遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『虚ろな十字架』  東野圭吾   光文社

2024-01-09 16:45:43 | 東野圭吾
 著者の作品を読み継いでいる。新聞広告で文庫本刊行案内を見た。タイトルに関心を抱き、冒頭のカバーの単行本で読んだ。本作は書き下ろしとして、2014年5月に刊行されていた。ネット検索で調べてみると、2017年5月に文庫化されているので、昨年12月頃に見た新聞広告は増刷版の宣伝なのだろう。

文庫の表紙は、一歩ストーリーに近づいていて、かつ十字架を象徴的に意匠化したのだろう。

 表紙に使われている景色は、富士山の裾野にある樹海のどこかを示しているようだ。
 本作のストーリーの展開で重要な背景になるとともに、衝撃的な場所ともなることだけ言及しておこう。深い意味を込めた表紙である。

 プロローグは、井口沙織という少女と仁科史也という少年がレンタルビデオ店で偶然出会う。そして、互いに惹かれあう。沙織は「『大好きだ』その言葉を聞いた瞬間、身体が浮き上がるような感覚に包まれた」という行でプロローグが閉じられる。

 ストーリーは、中原道正が、ある経緯を経て引き継いで経営する『エンジェルポート』の事務所のシーンから始まる。そこは、ペットの葬儀場であり、火葬設備や個別納骨堂も具えている会社である。中原は以前は広告代理店で主にデザイン関係の仕事をしていた。ペット葬儀の会社を引き継ぎ、そろそろ5年になる
 事務所に電話連絡をした上で、警視庁捜査一課の佐山が訪れてくる。それは、浜岡小夜子さんが自宅近くで何者かによって刺殺されたという事実の告知。佐山たちは他殺の疑いで捜査を進めているという。鑑取り捜査の一環だった。
 なぜ、佐山が中原を訪ねてきたのか。浜岡小夜子は5年余前に離婚した中原の妻だったからだ。中原は離婚後、小夜子がどのような生活をしているのか、全く知らなかった。勿論、小夜子の実家とも疎遠だった。

 なぜ中原は離婚したのか。原因は、11年前に、小学2年生の娘、愛美を殺害される強盗殺人事件の被害者遺族になったことだ。このストーリーでは、この強盗殺人事件の捜査とその後の裁判の経緯が底流のサブストーリーとしてまず回顧されていく。
 犯人は、無期懲役の判決を受け、服役していた48歳の蛭川和男だった。仮出所中に中原宅に強盗に入り、愛美を殺したのだ。中原と小夜子は、被告への死刑判決を願った。中原と小夜子の心理の変遷が描き込まれる。裁判は紆余曲折の上、最終的に犯人に死刑判決が確定する。形の上では事件が解決したが、中原と小夜子は離婚をすることになる。
 佐山は、11年前に愛美が殺された時の捜査に加わっていた刑事だった。

 小夜子を刺殺した男が警察に出頭してきた。町村作造という70歳くらいの老人で犯行を自供している。だが、佐山は中原を再訪し、調べているが解らないことが多いという。その写真を見ても、中原は全く知らない男だった。被疑者の逮捕については一部の報道機関に発表はされていた。犯行の翌日に、町村は自首してきたという。
 これがきっかけで、中原は小夜子の実家に連絡を入れ、通夜に列席することになる。母親から、小夜子がフリーライターとして活動していたこと。被殺害者遺族の会という団体に入会し活動していたことを知る。
 通夜の場で、出版社に勤める日山千鶴子と名刺交換し、小夜子が記事取材の対象の一人にし、その後も交流関係を続けていたという女性を紹介される。その女性はイグチと言い、自分も焼香したいと日山に同行してきたのだという。日山は、小夜子が書いた最後の記事の掲載誌を中原に送ると約束した。
 日山から約束の雑誌が中原に送付されてきた。小夜子が書いた記事を読んだことで、中原は小夜子がフリーライターとして活動していた時のことを知りたいと思うようになる。
 小夜子の母親から裁判に向けての準備ということで会いたいとの連絡が入ったことで、中原は母親と弁護士に会う。その時、中原は小夜子が単行本として出版したいと思っていたらしい原稿を母親から見せられた。『死刑廃止論という名の暴力』というタイトルの原稿である。中原はそれを預かって読むことに。小夜子は娘の愛美が殺されたことを基盤にして、加害者は死刑にされることが当然であるという立場を一層堅固にしていたことがわかる。
 次のパラグラフが出てくる。
「しかし小夜子は違った。自分たちにとってあの裁判は一体何だったのかと考えた時、被告を弁護した側のことも知りたいと思ったのだ。何事も一方からの視点だけでは真の姿は把握できない。そんな簡単なことに気づかなかった自分を、中原は恥じた。」(p141)

