散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

TBSドラマ「関ヶ原」の素晴らしさ・太閤の為に涙する徳川家康

2019年06月23日 | 関ヶ原
映画「関ヶ原」は悪夢ですが、同じ原作でありながら1981年TBSドラマ「関ヶ原」は史上最高の日本時代劇かも知れません。

☆言うまでもないことですが、ドラマはドラマです。史実じゃありません。ドラマはフィクションであり、フィクションとして楽しむものです。

加藤剛さん演じる三成、三船敏郎さん演じる島左近、高橋幸治さん演じる大谷刑部、三國連太郎さん演じる本多正信、杉村春子さん演じる寧々、沢村貞子さん演じる前田まつ

松坂慶子さん演じる初芽、そして森繁久彌さん演じる徳川家康

文句のつけようがありません。

まず「前田まつ」から。家康に謀反の濡れ衣を着せられた前田利長はうろたえます。しかし、利長の母であるまつ・芳春院はぴしゃりと言います。「家康殿のねらいも分からないのか。とにかく謝って徳川殿の手に乗らないことだ。あなたには徳川殿と天下を2つに割って争う器量はない。前田の家は利家と自分が作った。あなたはそれを守ればいい。それがあなたの器量です」

次に島左近「この傷ではもう先が知れておる。三成の殿は落ちそうらえ。人はそれぞれに自分に似合った舞を舞う。それでいいのじゃ」左近に三成は言います。「左近、わしはそちと舞いたいのだ」左近「心得てござる」・・・さらばじゃ、正義のお人・・・「ここから先は地獄への旅じゃ、ついてきたいものだけついて来い、目指すは徳川家康ただ一人」

大谷刑部は裏切り金吾に対し「とうとう裏切ったか。ゆくぞ。裏切り者を討て。みな死ねよーし。卑怯者を一人でも多く連れていくのだ」
そして切腹に際しこう言います。「三成、地獄で会おうぞ」

地獄なのです。あの世ではない。自分たちには地獄が似合っていると思っているわけです。奥深い。

初芽についても色々書けますが、長くは書きません。とにかく美しいのです。

三成は捕らえられ家康と対面します。ふたりとも何も言いません、家康は正信に「斬れ」と短く言います。三成は思います。「おれは斬れても義は斬れるものか」

廊下にでた家康は正信に言います。「三成に礼でも言うべきであったか」

そして、ここが好きな場面なのですが「家康が太閤と三成の為に泣く」のです。

「豊臣家子飼いの大名たち、ああも無節操に裏切れるものか。喜ぶ反面心が冷えたわ」

「せめて三成のような家臣がいて、太閤殿も初めてうかばれたであろう」・・・そういって家康・森繁久彌さんは涙を流します。

原作ではこれは「黒田如水の心の声」として描かれています。

秀吉の晩年、もはや大名から庶民にいたるまで、その政権が終わることをひそかに望んでいたにも関わらず、あの男(三成)は、それをさらに続かせようとした。すべての無理はそこにある、と如水は言いたかったが、しかし沈黙した。かわりに
「あの男は、成功した」と言った。ただ一つのことについてである。あの一挙(関ケ原)は、故太閤へのなりよりもの馳走(贈り物)になったであろう。豊臣政権のほろびにあたって、三成などの寵臣までもが、家康のもとに走って媚びを売ったとなれば、世の姿は崩れ、人はけじめを失う。かつは置き残していった寵臣からそこまで裏切られれば、秀吉のみじめさは救いがたい。その点からいえば「あの男は十分に成功した」、と如水は言うのである。

さてドラマ。

最後は初芽と正信の会話で終わります。
「わしは三成殿に救われた。わしと三成殿は似ている。知恵ある者は憎まれる。わしはそれを教えてもらった」
「あなたは、三成様とは少しも似ておられません」

呉座勇一「陰謀の日本中世史」・豊臣秀次の切腹・面を洗って出直してください

2019年06月23日 | 呉座勇一
呉座さんが立てている大テーマは「石田三成は徳川家康にはめられたのか」なのですが、ここではその序章部分にある「豊臣秀次事件」のみを扱います。

私は学者でもないくせに金子拓氏とか藤田達夫氏に「噛み付いて」いますが、それはただ「本を読んでも論旨がたどれない。論理破綻、論理の飛躍が目立ちすぎる」からです。初めに結論ありきで、その結論に一次資料をあてはめていく。一般読者が読めない一次資料でウソくさいことを補強する。その姿勢が読者として不快というだけです。私は学者ではない。つまり感想です。

