今日の朝、スーパーフレスタの帰り道、牛田総合公園の一角にある「広島市水道資料館」
を訪ねてみました。
先ず、目に付くのが「広島市牛田浄水場旧緩速ろ過及びろ過井の上屋」が一部保存されて
います。
「広島市市水道資料館」
牛田水源地
明治31年(1898)に創設された、広島市水道の発祥地。
牛田水源地は、原爆投下後の火災も起こすこともなく、致命的な損傷を免れました。
被爆建物 爆心地から2800m。
「深仁厚澤」(しんじんこうたく)
本市水道の創設(明治31年)にゆかりの深い「伊藤博文」が書いたもの。
「夜晝舎不」 (ちゅうやをおかず)
昼も夜も休みなく流れる ”母なる太田川” の恩恵を思い、当時の臨時広島軍用水道布設
部長であった「児島源太郎中将」が中国の故事に習って筆をふるったもの。
資料館入り口、拝観料は「無料」でしたが、スーパーの帰り道に立ち寄ったので
買ったものが肩に食い込んでいましたので入館はしませんでした。
門前の「松」の立ち姿が変わっています。
「猿猴橋水道管」
猿猴橋水道管は牛田浄水場から宇品港へ水道水を送るため、明治30年(1897)完成
明治31年から、100年以上にわたり活躍した水道管です。
平成19年に老朽化のためその役割を終わりました。
その一部をモニュメントとして広島市水道資料館に保存されている。
「送水ポンプ」
大正13年(1924)から昭和47年まで49年間活躍。
4台で場内の配水池(標高50m)へ浄水を送っていた。
「取水ポンプ」
大正13年(1924)から昭和58年まで60年間活躍。
4台で太田川の水を取り入れていた。
「資料館別館」
被爆建物 爆心地から2800m。
「タイムカプセル」
広島市水道創設100周年を記念して市民の皆さんが寄せた「21世紀へのメセージ」
資料館を振り返ってみました。
今日は荷物が重くて内部には入館しませんでしたが、以前見学したことはありますが
又、機会があればゆっくり見たいと思いました。
前庭だけでも随分と勉強になりました。