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色んな出来事を載せています、見てくださいね!

浜田城下史跡散策ツアーに参加する! 2

2022-10-29 13:47:20 | 旅行
 12:55  午後からも続きます。
 バス移動して、浜田城の資料を学習。
 ◎ 浜田城資料館(旧浜田御便殿)
   2019年、浜田藩開府400年に合わせ、浜田市が浜田城近くの歴史的建造物
  「御便殿(ごべんでん)」を改修し整備を進めてきた「市浜田城資料館」が完成した。
  御便殿は1907年(明治40年)、大正天皇が皇太子時代に山陰を訪れた際に
  宿泊された建物。

  






 ◎ 浜田城跡/登城
  浜田城は、標高67mの丘陵に築かれた平山城で、別名「亀山城」とも呼ばれ、
  築城は、元和5年(1619)に浜田藩初代藩主となった古田重治が、翌年に着手し
  元和9年(1623)には完成した。
  本丸には三重櫓と呼ばれた天守や六間長屋がりました。
  慶応2年(1866)第二次幕長戦争(石州口の戦い)で、大村益次郎が率いる長州軍
  と戦いましたが、破れ、浜田城は再興を期して自焼退城と決し、落城しました。




護国神社もあり、「碑」もあちこちありましたが説明は聞き逃しました。









石段の階段に沢山落ちていた「イヌマキ」の実は初めて見ました。

 ◎ 心覺院/拝観
  心覺院の木造阿弥陀如来立像は、元和6年(1620)の古田氏による築城の際、
  亀山にあった天台宗来迎寺をこの地に移転したと伝えられ、寛文年間
  (1661~1672)に浄土宗に改宗し心覺院とした。
  心覺院の本尊「木造阿弥陀如来立像」はヒノキ材の一本造りで、像高96,5cm、
  玉眼入り、漆箔像で踏割蓮華座に立ち、来迎印を結んでいる。
  背刳りの胎内には阿弥陀坐像の摺仏がおさめられている。
  昭和25年(1950)に重要文化財となった。








外社の「観音堂」の後本尊を33年に1度開帳されるというのを特別に拝観させていただく。




 会津屋八右衛門像 → 海辺にそびえる像を見る。



 ◎ 瀬戸ヶ島厳島神社 → 海の神、厳島三神は宮島の厳島神社と同じ。



 無人の神社でしたが頭上では「とんび」が数羽出迎えてくれました。
 


 ゆっくり飛翔するとんびを見ながらい厳島神社を後にし、本日の散策はおしまいです。
 「道の駅ゆうにパーク浜田」にて休憩、お買い物をし、
 16:30 帰路に就いたのでした。
 浜田城跡は急勾配の石段がきつかったですが、日本海の閑静な光景に魅せらられた
 好天気に恵まれた楽しいバスツアーでした!。
 15名の参加者、皆さんお疲れ様でした。        END

              
 
コメント (2)
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