本郷和人さんが「『信長は革命児にあらず』論の資料の読み方は、はっきり言って、あまりにも幼稚だと思う。先学が『ウラを読ん』で達成してきた成果を台無しにしてしまう暴論のような気がする」と書いていますが、私は「幼稚」というか「変だな、そういう風に結びつかないだろ」と思うのです。一読者としての感想です。

呉座さんの場合「応仁の乱」ではあまりそういう飛躍を感じませんでした。こっちの知識不足もあります。

でも「織豊時代」なら多少の知識もあります。そうすると「あら」や「強引な論理」が多少見えてきてしまいます。

最初に「勘弁してくれよ」と思ったのは「初歩的なミス」です。「秀次切腹」に関して一次資料として「言継卿記」を挙げているのです。268ページ。そんな馬鹿なと思いました。だって言継卿記の山科言継は1579年に死んでいるのです。1595年の秀次切腹に言及できるはずありません。でも載っているのかもと思って調べたのですが分かりません。

結局「言経卿記」(ことつねきょうき)と「言継卿記」を間違えていることが分かりました。初歩的なミスなんでしょうが「どうも怪しいぞ」と思わせるには十分なミスでした。

で「豊臣秀次は冤罪だった」という章を立てるのですが、陰謀否定論としてこれはどうなのでしょう。だって多くの日本人が冤罪だろうと思っているのです。つまり「冤罪だった」の方が一般理解に近いのです。真田丸もそう描いていました。

「冤罪だったと言われているが、冤罪ではなく本当だった」というのなら新鮮味もあります。「冤罪だった」では「みんなそう思っているのでは」と思えてしまいます。

そして「でも謀反じゃなかったとすると、一族妻子侍女まで皆殺しが重すぎる」という点に言及するわけです。これはみんな思う疑問です。秀次が邪魔で、秀吉が冤罪をしくんだとしても、一族皆殺しまでするか、親豊臣大名の娘まで殺すかとは誰もが思うことでしょう。

すると矢部健太郎氏の意見を紹介します。「秀吉は殺すつもりはなく高野山追放が方針だった。ところが秀次は勝手に抗議の切腹をしてしまった。抗議の切腹という評判が広まっては秀吉の権威に傷がつくので、秀吉は秀次を謀反人として扱うしかなかった」というものです。

しかし呉座氏はこの矢部氏の意見を細かく紹介しながら、矢部氏に全面賛成とは書きません。

そして呉座氏自身の意見として「秀吉は秀次を精神的に圧迫し、秀次自ら切腹するように仕向けたのではないか」と書きます。呉座氏たちが信仰を持っている「一次資料の裏付け」はあるのかなと思うと、「太閤さまぐんきのうち」に家老を切腹させたとあるがそれが傍証だと書きます。272ページ。

呉座氏がどれほどの「トンデモ」を書いているかお分かりでしょうか。私は呉座氏というファンの多い人に「噛み付く」つもりはないのですが、残念ながらこの秀次の部分はトンデモです。

・一次資料が大切と言いながら、その資料の名前を間違えている。自分で資料にあたっていないから。自ら校正チェックもしているはずで、自分が苦労して資料を読んだなら間違えるわけがない。
・一次資料を書いた公家や女官に「真相が理解できたか」を検討しない。
・矢部氏の意見のうち後半部分(赤字)は推測である上、「評判が広まっては権威が傷つくから謀反人にした」という論理はおかしい。普通は「病死にすればいい」だけのこと。呉座氏はそれを指摘しない。ちなみに矢部氏の意見の前半部分も所詮は推測である。
・「太閤さまぐんきのうち」という「誰もが認める資料性の低い文章」をいきなり持ってきて、「精神的に圧迫し、秀次自ら切腹するように仕向けた」という自分の「推測に過ぎないもの」の根拠とする。しかも資料には「圧迫して切腹させた」という記述はみじんもなく、ただ「家老を切腹させた」とあるだけである。

見るも無残とはこのことです。歴史家が「あえて陰謀論に挑む」という勇気には拍手を送りたいのです。歴史家は陰謀論に関わらないというのが学会の基本的姿勢です。

そういう勇気は応援したいのですが、「この記述に関する限り」、面を洗って出直して来いということです。ト学会に陰謀否定のイロハを教わってほしい。

私はただの読者なので、もうこの人の本は読まないぞと思いました。なんか残念です。