散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

ドラマJIN-仁-の魅力・坂本龍馬について

2019年06月15日 | ドラマ仁
いまさらながらドラマ仁をきちんと見ました。配信されているからです。

憎まれ役のように見えて素敵な人物が登場します。例えば橘栄・麻生祐未さん。多紀元琰・相島一之さんです。このうち多紀元琰は実在の漢方医で、上野戦争の際、官軍の中を「当時朝敵徳川慶喜家来多紀養春院」と名乗って突破したという逸話が残っています。

訳すると「いまの段階では朝敵である徳川慶喜の家来」ということです。本当だとしたら山岡鉄舟と同じような気骨です。

憎まれ役ではないが、街の茶屋の娘、橋本真実さんなどもきっぷがよくていい感じです。

さて

坂本龍馬は内野聖陽さんで、非常によい感じです。かっこよすぎない所がいい。それでいて時々眼光が光ります。いつもはふざけていますが、時折真顔になります。その使い分けのうまさ。内野聖陽さんは凄い役者なのだと改めて感じます。

龍馬暗殺はちと複雑です。大久保が示唆して幕府見廻組(史実としては彼らが犯人)が近江屋に踏み込むがこれは龍馬不在で失敗。大久保は損な役回りです。で結局は江戸から来た刺客が襲う。その中には橘咲の兄の橘恭太郎も含まれています。彼はこれを悔い、何度か死を考えるという設定です。上野戦争で死のうとしますが、命長らえ、結局龍馬の意志を継いで保険制度の確立に尽力したという流れになります。

が、実はこの刺客も直接の犯人ではありません。直接に斬ったのは龍馬の護衛役で、龍馬を理解していたはずの東という長州武士です。実は龍馬は兄の敵でした。でもこのタイミングで何故斬ったかについては作品内の人物の見方も分かれています。人に殺されるぐらいなら自分でとか、南方仁が治すことを前提に斬ったとか、いろいろです。東自身はその後切腹します。作品内で作中人物が色々な理由を語るので、見る人に判断は任せるという構造になっています。南方仁は治療に全力を尽くしますが、ペニシリンが効かない菌によって龍馬は死亡します。

龍馬の船中八策は歴史の改変で「船中九策」だったとされます。九策目が保険制度の確立です。龍馬暗殺を悔いた橘恭太郎はそのために尽力したことになっています。現代の公的保険を超えた無料制度みたいです。最終回でちらと描かれます。

龍馬は迷いもある人間で、スーパーマンでもなく、過度に偉大な人物ともなっていません。その抑制された感じがいいと思いました。

私は実はそんなに龍馬ファンというわけではないのですが、この龍馬は良かったと思います。司馬ファンで龍馬がそんなに好きじゃないというのは珍しいかも知れませんが、実際そうなのです。「龍馬伝」を見直したこともありません。画面が汚く、焦点化する人物を取り違えた変な作品だったというイメージのみです。あの龍馬に比べれば、内野龍馬は格段に魅力的です。

さてこのドラマ、色々疑問はありつつも実によくできたドラマです。最後の最後は橘未来という女性の手術シーンで終わります。南方仁先生はたしか一度この手術に失敗したはずです。難易度はパラレルワールドでも同じはずです。しかし表情は治せるという自信に満ちています。一人の医者の挫折と復活の物語でもあります。

坂の上の雲・リアリズム・天気晴朗なれども

2019年06月15日 | 司馬さん
司馬さんが亡くなってから22年です。坂の上の雲についてちょっと調べたら「児玉源太郎の行動」について「史実とは違う」という指摘があるようです。

そうなのかも知れません。なにせ「児玉源太郎のくだり」は面白すぎます。全体に戦記的記述が多いこの作品にあって、児玉源太郎の言動は際立って「小説的」です。乃木から指揮権を奪い、しかし乃木はそれと気が付かず、児玉は作戦の変更を求め、旅順を攻略する。児玉対硬化した軍事官僚の戦い。一番好きな場面です。あれは「史実とは違う」のかも知れません。しかし小説としてはよくできています。司馬さんがあのシーンで何を描きたかったのかもよく理解できます。ちなみに史実か否かはまだ「論争あり」の段階のようです。

日露戦争の勝利によって、日本軍はかなりオカシクなっていきます。不敗神話に洗脳され、現実を直視できなくなっていく。日露戦争の勝利から、日中太平洋戦争の敗北がスタートします。それは小説内においても暗示されています。

