさ。読ませどころの一つはそこにある。その一方、現場でのカオス状態の描写とのコントラストがリアル感を高める。都民側の反響はほとんど描かれないというのもこのストーリーの特徴と言える。
第二部冒頭に、細野ゆかりがちらりと登場する。だが、なぜ著者は彼女を描くのか・・・。第二部は、清宮に代わり類家がスズキを尋問する形になる。スズキが清宮に「ほら、清宮さん。これがあなたの、心の形です」と発言した。それが、尋問の担当をバトンタッチする契機となる。類家が己のシャープさを発揮していくことに・・・・。
スズキが事前にアップする設定をしていた動画、都内に爆弾を仕掛けたという内容が放映されてしまう。それは、あくまで犯人に脅されての読み上げだという形で・・・・。事態は新たな局面に入る。著者は、都民の反応とそのカオス状況を読者の想像に委ねてしまう。
スズキがクイズで投げかけたヒントは、取り調べから外された等々力が担当する分野の捜査の先で、ある事実の発見へと導いていく。そこは、別のタレコミ情報を得た野方署沼袋交番勤務の矢吹と同僚倖田沙良が行き着いていた場所でもあった。等々力が行き着いた時には、爆発が起こってしまっていた。
第三部は、類家とスズキの間の心理・思考ゲームと現場サイドの捜査との交点が現れるステージへとつき進んで行く。
スズキは、「与謝野鉄幹はご存知ですか」と唐突に言い出し、「捨て置けない詩の一篇が」と言い、
人といふ人のこころに
一人づつ囚人がゐて
うめくかなしさ
となめらかに暗唱して、そして黙った。この詩が与謝野鉄幹のものではないことを承知の上で、スズキはそう言ったのだろう。それ自体がスズキの謎かけの一環だと思う。記録係の伊勢は誰の作かを知っていた。即座に発言する。
最終ステージに、細野ゆかりが登場する。ある駅での爆発事件に遭遇した被害者の一人として。ここで彼女は怪我人を助ける側の協力者となるのだが・・・。たぶん、著者はひとりの一般市民を象徴的にこのストーリーに登場させたということなのだろう。
事件からひと月が経過した時点の状況を書き加えて、このストーリーはエンディングとなる。
末尾の一文をご紹介しておこう。「最後の爆弾は見つかっていない」
このストーリーの舞台裏は廻り廻っておもしろい構成になっている。
類家は最後に、一方的に己の推理・思いをぶつける。
読み終えてはじめて、読者自身がその複雑に絡まり合った関係性をどう解きほぐし、理解するかを委ねられている。類家の推理・思いを下敷きにして・・・・・そう感じた。
もう一つ、こんな爆弾テロの状況はフィクションの世界だけのことであってほしい。
ご一読ありがとうございます。
警察小説を読み始めて10年余になるが、このタイプのストーリーの進展のさせ方は、私の記憶では初めて接したものと思う。ちょっと特異な進展となっていく。その点新鮮な感覚があった。
まず、この単行本の表紙に触れておこう。
最初なにげなくみていたときは気づかなかった。よく見ると、東京タワーを中央にして鳥瞰的な暗雲の都内風景が、東京タワーを背表紙に据えて天地逆転した風景が使われている。その風景を地にして、爆弾の爆裂後のイメージが重ねられている。都内のあちらこちらで爆弾が破裂する。大都会のパニックの始まりを予感させる印象。この表紙の発想もまたおもしろい。
この小説、私にとっては初タイプの特異な進展と言った理由を述べよう。
本書は三部構成になっている。だが、その前に何の見出しもなく、3ページの文が始まる。普通のスタイルでは「プロローグ」とか「序」という見出しが付いているのだが・・・・。ここには、大学生の細野ゆかりが登場する。サークルの飲み会に参加する目的で日曜日の秋葉原に出て来た。その時のゆかりの心理描写である。その末文は、
いま、この街に隕石が落ちてしまえばいいのに。
その後が三部構成となる。第一部が137ページ、第二部が74ページ、第三部が107ページというボリュームになっている。第一部のウエイトが相対的に大きいと言える。
第一部に入った途端、全く細野ゆかりとは無関係なシーンに転換している。
場所はJR総武線中野駅を最寄り駅とする野方警察署の取調室。スズキタゴサク、49歳と名乗るだけの男を等々力功刑事が取り調べている場面である。スズキタゴクは、酒屋の自動販売機を蹴りつけて、止めにきた店員を殴ったことが原因で逮捕された。彼はのらりくらりとした態度で取り調べを受け続ける。このスズキが刑事に「十時ぴったり、秋葉原のほうで、きっと何かありますよ」と発言する。「いいかげんにしてくれ。冗談になっていない」と刑事は反応した。
スズキの指紋は前科者データベースに引っかからない。空っぽの財布を持つだけ、住所は忘れたの一点ばり。
9月27日22時1分、秋葉原の繁華街から外れ、往来に面していてテナントが去った空きビルの3階でガスを使った時限式の自家製爆弾が爆発した。同ビル3階の窓がいっせいに割れ、ガラスが路面に降り注いだ。
秋葉原での爆発が、取調室の等々力に伝えられた直後から状況は一転する。スズキは変わらない笑みのまま、等々力に告げる。
「あなたのことが気に入りました。あなた以外とは何も話したくありません。そしてわたしの霊感じゃあここから三度、次は一時間後に爆発します」と(p14)。スズキはあくまで己に霊感が降りたその内容を伝えるのだというスタンスを貫いていく。
1時間後に、東京ドームそばで爆発が起きる。ニュー番組がそれを報道し、取調室に居る等々力は、記録係の伊勢が示したパソコン画面の報道でその事実を知る。
この後、等々力は外され、爆弾テロの被疑者として、スズキは警視庁捜査一課特殊犯罪係の清宮によって引き続き取り調べを受けることになる。
第一部は、清宮によるスズキの取り調べに終始していく。清宮とスズキとの間での心理・思考合戦が延々と始まって行く。清宮はスズキから爆発物がどこに仕掛けられ、何時に爆発するように設定されているのか。こんな行為に及んだ動機は何か。これが単独犯なのか集団による犯行なのか・・・・。一切合財を聞き出そうとする。清宮には、類家と名乗る部下が付き添っていた。清宮がスズキを尋問し、類家は後で彼らのやり取りを傍聴する形となる。取り調べの記録係は引き続き伊勢が担当する。
爆弾の爆発時刻が何時で、場所はどこかを聞き出す尋問は、常にタイムリミットを考えながらの駆け引きとなっていく。現場の警察官たちは状況不明のままで、本部からの指示をうけて捜査に右往左往するという危機的状況に放り込まれて行く。一方で、スズキの犯した暴行事件を契機にスズキについての聞き込み捜査も行われて行く。
スズキタゴサクとなのる男は何者なのか?
