藤本正行氏、「長篠の戦い・信長の勝因・勝頼の敗因」(歴史新書y)を読んでみました。「勝頼側の敗因は情勢分析の失敗であり、信長の勝因は、鉄砲だけでなく、総合的な戦力差を利用した作戦勝ちだった」という説明が、表紙裏についています。
難しくはないのです。でも最初「何が言いたいのか」が分かりませんでした。
何故かというと、
藤本氏は
1、信長が多数(千挺以上の鉄砲)を使って、武田を敗ったことを否定していない。
2、長篠の戦いの結果、武田家の名将が多く死んだこと。その原因が鉄砲であったことも否定していない。
のです。つまり「長篠の戦いにおいて、信長徳川軍が多数の鉄砲を投入し、その結果、武田は敗れた」と言っているわけです。無論鉄砲だけでなく「柵」とか「弓矢」の効果も認めています。「鉄砲だけで勝ったのではなく、追撃戦においても多くの敵の首を奪った」と書いてもいます。
でも、鉄砲が大きな力を発揮したこと自体は否定しません。なぜなら氏が信奉する「信長公記」にそう書いてあるからです。
にもかかわらず「鉄砲三千挺の三段撃ち」ということになると、言葉を尽くして「否定」します。「鉄砲三千挺の三段撃ち」という「信仰を持った人がいる」とまで書きます。
つまり本書を通じて「三千挺という数字」と「三段撃ちという戦術」を「ひたすら否定」するのです。
61ページには不思議な記述もあります。「(織田側が)一人でも撃たれれば、それだけで通説のような千人ずつの交代射撃を連続して行うことが不可能になるわけだ」という記述です。
?????。つまり1000人が999人になるから、「千人ずつの交代射撃は不可能」という理屈なのでしょうか。そんな馬鹿な。(私は三千挺支持者ではありませんが)
何故に「そこ」をそこまで否定する必要があろうかと私などは思います。旧日本陸軍参謀部の「日本戦史」が憎いのか。大河ドラマの「演出」が憎いのか。例によって「通説」の源泉として「司馬遼太郎氏」の名前をさりげなく挙げています。結局そこか、という感じがします。
まあ「ライフワークだから執念をもってやっている」わけで、そこは理解できるのですが、、、。
さて、最近の「いろんな学者の見方」を「なんとなくまとめてみると」、こうなると思います。
1、信長は「千挺ばかりの鉄砲」(信長公記)+予備の鉄砲隊を用意していた。まあ1500挺ばかりであろう。
2、三段撃ちは「最初の1クールだけは、350挺×3段撃ちで成立する」が、その後は各自が自分のタイミングで撃った。玉込めの時間差を考えると、自然とそうなる。つまり、戦闘を通して、ほとんどの時間は、各自が「自分のタイミングで撃っていた」。
3、それでも1500挺の鉄砲があれば、100~200発程度の弾丸が絶えずとびかっていた。
4、武田も鉄砲隊は用意していたが、玉と火薬が不足しており、撃ち続けることはできなかった。ので、「突進」した。で、鉄砲でやられてしまった。ちなみに関西では騎馬武将は「下りて戦う」が、関東では「馬上のまま戦う」ことも多かった。騎馬隊はないとしても、騎馬で戦う武将はいた。
5、追撃戦もあった。武田は追撃戦において多数の死者を出した。全員が鉄砲で死んだわけではない。
となるでしょう。「この程度の理解でいいのでは」と思うのです。「完全に史実を確定する」ことは不可能です。
ただし「鉄砲三千挺の三段撃ち」を小説家や大河ドラマが採用するのは「自由」でしょう。なぜならフィクションだからです。三千挺の三段撃ちを描いても、それで「死ぬほど迷惑を受ける人」はあまりいないはずです。
そもそも、藤本氏は「鉄砲三千挺の三段撃ち」を「信仰のように信じている人が沢山いる」と思っているらしいのですが、ほとんどの日本人は「長篠の戦いのことなんか考えてもいない」わけです。
藤本氏のやっていることは「不毛」とまでは言いませんが「悲惨な戦い」(なぎらけんいち)のような気がします。藤本氏自身「数は実はわからない」と書いています。信長公記には「千挺ばかり」とあるが、予備の鉄砲数が「わからない」ので「わからない」わけです。
だったら3000挺かも知れません。それを「各自が自分のタイミングで撃つ」としたら、「三段撃ちに似たような状況になるかも」しれません。