 その後、小夜子がフリーライターとして活動していた時の遺品を見せてもらうために浜岡家を訪れる。これを起点として、中原は小夜子の活動の軌跡を調べ始める。

 一方、パラレルにもう一つのサブ・ストーリーが始まっていく。それは、慶明大学医学部付属病院に小児科医として勤務する仁科史也を妹の由美が訪れるという場面から始まっていく。由美自身も東京住まいであるが、郷里の富士宮市に住む母親の代理として兄に会いに来たのだ。母親は、史也の結婚した相手である花恵を息子の嫁として好ましくないと嫌っていて、離婚するように願っていた。そこに、花恵の父で、史也には義父となる町村作造が殺人事件を起こすという事態が起こった。母親の意志はますますエスカレートしていく。当事者の史也にはまったく離婚の意志はない。
 そして、花恵の過去、花恵と史也の出会いへと遡っていく。
 また、現実の行動として史也は、義父の起こした事件に関して、浜岡小夜子の両親宛に、史也と花恵の連名でお詫びの手紙を書き、送付するという行動を取る。

 中原には、佐山刑事から聞いたことと、このお詫びの手紙に出てくる仁科史也に接点が見つかることで、加害者側の家族への関心が生まれていく。そこから小夜子が殺害された真因を中原が解明するプロセスが進展していくことに・・・・・。
 事件の真相を究明するのは中原である。佐山刑事はここでは脇役的存在となっている。
 
 本作は、中原の娘の愛美が殺された事件と、離婚した元妻の小夜子が殺された事件を契機にして、死刑という問題に光を当てていく。被害者家族の立場・意識からの死刑判決主張論、法律の規定と殺人事件の実状を考慮した死刑判決に対する法律適用判断の根拠、あるいは過去の判例からみた量刑の判断などの側面がクローズアップされてくる。
 死刑とは何か。「償い」とは何をいうのか、どういう状態であることをさすのか・・・・・その問いかけは重い。読者は、死刑肯定論、死刑廃止論などについて考えざるをえない立場になる。推理小説としては、少し異色な側面にチャレンジしている作品である。

 本作のタイトルは、「虚ろな十字架」である。本作には、このタイトルが由来したと思える文章が三カ所に出てくる。引用しておきたい。

*一体どこの誰に、「この殺人犯は刑務所に○○年入れておけば真人間になる」などと断言できるだろう。殺人者をそんな虚ろな十字架に縛り付けることに、どんな意味があるというのか。
 懲役の効果が薄いことは再犯率の高さからも明かだ。更生したかどうかを完璧に判断する方法などないのだから、更生しないことを前提に刑罰を考えるべきだ。  p153
   ⇒ これは小夜子の原稿の中の文として載せられている。
     小夜子は原稿を『人を殺せば死刑--そのようにさだめる最大のメリットは
     その犯人はもう誰も殺さないということだ』で締めくくる。

*今の法律は犯罪者に甘いですからね。人を殺めた人間の自戒など、所詮は虚ろな十字架でしかないのに。だけどたとえそんな半端な十字架でも、せめて牢屋の中で背負ってもらわなければなりません。この罪を見逃せば、すべての殺人について見逃す余地が生じることになります。そんなことは絶対に認められませんから。 p300-301  ⇒中原の発言

*刑務所に入れられながらも反省しない人間など、いくらでもいます。そんな人間が背負う十字架なんか、虚ろなものかもしれません。でも主人が背負ってきた十字架は、決してそんなもんじゃない。重い重い、とても重い十字架です。 p306  ⇒花恵の発言 
 
 さて、このストーリー、読者にとっては思いもよらぬ方向へとつき進んで行く。
 読み進めながら、その意図が全く推察できなかったプロローグ。その意図が最終段階になって、突然鮮やかにつながってきた。本作のストーリー構成は見事に読者を翻弄させる。エンディングのさせかたも興味深い。

 お読みいただきありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『マスカレード・ゲーム』    集英社
「遊心逍遙記」に掲載した<東野圭吾>作品の読後印象記一覧 最終版
                 2022年12月現在 35冊
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『玉麒麟 羽州ぼろ鳶組』  今村翔吾    祥伝社文庫

2024-01-02 23:48:14 | 今村翔吾
 2024年の最初の本ブログへの書き込みとなります。

 元旦早々に石川県能登沖を震源とした大地震が発生しました。もう一つのブログへの書き込みのまとめを作成している時に、震度3の揺れを体験。さらに2日の今夕、羽田空港での飛行機の接触による火災発生事故の発生を報道で知りました。
 年初早々に、この思わぬ事態が連続して発生していることを報道を通じて目撃するというのは、我が人生において正に初めての経験です。
 被害に遭われた方々にお悔やみ或いはお見舞いを申し上げます。



