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歴史街道散策会(中山~戸坂)に参加!

2024-04-19 18:30:15 | ひろしま歴史街道散策会
歴史街道散策会、今回は「古代山陽道、中山~戸坂)コースを歩きました。
広島駅新幹線北口、13:30 集合 17名参加
新幹線北口のバス停から、戸坂東浄団地行きのバスで移動、中山集会所前で降りました。
ここから古代山陽道、中山峠を戸坂方面に歩きました。
中山峠はかなり急登で途中休みながら、右坂下に「JR芸備線」を観ながらの散策です。





丁度、JRの電車が通過していきました。


約30分で頂上付近に到着しましたが、
峠の頂上付近が、中山と戸坂の分岐点になります。
コンビニの前で、昔は人はどんな人がこの急坂を登り、どんな人たちが通過していったのだろうかと…
皆さんで暫し休みました。

戸坂の通リはずうっと下りになります。
途中、目の前にそびえる山が「戸坂城跡」「戸坂入道道海の墓地」になります。
山頂には山城跡がある。
往古この山頂一帯に山の民族が穴居していた。
山民族は自分たちの守護神である大山衹の神を祀り、その後、長年月にわたり代々の子孫が
氏の神をあがめ祭った。
戸坂入道もまた、この山を拠点にし、この神を崇拝し、武運長久の祈願所とした。
武田氏の有力家臣であった戸坂入道道海は天文9年(1540)に自害している。
戸坂の坂を往来するときに、入道が放屁したので、戸坂というようになった。
(案内の先生談) 



古代山陽道を歩いておりましたが、昔の大通リだった証明の「福屋」の古い看板が物語って
います。






古代山陽道を歩き、途中の「三宅神社参道入口の石燈籠」
三宅神社は, ご祭神:八幡三神(応神天皇、仲哀天皇、神官皇后)
    明徳3年(1392)に八幡宮を勧請したといい、さらに文禄3年(1594)
    再興、神社は戸坂川を挟む大上、数甲、山根、惣田、出江を担うことになった。
      
 


民家の「ぼたん」がきれいでした!



公民館前の「札場の石」
 札場という名前が示す通リ、なにか村人に知らせがあるとき、そこに「お触れ書き」
 が掲示された。
 この大きな石は背中に背負った荷物をあずけて休む都合のいい場所であった。
 この石は平成の大合併で公民館前に移された。



以前、中央公民館に在籍されていた方が戸坂公民館の現在の館長さんであるということで
公民館で歓待されての休憩になりました。



しばらく公民館で談笑しながら休憩して、戸坂川のそばの古代山陽道を「戸坂千足」まで歩き
「千足バス停」で今日の散策会はおしまいでした。
暑かったですが、休憩を充分とりながらの散策でしたが、このところ急に暑くなり、身体の方が
ついていけない状態で、なにかぐったりでした。(汗)

帰宅したのは、16:30でした。
皆さんお疲れ様でした!
 

  【 追記 】
散策会の帰路、バスを降りて我が家に帰宅途中で見かけた、「アマドコロ」「オオデマリ」
「スイセンアヤメ」? というのかな?
黄色い花が」映えています!






 パソコンが新しくなって、ようやく何とか使えるようになりました。
 頑張ります!


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