以前「それは次回に」と言った、フラットアーサーは隕石をどう考えているのか?について。
界隈でも、人の悪口を言わないで発信する人格者と評判(私もそう思う😄 )の、マウリシオさんの解説を参考までに。
まず「隕石が落ちた跡」とされるクレーターの説明から、隕石とされている映像を出して、球体説とフラット説の「両方」の解釈を、丁寧に説明している。
にしても、重力とか、人工衛星とか、隕石とか、それって空気のように存在して当たり前、ありきから出発としているものって、考えてみたらどんだけあるの?って感じですね。
最初から「あることを前提」にされると、そこには疑問を持たないどころか、そこをつつくと、すっとんできて無知だと罵りたい人たちが山ほどいるゆえ、白い眼で見られる恐怖があるんだよね。
「フラット」とか「球体」という前に、考えて頂きたい。
何か今まで信じて来たことが壊れるような時、すっとんで来て罵ってくる攻撃的な人が怖くて、要はそれが何よりの障害になったのでは?
これも「自分がやらないことは怖くないの法則」と、私は思う。
すっとんで来て罵る人は、逆に言えばめちゃ怖がり。
だって誰でもない自分がそうしているから、それがいかにめんどくさいトグロを巻いてるかを、よーくわかっているもんね😆
覚醒するとか、何か新しいことを発信する時って、特別な勇気がいるわけじゃない。
自分がされて嫌なことをやらなければ、特別な勇気なんていらないよ、と私は感じている。