ふるさとの歴史探訪 ~街道を行く中国路~ 上関、室津の散策の旅に行ってきました!
4-11月30日(水) 不動院前バス停、7:40 乗車しました。
山陽道を走り、玖珂ICから柳井経由で9:30室津に到着しました。
江戸時代に海上交通の要衝として栄えた港町で、山側には古い家並みが残り、
南側の斜面地には古き良き漁村らしい雰囲気があります。
「室津地区散策」
室津は古くから廻船、漁業が盛んで、今も残る街並みは歴史を感じる。


「西方寺」 → 浄土宗
慶長年中(1596~1614)に、長誉童貞が堂を建立し、龍池山紫雲院西方寺と改め、
知恩院(浄土宗総本山)直末となり、幕末の時、義勇隊および室津鴻城軍の駐屯所と
なり、本堂の柱には隊士が切りつけた刃傷が数か所残っている。




「かみのせきの消火栓」のマンホール。

「六角形の井戸」今も現役か?

「賀茂神社」 → 賀茂大明神
文和元年、大内候の願いに依って、京都上鴨神社より勧請。



「四階楼」
明治12年(1879)幕末に活躍した小方謙九郎が建てた、儀洋風木造四階建ての建物。
建築費は当時の金額で3000円と言われる。
四隅の柱が一階から四まで貫いて高さは11m。
内外壁に施された見事な雲龍や鳳凰、四階大広間のステンドグラスとか、この建物の
独特の雰囲気をかもしだしている。







「常満寺」→ 浄土真宗
上関室津漁港側の寺院。
平氏の武将である佐原十郎盛光が開いたと言われる。
1727年に火災にあった事から、元文4年(1739)に現在地に移転。
本堂前の大イチョウの巨木があり、樹齢1000年、高さ30m。
移転の際、伐採しようという話もあったが
” イチョウは火災の際、水を噴いて火難から守ってくれる”
という言い伝えがあり、伐採を免れたと言われる。(住職の話より)





この辺りが、朝鮮通信使上陸の地と言われる。


11:35
昼食、レストランうみべ 上関海峡温泉「鳩子の海」で、周防灘を眺めながらの海鮮料理
を頂きました。
私は生の魚がダメで海鮮丼のトッピングの刺身を先生に食べて頂きましたが、
ご飯に魚の臭いが付いてて駄目でした。
こういうときは事前に別の料理にしてもらえると良いい見たいでした。
持参の「ランチパック」をバスで食べましたが・・・
午後に続きます・・・
4-11月30日(水) 不動院前バス停、7:40 乗車しました。
山陽道を走り、玖珂ICから柳井経由で9:30室津に到着しました。
江戸時代に海上交通の要衝として栄えた港町で、山側には古い家並みが残り、
南側の斜面地には古き良き漁村らしい雰囲気があります。
「室津地区散策」
室津は古くから廻船、漁業が盛んで、今も残る街並みは歴史を感じる。


「西方寺」 → 浄土宗
慶長年中(1596~1614)に、長誉童貞が堂を建立し、龍池山紫雲院西方寺と改め、
知恩院(浄土宗総本山)直末となり、幕末の時、義勇隊および室津鴻城軍の駐屯所と
なり、本堂の柱には隊士が切りつけた刃傷が数か所残っている。




「かみのせきの消火栓」のマンホール。

「六角形の井戸」今も現役か?

「賀茂神社」 → 賀茂大明神
文和元年、大内候の願いに依って、京都上鴨神社より勧請。



「四階楼」
明治12年(1879)幕末に活躍した小方謙九郎が建てた、儀洋風木造四階建ての建物。
建築費は当時の金額で3000円と言われる。
四隅の柱が一階から四まで貫いて高さは11m。
内外壁に施された見事な雲龍や鳳凰、四階大広間のステンドグラスとか、この建物の
独特の雰囲気をかもしだしている。







「常満寺」→ 浄土真宗
上関室津漁港側の寺院。
平氏の武将である佐原十郎盛光が開いたと言われる。
1727年に火災にあった事から、元文4年(1739)に現在地に移転。
本堂前の大イチョウの巨木があり、樹齢1000年、高さ30m。
移転の際、伐採しようという話もあったが
” イチョウは火災の際、水を噴いて火難から守ってくれる”
という言い伝えがあり、伐採を免れたと言われる。(住職の話より)





この辺りが、朝鮮通信使上陸の地と言われる。


11:35
昼食、レストランうみべ 上関海峡温泉「鳩子の海」で、周防灘を眺めながらの海鮮料理
を頂きました。
私は生の魚がダメで海鮮丼のトッピングの刺身を先生に食べて頂きましたが、
ご飯に魚の臭いが付いてて駄目でした。
こういうときは事前に別の料理にしてもらえると良いい見たいでした。
持参の「ランチパック」をバスで食べましたが・・・
午後に続きます・・・