 波乱の年明けとなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。
 
 拙い読後印象記ですが、引き続きお読みいただければうれしいです。



 さて、羽州ぼろ鳶組シリーズの第8弾を年末から元旦にかけて読み終えた。江戸で発生した火事の火消を扱うこのシリーズの中では、少し異色の展開をする作品となっている。
 ぼろ鳶・新庄藩の侍火消で、頭取並の鳥越新之助が、火盗改、江戸の全火消から追跡捜索を受けるというとんでもない危機状況に追い込まれるというストーリー。
 本作は、平成31年(2019)3月に文庫書き下ろしとして刊行されている。

 前作で鳥越新之助は江戸の豪商橘屋の娘と見合いをした。その最中に火事発生の半鐘の音を耳して、見合い現場を中座し、火事場に駆けつけた。今回はその見合いについて、思い悩んだ末に、自ら先方に断りを告げるために橘屋に向かう決断をした。だが、橘屋に出向いたことが、新之助には凶と出る。何故か、橘屋がその夜、火事で焼失してしまうのだ。火事そのものは近隣わずかの被災にとどめることができ消し止められた。だが、火災現場の状況から数カ所同時の火付けが行われたことが判明。主人はじめ家族・奉公人共々15人が縛り上げられ惨殺されていた。豪商一家の娘二人は下手人の人質となった。
 夜間に日本橋の商家の炎上を、真っ先に近くを通りかかっていた火付盗賊改方が気づき、現場に直行。炎上する商家から下手人と思しきものが娘二人を連れて出て来た。火盗改方の囲みを、片手で剣を振るい突破したという。
 その結果、速やかに、火盗改並びに江戸の全火消が娘を連れて逃走した下手人を捜索して捕らえよとの幕府の命令が出た。
 下手人が一旦追い詰められたところに、加賀鳶の一花甚右衛門が向かい、下手人と目される男と対決する。その対決で甚右衛門は相手が新之助だと気づく。新之助は何とかこの窮地を脱することになるのだが、新之助がその時連れていたのは娘二人の内の姉だけだった。

 一方、新之助が自宅に戻って来ないという不審な状況から、源吾らは新之助を探そうとし始める。
 だが、幕府が下手人追補の命令を発したのと、時を同じくして、新庄藩江戸屋敷には別の命令が出された。新庄藩家臣、中間に至るまで一歩も屋敷を出ること罷りならんという出入り禁止の命令である。命令を破れば改易もあると厳命されているという。松永源吾をはじめ火消したちは足止めされてしまう。
 さて、源吾どうする?

 このストーリー、新之助の置かれた状況。新之助を探そうとする源吾たちの置かれた状況。いずれも八方塞がり的な状態からストーリーが動いていく。
 それも、新之助の置かれた状況を全く把握できない松永源吾の立場から描かれてくところがおもしろい。間一髪のタイミングで、彦弥・武蔵・寅次郎は、源吾の意を察していて屋敷から外へ偲び出ていた。当面は源吾にとり彼らの情報収集が唯一の情報分析の判断材料になっていく。

 新之助が下手人? 彼の人柄を知る火消たちは、甚右衛門をはじめとして、下手人は新之助が犯人ではないと信じる故に、橘屋の火事には何か裏があると感じ始める。それぞれ独自の動きを取り始める。
 江戸火消の行動は二分していく・・・・新之助を下手人と見做す火消と見做さず疑惑を抱き、独自の判断と行動を取り出す火消。

 田沼の意を受けて、今は長谷川平蔵を名乗るかつての銕が、新之助がなぜ火付け・惨殺の下手人とされているかの捜査を始めて行く。
 
 源吾たちの動きをメインに描きながら、橘屋の火事の当日の新之助の動きが、途中から新之助の行動として、要所要所でパラレルなストーリーとして織り込まれていく。そこに、さらに、長谷川平蔵の捜査行動のサブストーリーがパラレルに動き出す。親新之助派の火消の動きがそこに共振していく。
 橘屋の火事と消火を描くのはほんのわずかのボリュームにすぎない。あとはまさに推理小説といえる。
 なかなかおもしろいストーリー構成になっている。

 なぜ、本作のタイトルが玉麒麟なのか。それは大陸の書『水滸伝』に登場する百八星の好漢の第二位である盧俊義の渾名が「玉麒麟」であり、新之助は幼いころにこの盧俊義のような男になりたいと思っていたという。そんな記述が後半に出てくる(p291)。そこに由来するようだ。

 最後にちょと気になったことに触れておく。ストーリーの文脈から考えて、名前が誤植だと思う箇所である。p288で気がついた(3行目。玉枝ではなく琴音と私は思う)。私は校正ミスと思うのだが・・・・私の読み方が間違っているかもしれない。
 まあ、ストーリーに大きく影響するわけではない。

 いずれにしても、おもしろく読める作品である。江戸火消についての蘊蓄が各所に書き込まれていて、その点も勉強になる。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『狐花火 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夢胡蝶 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『塞王の楯』   集英社


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