遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『惜別 鬼役五』   坂岡 真   光文社文庫

2025-01-30 23:58:57 | 諸作家作品
 一つのブログ記事での小説の長さ分類を参考にすると、本書は中編1、短編2から成る連作集で、「鬼役」シリーズ第5弾である。
 出版社が代わり、シリーズとして大幅加筆修正、改題して、2012年8月に文庫本が刊行された。

 新装版表紙

 最初の「婀娜金三千両」が中編、「加州力士組」と「天保米騒動」が短編である。
 文庫のタイトルが「惜別」となっているのは、読了してみて、この一語が収録3作品のテーマになっているという印象を持った。

 < 婀娜金三千両 >
 婀娜金に「あだがね」とルビが振られている。このタイトルがまず興味を惹く。「あだっぽい」という語なら知っていた。婀娜という語はそれをさすようだ。「あだ」の見出しで、この漢字を載せ、形容動詞として、「女性がなまめかしいさま。いろっぽいさま。あだっぽい」(日本語大辞典、講談社)と説明されている。
 ならば、婀娜金三千両とは何か。遊郭吉原が幕府に納める半季分の冥加金のことである。この冥加金を載せた荷車が水無月(陰暦6月)晦日の晩に浅草の菊屋橋付近で襲われて強奪されたいう事件が起こる。
 時は天保4年葉月(陰暦8月)、鬼役矢背蔵人介は、近習を束ねる御小姓組番頭橘右近から呼び出されて、この事件の事を聞かされる。そして、強奪された婀娜金三千両の行方を追えと命じられる羽目になる。鬼役とは関わりのない仕事だが、蔵人介は関わらざるを得なかった。橘右近は、元甲州勤番、神尾徹之進がその婀娜金の移送に関わっていたというのだ。神尾徹之進は、蔵人介と同じ道場で鎬を削った仲、無二の親友だったのだ。
 少し前に、蔵人介は夕餉の毒味で鯖にあたるという事態が起きていた。橘右近は、蔵人介に自宅での静養という名目で、この事件を追わせることに・・・・・。
 蔵人介は、尾州浪人、菊岡作兵衛という偽名で、吉原の用心棒に雇われる形で事件の解明に関わっていく。
 このストーリーの副産物は、遊郭吉原の仕組みと内情の一端が見えることである。
 そして、なぜ神尾徹之進が婀娜金三千両強奪事件との関わりとして、その名が出たかの解明が、事件の謎解きに繋がっていく。神尾に邂逅した蔵人介は神尾の復讐心を知る。
 事件の発端が、幕府内の闇に繋がっていく側面が読ませどころになる。
 蔵人介にとっての悲哀は、無二の親友、神尾との惜別と言える。


< 加州力士組 >
 長月(旧暦9月)28日、神楽坂、前國寺の毘沙門天の縁日、境内の水茶屋『百足屋』に巨漢力士5人が立ち寄り、加賀前田家の手木足軽に飲ませる酒はないというのかと、無理な注文をして、ひと騒動を起こした。その一人は己を紫電為五郎と名乗った。紫電の暴力で水茶屋のおしのがその夜亡くなる。おしのは元幕臣の娘でもあった。
 その場にたまたまいた蔵人介は、南町奉行所の同心に紫電の行状を言上した。勿論、己の役職、氏名を伝えている。これが発端となる。
 加賀藩留守居役の萩尾調所は、碩翁に働きかけ、仲介してもらい、この事件を握りつぶそうと、証言した蔵人介に圧力をかけてきた。
 神無月(旧暦10月)に御公儀が催す御前相撲に加賀藩から紫電が出場するという話がそこに絡んでいた。この御前相撲には、蔵人介は毒味役の職務のために土俵下、砂かぶりの位置に控えることになる。そこで、紫電を懲らしめる秘策を練っていた。
 つまり、力士の乱暴狼藉により元幕臣の娘おしんが死んだ事件が、雪だるま式にどんどん大事になっていく。その経緯が読者を惹きつけ、最後の鉄槌を蔵人介が振るう。読者は喝采で、楽しめる。
 このストーリー、その後にキッチリと最後のオチがつけられる。自業自得と言うべき結末。勿論、その引導を渡すのは、蔵人介である。「暗殺御用」ではないところがいい。
 
 余談だが、調べてみると、加賀藩に手木足軽という職制があったのは事実のようだ。勿論、紫電為五郎というのはフィクションだろう。一方、江戸時代後期に雷電爲右エ門(1767~1825)という大相撲力士がいた。さらに、雷電爲五郎(生年不詳~1785)という力士がいたことも事実のようだ。


< 天保米騒動 >
 品川の海晏寺に矢背一家が紅葉狩に出かけた折、門前の楊弓場で鐵太郎が初老の町人に人質に取られるという事件から始まる。その男の首は5日後に鈴ヶ森の獄門台に晒されたのだが、その素性を調べると、「丹波屋」という米問屋を営む商人だった。そこで、蔵人介はさらに調べてみると、天保の不作による飢饉のせいで発生している米騒動に絡む不正とのつながりが見え始める。というのは、丹波屋の跡地で、義弟の市乃進に声をかけられたのだ。市乃進は闕所物奉行の鳥飼新兵衛の不正を探索していた。
 市乃進の話を聞き、蔵人介は米騒動に絡む不正の真相を自ら確かめるべく、一歩踏み込んでいく。
 米騒動で米問屋の打ちこわしを扇動する者、その騒動を操る悪徳米問屋、幕府内部に巣くい彼らと結託する輩という構図が見えて来る。一方、そこには扇動され米騒動に加担し使い捨てにされる哀れな人々が居た。
 蔵人介の心中で悪を一掃するべしとの信念、怒りが爆発する。
 ここには米騒動に踊らされて死んでいった哀れな人々への惜別の情が根底にある。
 このストーリーの底流に、蔵人介の義弟、綾辻市之進の結婚問題が密かに進行していく。己の信念を貫いた結果である。その行為は上役や同僚には奇異に思えることだった。このシリーズの読者に取っては、明るく楽しいと受け止められる事象である。それはなぜか。本書で確かめていただきたい。
 
 この第5弾もまた、「暗殺御用」とは別次元での蔵人介の必殺行動に帰着する。

 ご一読ありがとうございます。
 
 

補遺
小説のジャンルー長編小説・中編小説・短編小説を作品の長さで分類 :「Hatena Blog」
加賀藩手木足軽と氷室に関する覚え書き  竹井 巌 :「北陸大学」
雷電爲右エ門  :ウィキペディア
無双力士 雷電為右衛門  江戸時代のおすもうさん :「雷電くるみの里」
雷電爲五郎    :ウィキペディア
天保騒動     :ウィキペディア
飢饉  天下大変 :「国立公文書館」
天保飢饉と米騒動 『福井県史』通史編4 :「福井県立図書館・文書館」

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『遺恨 鬼役四』    光文社文庫
『乱心 鬼役参』    光文社文庫
『刺客 鬼役弐』     光文社文庫
『鬼役 壱』      光文社文庫
『太閤暗殺 秀吉と本因坊』   幻冬舎
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