午後からも続きます。
13:00
桂浜を散策開始です。
◎ 桂浜にある 「御座船」
桂浜の道路沿いに、三隻の和船が上架されています。御座船と言われ旧暦の
6月17日、宮島・厳島神社の管弦祭に出て行く。
倉橋島は和船の船大工が多く、和船造りが盛んだった。
元来御座船は、天皇・公家・将軍・大名などの貴人が乗るための物。


◎ 桂浜神社
733年に龍神様として鎮座。
江戸中期の建物で宮島の厳島神社と同じ海人の神「宗像三女神」と武将の神
「宇佐八幡三神」を祀っています。
本殿は、文明12年(1480)の棟降札を有し、屋根は柿葺きで、三間社流造の本殿は
全体的に木細で、庇の柱迄円柱にするなど県内で類例の少ない建物です。
国指定重要文化財 (昭和57年6月11日)





◎ 桂浜
桂浜は「日本の渚百選」や「日本の白砂青松100選」にも選定される美しい
スポット、夏場は土日も海水浴場客が多すぎないという穴場的スポットビーチ。



◎ 長門の造船歴史館
1992年(平成4年)に開館。
古代から現代までの木造船模型をはじめ、造船と海運業に関する資料を展示。
実物大の遣唐使船は、平成元年(1980)に建造され、大きさ長さ25m
幅7m、帆柱までの高さは17m。
江戸時代に試作された「外輪船」、津和野藩が造らせた「関船」などの模型
や古文書など展示。






↑ 古代の「木造のイカリ」です。
ここの代表的存在?
◎ 火山
標高408m、広島県の最南端・倉橋島の中央部に位置する山。
山頂で火を焚き、灯台の役目をはたしていたため火山(ひやま)と呼ばれている。
(バスの車窓から)

◎ 音戸大橋・音戸の町並み
昭和35年(1960)4月着工、昭和36年11月完成。
総工費3億6200万円。
総延長1,184mの国内で唯一の、らせん形大橋。


◎ 法専寺
毛利元就の末子、元為(後に出家して憎法専)が見張り役を兼ねて天台宗の
寺を開き、天文23年(1554)真宗に改宗。
さらにこの後、現在の浄土真宗本願寺派に改宗される。
この寺には天正4年(1576)石山の合戦で毛利軍の船に幟を立て食料を運んだ
際の幟に下げた鐘が保存されている。
石垣は「忍び返し」がついており、いざという時、城として使おうとしたの
ではないかと言われている。




↑ (本堂の屋根の上に「アオサギ」が休んでいました。)


「城みちる」さんの実家、民家の花は?


◎ 音戸町の街並み
清盛が沈む太陽を扇で止めて一日の内で開削したという、伝説の
「音頭の瀬戸」で知られる呉市音戸町、広島湾の東南、呉市の南に
位置する倉橋島にあり、その北側約三分の一を占める。
呉市とはわずか幅70mの海峡で隔てられており、赤いアーチ型の
音頭大橋がシンボルです。
古くは「穏渡」と書かれていた。



写真館、丸型ポスト、銭湯、木製電柱と懐かしい光景。




◎ 榎酒造
榎酒造(株)は、明治32年(1899) に操業。
「華鳩」をメインの銘柄、昭和49(1974)酒造年度、全国で初めて
「貴譲酒」を醸造した実績を持つ酒蔵でもある。
「ほっと安らぐ酒」華鳩を皆で試飲させて頂き、港町の風情を満喫。


◎ 清盛塚
音戸の瀬戸を切り開いたと言われる平清盛公が、人柱の代わりに
一字一石の教石(一切経)を海底に沈め難工事を完成した[長寛2年(1164)
着工、永万元年(1165)7月完成]
元暦元年(1184)その功徳を讃え、その供養のために清盛塚を建立。
昭和26年(1951)に県の文化財に指定される。