霊感と言い続けるスズキから爆弾のヒントを得ようと清宮は質問を投げかけていく。スズキは<9つの尻尾>というゲームで心の形を当てるというゲームを清宮に投げかけ、2人の間でのやり取りが始まって行く。その会話の中で、スズキは巧妙に謎かけを試みていく。清宮と類家はその含意を分析し対処を始めることに。勿論、現場は振り回されることになる・・・・。現場の状況が点描的にパラレルに織り込まれて行く。こんなストーリー展開の警察小説は私には初めて。まさに特異な状況設定。スズキと清宮間でのまどろっこしいやり取りとその会話のテンポに、徐々に引きこまれていく。
<9つの尻尾>のゲーム中で、4問目として、スズキは「その人は長谷部有孔さんですか?」という質問を清宮に投げかける。長谷部有孔は元野方警察署の刑事だった・・・。
スズキの仕掛ける謎解きに清宮と類家がどう対応するのかというおもしろさ。読ませどころの一つはそこにある。その一方、現場でのカオス状態の描写とのコントラストがリアル感を高める。都民側の反響はほとんど描かれないというのもこのストーリーの特徴と言える。
第二部冒頭に、細野ゆかりがちらりと登場する。だが、なぜ著者は彼女を描くのか・・・。第二部は、清宮に代わり類家がスズキを尋問する形になる。スズキが清宮に「ほら、清宮さん。これがあなたの、心の形です」と発言した。それが、尋問の担当をバトンタッチする契機となる。類家が己のシャープさを発揮していくことに・・・・。
スズキが事前にアップする設定をしていた動画、都内に爆弾を仕掛けたという内容が放映されてしまう。それは、あくまで犯人に脅されての読み上げだという形で・・・・。事態は新たな局面に入る。著者は、都民の反応とそのカオス状況を読者の想像に委ねてしまう。
スズキがクイズで投げかけたヒントは、取り調べから外された等々力が担当する分野の捜査の先で、ある事実の発見へと導いていく。そこは、別のタレコミ情報を得た野方署沼袋交番勤務の矢吹と同僚倖田沙良が行き着いていた場所でもあった。等々力が行き着いた時には、爆発が起こってしまっていた。
第三部は、類家とスズキの間の心理・思考ゲームと現場サイドの捜査との交点が現れるステージへとつき進んで行く。
スズキは、「与謝野鉄幹はご存知ですか」と唐突に言い出し、「捨て置けない詩の一篇が」と言い、
人といふ人のこころに
一人づつ囚人がゐて
うめくかなしさ
となめらかに暗唱して、そして黙った。この詩が与謝野鉄幹のものではないことを承知の上で、スズキはそう言ったのだろう。それ自体がスズキの謎かけの一環だと思う。記録係の伊勢は誰の作かを知っていた。即座に発言する。
最終ステージに、細野ゆかりが登場する。ある駅での爆発事件に遭遇した被害者の一人として。ここで彼女は怪我人を助ける側の協力者となるのだが・・・。たぶん、著者はひとりの一般市民を象徴的にこのストーリーに登場させたということなのだろう。
事件からひと月が経過した時点の状況を書き加えて、このストーリーはエンディングとなる。
末尾の一文をご紹介しておこう。「最後の爆弾は見つかっていない」
このストーリーの舞台裏は廻り廻っておもしろい構成になっている。
類家は最後に、一方的に己の推理・思いをぶつける。
読み終えてはじめて、読者自身がその複雑に絡まり合った関係性をどう解きほぐし、理解するかを委ねられている。類家の推理・思いを下敷きにして・・・・・そう感じた。
もう一つ、こんな爆弾テロの状況はフィクションの世界だけのことであってほしい。
ご一読ありがとうございます。