ひろしま歴史街道散策会の5月例会で参加しました!
令和6年5月18日(木) JR可部線あき亀山駅 14:00 集合 22名参加。
散策経路
~伊勢神社~灰川橋~誓立寺~総社大明神~と徳行寺~杉薬師医王寺~帆待川~
あき亀山駅は、元三段峡線廃止となった時より、可部駅より旧河戸駅まで、
今年で8年目の延伸で再開された可部線駅です。
この辺りを古くは四日市村と称し、可部の荘に含まれた地で、戦国時代には、この一帯を
「河戸」称した。

伊勢神社、旧河戸駅、灰川と散策しながら、「誓立寺」に来ました。
◎ 誓立寺 ・浄土真宗本願寺派
上四日市村にあり、慶長元年、僧長音開基。
禅宗なりしが、正徳2年、僧乗休により真宗に改宗。
本堂に上がれせてもらって、住職の有難いお話を聞く。
特に印象に残ったのが、” 両手の手の内の皺を合わせて、皺合わせで、幸せで合掌。
両手の拳の指の節を合わせて、不幸せ”



◎ 総社大明神
住宅地の中に、「総社大明神」がある。創祀年代は不詳であるが、神武天皇が東征の際
に逗留された地に祀ったのが始まりと伝えられている。
中世には、安芸の国の守護武田氏代々の祈願所となった。

◎ 徳行寺 浄土真宗本願寺派
下四日市村にあり、もと真言宗にて、村内総社の別當でしたが、慶長6年、僧了念により
真宗に改宗。
本堂に上がらせてもらい、住職のお話。
近所に今の大相撲の力士が出ており、応援しており、横断幕も掲げているような話もあり。



( 途中で見かけた、ホタルブクロ?かと思った花が、Googleで「キツネのテブクロ」
と出てびっくり??)

◎ 医王寺
医王寺の由来
この地が、広野であった時、一本の杉の大木があった。
ある時、一夜のうちに杉の大木が失せたので、近くの里人が行ってみると、大木が数々の
仏像となり、杉の切り口には松の枝が一本さしてあった。
人々は驚いて、この像を携えて四方の名師高僧に訪ねたところ、この像は薬師如来で、脇士
は観音・勢至・他は十二神で行基の作と教えられた。
人々は一堂を建立し、緒人の尊崇をあつめたと伝わる。


ご真言 ” おんころころ せんだり まとうぎそわか ”
神武天皇が帆をかけて川を登ったとされる「帆待川」を歩きながら、解散地の「河戸帆待川駅」
に行きます。


駅付近の「可部線延伸」記念のマンホールもあります。
電化延伸6年目の令和5年のものです。

約2時間、住宅街の中を歩きましたが、北側には太田川が流れており、あの当藩の絵師
「岡眠山」が太田川をいかだで帰路に就いた最終地でもあり、描いた太田川の梁瀬の場所も
近く、歴史を感じながらの四日市村を忍んでの散策になりました!

16:00 解散でしたが、私は、同行した友人と近くの喫茶で「お茶」しました!
ほんまに久しぶりの「ミニチョコレートパフェ」です!!

友人は白玉をいただき、暫しゆっくりしてバスセンター行きのバスで帰宅です。
皆さんお疲れ様でした。
令和6年5月18日(木) JR可部線あき亀山駅 14:00 集合 22名参加。
散策経路
~伊勢神社~灰川橋~誓立寺~総社大明神~と徳行寺~杉薬師医王寺~帆待川~
あき亀山駅は、元三段峡線廃止となった時より、可部駅より旧河戸駅まで、
今年で8年目の延伸で再開された可部線駅です。
この辺りを古くは四日市村と称し、可部の荘に含まれた地で、戦国時代には、この一帯を
「河戸」称した。

伊勢神社、旧河戸駅、灰川と散策しながら、「誓立寺」に来ました。
◎ 誓立寺 ・浄土真宗本願寺派
上四日市村にあり、慶長元年、僧長音開基。
禅宗なりしが、正徳2年、僧乗休により真宗に改宗。
本堂に上がれせてもらって、住職の有難いお話を聞く。
特に印象に残ったのが、” 両手の手の内の皺を合わせて、皺合わせで、幸せで合掌。
両手の拳の指の節を合わせて、不幸せ”



◎ 総社大明神
住宅地の中に、「総社大明神」がある。創祀年代は不詳であるが、神武天皇が東征の際
に逗留された地に祀ったのが始まりと伝えられている。
中世には、安芸の国の守護武田氏代々の祈願所となった。

◎ 徳行寺 浄土真宗本願寺派
下四日市村にあり、もと真言宗にて、村内総社の別當でしたが、慶長6年、僧了念により
真宗に改宗。
本堂に上がらせてもらい、住職のお話。
近所に今の大相撲の力士が出ており、応援しており、横断幕も掲げているような話もあり。



( 途中で見かけた、ホタルブクロ?かと思った花が、Googleで「キツネのテブクロ」
と出てびっくり??)

◎ 医王寺
医王寺の由来
この地が、広野であった時、一本の杉の大木があった。
ある時、一夜のうちに杉の大木が失せたので、近くの里人が行ってみると、大木が数々の
仏像となり、杉の切り口には松の枝が一本さしてあった。
人々は驚いて、この像を携えて四方の名師高僧に訪ねたところ、この像は薬師如来で、脇士
は観音・勢至・他は十二神で行基の作と教えられた。
人々は一堂を建立し、緒人の尊崇をあつめたと伝わる。


ご真言 ” おんころころ せんだり まとうぎそわか ”
神武天皇が帆をかけて川を登ったとされる「帆待川」を歩きながら、解散地の「河戸帆待川駅」
に行きます。


駅付近の「可部線延伸」記念のマンホールもあります。
電化延伸6年目の令和5年のものです。

約2時間、住宅街の中を歩きましたが、北側には太田川が流れており、あの当藩の絵師
「岡眠山」が太田川をいかだで帰路に就いた最終地でもあり、描いた太田川の梁瀬の場所も
近く、歴史を感じながらの四日市村を忍んでの散策になりました!

16:00 解散でしたが、私は、同行した友人と近くの喫茶で「お茶」しました!
ほんまに久しぶりの「ミニチョコレートパフェ」です!!

友人は白玉をいただき、暫しゆっくりしてバスセンター行きのバスで帰宅です。
皆さんお疲れ様でした。