私は鉄砲三千挺の三段撃ちという「整然とした戦術はなかった」と思います。でも「沢山の鉄砲と玉と火薬を用意して、敵の名将を沢山倒した」わけです。で「追撃戦が可能になって」、そこでも槍刀弓で多くの敵を倒した。
それぐらいでいいのでは、それ以上にこだわるべき問題ではないのでは、と思えてなりません。
藤本氏が「歴史家ではなく小説家である司馬遼太郎氏」と「フィクションである大河ドラマ」によって、「間違った戦国史観を多くの国民が持ってしまった」ことに「憤激」しているのは分かるのですが、、、、。
私も大河ドラマが「露骨に史実と違うことを描く」ことに不快を感じることはあります。しかしそれは「西郷どん」のような近代史の場合です。戦国史においては、ある程度フィクションが入るのは当然ですし、「演出の面白さ」を考えるのも、視聴率との関係を考えると、仕方ないことだと思います。そもそも資料が少なくて「史実の完全なる確定」は「ほぼ無理」なのです。
補足
「鉄砲三千挺の三段撃ち」を極めて「濃密に」描いたのは、大河「信長、キングオブジバング」、緒方直人さん主演です。新説も入ってましたが、長篠は見事なまでの三段撃ちでした。(三千挺なのかは不明)
最初、お諏訪太鼓が鳴り響く。そして柵の彼方から「武田の騎馬隊の第一陣」が現れます。太鼓の音も小さくなり、静寂の中、騎馬隊が押し寄せてきます。
ここで、第一段の千挺が火を吹きます。武田の騎馬隊はことごとく倒れます。また「静寂」がおとずれます。すると「武田の騎馬隊第二陣」が押し寄せてきます。
鉄砲隊第二段が銃撃します。第二陣の騎馬隊もことごとく倒れます。そしてまた静寂。
武田は整然と押し寄せ、織田徳川はそれを「整然」となぎ倒していきます。
やがて柴俊夫さん演じる滝川一益が「撃つのをやめよ」と叫びます。
なぜ「やめよ」なのかの説明は番組内では「ない」のですが、私なりにこの滝川一益の「叫び」を解釈するなら、
「これは自分が知っている、いくさ、というものではない。ただの大量虐殺ではないか。」ということになろうかと思います。
見事なまでの「鉄砲三千挺の三段撃ち」です。この作品全体はさほど面白くはないのですが、このシーンは実に印象的でした。史実かどうかではありません。印象に強く残るシーンだったというお話です。
難しくはないのです。でも最初「何が言いたいのか」が分かりませんでした。
何故かというと、
藤本氏は
1、信長が多数(千挺以上の鉄砲)を使って、武田を敗ったことを否定していない。
2、長篠の戦いの結果、武田家の名将が多く死んだこと。その原因が鉄砲であったことも否定していない。
のです。つまり「長篠の戦いにおいて、信長徳川軍が多数の鉄砲を投入し、その結果、武田は敗れた」と言っているわけです。無論鉄砲だけでなく「柵」とか「弓矢」の効果も認めています。「鉄砲だけで勝ったのではなく、追撃戦においても多くの敵の首を奪った」と書いてもいます。
でも、鉄砲が大きな力を発揮したこと自体は否定しません。なぜなら氏が信奉する「信長公記」にそう書いてあるからです。
にもかかわらず「鉄砲三千挺の三段撃ち」ということになると、言葉を尽くして「否定」します。「鉄砲三千挺の三段撃ち」という「信仰を持った人がいる」とまで書きます。
つまり本書を通じて「三千挺という数字」と「三段撃ちという戦術」を「ひたすら否定」するのです。
61ページには不思議な記述もあります。「(織田側が)一人でも撃たれれば、それだけで通説のような千人ずつの交代射撃を連続して行うことが不可能になるわけだ」という記述です。
?????。つまり1000人が999人になるから、「千人ずつの交代射撃は不可能」という理屈なのでしょうか。そんな馬鹿な。(私は三千挺支持者ではありませんが)
何故に「そこ」をそこまで否定する必要があろうかと私などは思います。旧日本陸軍参謀部の「日本戦史」が憎いのか。大河ドラマの「演出」が憎いのか。例によって「通説」の源泉として「司馬遼太郎氏」の名前をさりげなく挙げています。結局そこか、という感じがします。
まあ「ライフワークだから執念をもってやっている」わけで、そこは理解できるのですが、、、。
さて、最近の「いろんな学者の見方」を「なんとなくまとめてみると」、こうなると思います。
