12:55 午後からも続きます。
バス移動して、浜田城の資料を学習。
◎ 浜田城資料館(旧浜田御便殿)
2019年、浜田藩開府400年に合わせ、浜田市が浜田城近くの歴史的建造物
「御便殿(ごべんでん)」を改修し整備を進めてきた「市浜田城資料館」が完成した。
御便殿は1907年(明治40年)、大正天皇が皇太子時代に山陰を訪れた際に
宿泊された建物。
◎ 浜田城跡/登城
浜田城は、標高67mの丘陵に築かれた平山城で、別名「亀山城」とも呼ばれ、
築城は、元和5年(1619)に浜田藩初代藩主となった古田重治が、翌年に着手し
元和9年(1623)には完成した。
本丸には三重櫓と呼ばれた天守や六間長屋がりました。
慶応2年(1866)第二次幕長戦争(石州口の戦い)で、大村益次郎が率いる長州軍
と戦いましたが、破れ、浜田城は再興を期して自焼退城と決し、落城しました。
護国神社もあり、「碑」もあちこちありましたが説明は聞き逃しました。
石段の階段に沢山落ちていた「イヌマキ」の実は初めて見ました。
◎ 心覺院/拝観
心覺院の木造阿弥陀如来立像は、元和6年(1620)の古田氏による築城の際、
亀山にあった天台宗来迎寺をこの地に移転したと伝えられ、寛文年間
(1661~1672)に浄土宗に改宗し心覺院とした。
心覺院の本尊「木造阿弥陀如来立像」はヒノキ材の一本造りで、像高96,5cm、
玉眼入り、漆箔像で踏割蓮華座に立ち、来迎印を結んでいる。
背刳りの胎内には阿弥陀坐像の摺仏がおさめられている。
昭和25年(1950)に重要文化財となった。
外社の「観音堂」の後本尊を33年に1度開帳されるというのを特別に拝観させていただく。
会津屋八右衛門像 → 海辺にそびえる像を見る。
◎ 瀬戸ヶ島厳島神社 → 海の神、厳島三神は宮島の厳島神社と同じ。
無人の神社でしたが頭上では「とんび」が数羽出迎えてくれました。
ゆっくり飛翔するとんびを見ながらい厳島神社を後にし、本日の散策はおしまいです。
「道の駅ゆうにパーク浜田」にて休憩、お買い物をし、
16:30 帰路に就いたのでした。
浜田城跡は急勾配の石段がきつかったですが、日本海の閑静な光景に魅せらられた
好天気に恵まれた楽しいバスツアーでした!。
15名の参加者、皆さんお疲れ様でした。 END
バス移動して、浜田城の資料を学習。
◎ 浜田城資料館(旧浜田御便殿)
2019年、浜田藩開府400年に合わせ、浜田市が浜田城近くの歴史的建造物
「御便殿(ごべんでん)」を改修し整備を進めてきた「市浜田城資料館」が完成した。
御便殿は1907年(明治40年)、大正天皇が皇太子時代に山陰を訪れた際に
宿泊された建物。
◎ 浜田城跡/登城
浜田城は、標高67mの丘陵に築かれた平山城で、別名「亀山城」とも呼ばれ、
築城は、元和5年(1619)に浜田藩初代藩主となった古田重治が、翌年に着手し
元和9年(1623)には完成した。
本丸には三重櫓と呼ばれた天守や六間長屋がりました。
慶応2年(1866)第二次幕長戦争(石州口の戦い)で、大村益次郎が率いる長州軍
と戦いましたが、破れ、浜田城は再興を期して自焼退城と決し、落城しました。
護国神社もあり、「碑」もあちこちありましたが説明は聞き逃しました。
石段の階段に沢山落ちていた「イヌマキ」の実は初めて見ました。
◎ 心覺院/拝観
心覺院の木造阿弥陀如来立像は、元和6年(1620)の古田氏による築城の際、
亀山にあった天台宗来迎寺をこの地に移転したと伝えられ、寛文年間
(1661~1672)に浄土宗に改宗し心覺院とした。
心覺院の本尊「木造阿弥陀如来立像」はヒノキ材の一本造りで、像高96,5cm、
玉眼入り、漆箔像で踏割蓮華座に立ち、来迎印を結んでいる。
背刳りの胎内には阿弥陀坐像の摺仏がおさめられている。
昭和25年(1950)に重要文化財となった。
外社の「観音堂」の後本尊を33年に1度開帳されるというのを特別に拝観させていただく。
会津屋八右衛門像 → 海辺にそびえる像を見る。
◎ 瀬戸ヶ島厳島神社 → 海の神、厳島三神は宮島の厳島神社と同じ。
無人の神社でしたが頭上では「とんび」が数羽出迎えてくれました。
ゆっくり飛翔するとんびを見ながらい厳島神社を後にし、本日の散策はおしまいです。
「道の駅ゆうにパーク浜田」にて休憩、お買い物をし、
16:30 帰路に就いたのでした。
浜田城跡は急勾配の石段がきつかったですが、日本海の閑静な光景に魅せらられた
好天気に恵まれた楽しいバスツアーでした!。
15名の参加者、皆さんお疲れ様でした。 END