主人公は秋山好古・秋山真之・正岡子規です。

秋山真之は日本海海戦の作戦を立てた参謀で、バルチック艦隊の壊滅という「奇跡」を起こした人物です。そもそもは文学畑で、正岡子規や夏目漱石とは同級です。

日本海海戦時の出撃の際の「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」という報告は、名文とされています。波高しの部分が作戦遂行の可・不可を物語っているからです。

しかしこの「美文」「名文」に対して、海軍大臣のち総理の山本権兵衛は「批判」を行います。

事実を淡々と語るべきであり、美文、名文はそもそも必要なく、必要ないばかりか、現実を粉飾する結果に陥る危険があるというのです。

この山本権兵衛の憂慮はやがて的中します。そして日中太平洋戦争中の「空疎な報告文」の大量作成につながっていきます。

この小説は、明治期に軍人・政治家が有していたリアリズムを描き、同時に勝利によってそれが失われていくことも暗示しています。

男系天皇論議を傍観する

2019年06月15日 | 天皇
学問的には、つまりほぼ全ての歴史学者は、神武天皇は実在しないとしています。ほぼ全てですから例外もいます。安本さんとか。古田さんもそうかな。

元号が変わった時、神武とか男系天皇を巡る論議とかを「傍観」しながら、いろいろ面倒だなーと思っていました。

わたしの感覚だと、

・実在した天皇が6世紀の継体天皇からでも、何も困らない。

・BC660年頃に神武天皇というか天皇など実在するわけないし、実在しなくても何も困らない。

・万世一系じゃなくても別に何も問題はない。

・男系神話もありえないし、男系じゃなくても何も困らない。

わけです。

天皇制というのは法治国家上の役割であって、そこに何も神秘的なものは感じないからです。象徴天皇制に限定するならその歴史はまだ70年程度です。

それなのに「女系天皇が誕生すると日本が滅びる」的な感じで熱くなる方がいます。

そういう人に対して「神武天皇はいない」とか「万世一系は嘘だ」とか「女系でも何の問題もない」とかいうと「大変なことになり」ます。

だからこのブログはそんな主張をしてはいません。いませんから安心してください。「私の感覚」を書いているだけです。

「と学会」の元の会長だった山本弘さんが「南京大虐殺では論争するな」ということを書いています。相手は「無敵くん」なのだから無駄ということです。

万世一系、男系論者も「無敵くん」です。とても論破などできません。まあこっちも自分の感覚を信じているので、ある意味「無敵くん」なのですが。

山本さんは「南京では一万人は殺されたから大虐殺といっていいだろう」としながらも、中国に「謝る必要はない」とも書きます。

その理由は「だって僕は何も悪いことしてないもん!」というものです。

一般市民の私としては「その通り」なわけです。私は政治家ではない。従って自分が生まれてもいない時代に、日本人がやったことに責任をとることはできません。実際責任はないからです。生まれてないのです。

じゃあまた同じことをやるのかと言われれば「やるわけないじゃん」で終わりです。戦後日本人は「戦争では」「直接には」70年以上一人も殺してはいないのです。

もう少し真面目に書くと、私は南京大虐殺に関与していませんし、生まれてもいない、関与していない以上、反省もしないわけです。ただ、反省しないとしても、戦争におけるあらゆる残虐行為には反対だし、「知ることの重要性」は感じます。

さて、現代においても日本人が起こした殺人事件について、責任をとることなどできません。知らないところで知らない人がやったことです。

万世一系についても、別にわたしとは何の関係もないわけです。皇国史観の強制が今もあれば、関係してきますが、現代はそれも目立ってはありません。

つまり日本の天皇制が世界最長でも最長じゃなくても、男系でも女系でも、わたしには何の関係もない。それで私が偉くなるわけでもなく、卑しくなるわけでもありません。

日本の偉人として例えばIPS細胞の山中伸弥教授がいます。ノーベル賞もとりました。彼の研究は偉大です。しかしそれは彼が凄いわけす。同じ日本人だからと言って、私まで凄くはなりません。山中先生に何の協力もしていないし、会ったこともありません。

分けて考えることが必要だと思うのです。

大きな車に乗っていると気が大きくなる人がいますが、実際は車が大きいだけで、人間が大きくなったりはしません。

あくまで私の感覚を書いているだけなので、不快を感じた方はご容赦ください。ただウソは書いていません。