「おんど観光文化会館うずしお」で今年一年、計10回の
「ふるさとの歴史探訪」
に参加された4名の参加者の特別表彰授与式がありました。
おめでとうございます!
16:50
倉橋島散策の終了です。
バスでき帰路につき、和気あいあいの散策会も今年度の最後の倉橋島も
楽しく見学できました。
広島駅、18:00 無事到着です。
皆さまお疲れ様でした。 END
13:00
桂浜を散策開始です。
◎ 桂浜にある 「御座船」
桂浜の道路沿いに、三隻の和船が上架されています。御座船と言われ旧暦の
6月17日、宮島・厳島神社の管弦祭に出て行く。
倉橋島は和船の船大工が多く、和船造りが盛んだった。
元来御座船は、天皇・公家・将軍・大名などの貴人が乗るための物。


◎ 桂浜神社
733年に龍神様として鎮座。
江戸中期の建物で宮島の厳島神社と同じ海人の神「宗像三女神」と武将の神
「宇佐八幡三神」を祀っています。
本殿は、文明12年(1480)の棟降札を有し、屋根は柿葺きで、三間社流造の本殿は
全体的に木細で、庇の柱迄円柱にするなど県内で類例の少ない建物です。
国指定重要文化財 (昭和57年6月11日)





◎ 桂浜
桂浜は「日本の渚百選」や「日本の白砂青松100選」にも選定される美しい
スポット、夏場は土日も海水浴場客が多すぎないという穴場的スポットビーチ。



◎ 長門の造船歴史館
1992年(平成4年)に開館。
古代から現代までの木造船模型をはじめ、造船と海運業に関する資料を展示。
実物大の遣唐使船は、平成元年(1980)に建造され、大きさ長さ25m
幅7m、帆柱までの高さは17m。
江戸時代に試作された「外輪船」、津和野藩が造らせた「関船」などの模型
や古文書など展示。






↑ 古代の「木造のイカリ」です。
ここの代表的存在?
◎ 火山
標高408m、広島県の最南端・倉橋島の中央部に位置する山。
山頂で火を焚き、灯台の役目をはたしていたため火山(ひやま)と呼ばれている。
(バスの車窓から)

◎ 音戸大橋・音戸の町並み
昭和35年(1960)4月着工、昭和36年11月完成。
総工費3億6200万円。
総延長1,184mの国内で唯一の、らせん形大橋。


◎ 法専寺
毛利元就の末子、元為(後に出家して憎法専)が見張り役を兼ねて天台宗の
寺を開き、天文23年(1554)真宗に改宗。
さらにこの後、現在の浄土真宗本願寺派に改宗される。
この寺には天正4年(1576)石山の合戦で毛利軍の船に幟を立て食料を運んだ
際の幟に下げた鐘が保存されている。
石垣は「忍び返し」がついており、いざという時、城として使おうとしたの
ではないかと言われている。




↑ (本堂の屋根の上に「アオサギ」が休んでいました。)


「城みちる」さんの実家、民家の花は?


◎ 音戸町の街並み
清盛が沈む太陽を扇で止めて一日の内で開削したという、伝説の
「音頭の瀬戸」で知られる呉市音戸町、広島湾の東南、呉市の南に
位置する倉橋島にあり、その北側約三分の一を占める。
呉市とはわずか幅70mの海峡で隔てられており、赤いアーチ型の
音頭大橋がシンボルです。
古くは「穏渡」と書かれていた。



写真館、丸型ポスト、銭湯、木製電柱と懐かしい光景。




◎ 榎酒造
榎酒造(株)は、明治32年(1899) に操業。
「華鳩」をメインの銘柄、昭和49(1974)酒造年度、全国で初めて
「貴譲酒」を醸造した実績を持つ酒蔵でもある。
「ほっと安らぐ酒」華鳩を皆で試飲させて頂き、港町の風情を満喫。


◎ 清盛塚
音戸の瀬戸を切り開いたと言われる平清盛公が、人柱の代わりに
一字一石の教石(一切経)を海底に沈め難工事を完成した[長寛2年(1164)
着工、永万元年(1165)7月完成]
元暦元年(1184)その功徳を讃え、その供養のために清盛塚を建立。
昭和26年(1951)に県の文化財に指定される。


「おんど観光文化会館うずしお」で今年一年、計10回の
「ふるさとの歴史探訪」
に参加された4名の参加者の特別表彰授与式がありました。
おめでとうございます!
16:50
倉橋島散策の終了です。
バスでき帰路につき、和気あいあいの散策会も今年度の最後の倉橋島も
楽しく見学できました。
広島駅、18:00 無事到着です。
皆さまお疲れ様でした。 END