1、信長は「千挺ばかりの鉄砲」(信長公記)+予備の鉄砲隊を用意していた。まあ1500挺ばかりであろう。
2、三段撃ちは「最初の1クールだけは、350挺×3段撃ちで成立する」が、その後は各自が自分のタイミングで撃った。玉込めの時間差を考えると、自然とそうなる。つまり、戦闘を通して、ほとんどの時間は、各自が「自分のタイミングで撃っていた」。
3、それでも1500挺の鉄砲があれば、100~200発程度の弾丸が絶えずとびかっていた。
4、武田も鉄砲隊は用意していたが、玉と火薬が不足しており、撃ち続けることはできなかった。ので、「突進」した。で、鉄砲でやられてしまった。ちなみに関西では騎馬武将は「下りて戦う」が、関東では「馬上のまま戦う」ことも多かった。騎馬隊はないとしても、騎馬で戦う武将はいた。
5、追撃戦もあった。武田は追撃戦において多数の死者を出した。全員が鉄砲で死んだわけではない。
となるでしょう。「この程度の理解でいいのでは」と思うのです。「完全に史実を確定する」ことは不可能です。
ただし「鉄砲三千挺の三段撃ち」を小説家や大河ドラマが採用するのは「自由」でしょう。なぜならフィクションだからです。三千挺の三段撃ちを描いても、それで「死ぬほど迷惑を受ける人」はあまりいないはずです。
そもそも、藤本氏は「鉄砲三千挺の三段撃ち」を「信仰のように信じている人が沢山いる」と思っているらしいのですが、ほとんどの日本人は「長篠の戦いのことなんか考えてもいない」わけです。
藤本氏のやっていることは「不毛」とまでは言いませんが「悲惨な戦い」(なぎらけんいち)のような気がします。藤本氏自身「数は実はわからない」と書いています。信長公記には「千挺ばかり」とあるが、予備の鉄砲数が「わからない」ので「わからない」わけです。
だったら3000挺かも知れません。それを「各自が自分のタイミングで撃つ」としたら、「三段撃ちに似たような状況になるかも」しれません。
私は鉄砲三千挺の三段撃ちという「整然とした戦術はなかった」と思います。でも「沢山の鉄砲と玉と火薬を用意して、敵の名将を沢山倒した」わけです。で「追撃戦が可能になって」、そこでも槍刀弓で多くの敵を倒した。
それぐらいでいいのでは、それ以上にこだわるべき問題ではないのでは、と思えてなりません。
藤本氏が「歴史家ではなく小説家である司馬遼太郎氏」と「フィクションである大河ドラマ」によって、「間違った戦国史観を多くの国民が持ってしまった」ことに「憤激」しているのは分かるのですが、、、、。
私も大河ドラマが「露骨に史実と違うことを描く」ことに不快を感じることはあります。しかしそれは「西郷どん」のような近代史の場合です。戦国史においては、ある程度フィクションが入るのは当然ですし、「演出の面白さ」を考えるのも、視聴率との関係を考えると、仕方ないことだと思います。そもそも資料が少なくて「史実の完全なる確定」は「ほぼ無理」なのです。
補足
「鉄砲三千挺の三段撃ち」を極めて「濃密に」描いたのは、大河「信長、キングオブジバング」、緒方直人さん主演です。新説も入ってましたが、長篠は見事なまでの三段撃ちでした。(三千挺なのかは不明)
最初、お諏訪太鼓が鳴り響く。そして柵の彼方から「武田の騎馬隊の第一陣」が現れます。太鼓の音も小さくなり、静寂の中、騎馬隊が押し寄せてきます。
ここで、第一段の千挺が火を吹きます。武田の騎馬隊はことごとく倒れます。また「静寂」がおとずれます。すると「武田の騎馬隊第二陣」が押し寄せてきます。
鉄砲隊第二段が銃撃します。第二陣の騎馬隊もことごとく倒れます。そしてまた静寂。
武田は整然と押し寄せ、織田徳川はそれを「整然」となぎ倒していきます。
やがて柴俊夫さん演じる滝川一益が「撃つのをやめよ」と叫びます。
なぜ「やめよ」なのかの説明は番組内では「ない」のですが、私なりにこの滝川一益の「叫び」を解釈するなら、
「これは自分が知っている、いくさ、というものではない。ただの大量虐殺ではないか。」ということになろうかと思います。
見事なまでの「鉄砲三千挺の三段撃ち」です。この作品全体はさほど面白くはないのですが、このシーンは実に印象的でした。史実かどうかではありません。印象に強く残るシーンだったというお話です。