これも面白かったネドじゅんさんの記事。
👇👇
私なりに理解したことをまとめると以下。
私たちは、設定した人生を体験するために、設定した肉体に入った。
入ったはいいけど、私は実は「小さな意識」でしかなくて、できることというか、することは限られている。
心臓を動かすのも、新陳代謝するのも、傷を治すのも、指一本動かすのも、掃除するのも洗濯するのも寝るのも食べるのもブログを書くのも、スパコンみたいな「本体」がやっている。
(※自分がやっているつもりが、つもりだけなのは前スレの記事を参照)
過去の記憶に浸ったり、先のことを考えているのでさえ、自分ではなかった。
(自分のつもりでいたら、これもシレッと隠れた別モノがいた)
じゃあ私は何ができるのかというと、その起こっていることに対して「興味のある部分に意識を向けること」
これだけ。
私や本体の他にも意識はたくさんいて、右脳意識とか左脳意識とか無意識とか、それらの相互作用で日常の出来事は起きている。
努々、小さな意識である私が一人で全部やっているとか、やらなきゃと錯覚するなかれ。
だって私がやっているのは(できるのは)「起こっていることに意識を向けること」だから。
というわけで、「私がやらなきゃ」と唯一頑張るとしたら、意識の焦点を「今」と「身体」に向けること。
そうするとそこから先は、頑張らなくても神々が自動的に最適に動き出す(としか書きようがない)、そういうな仕組みになっているようだ。
ざっくり言うとこんな感じ?
時々整理しないと散らかっていくので、メモしておく。
そして私の意識が、外の出来事より、身体の内側にフォーカスする方が刺激的になってしまったこともメモしておく。
「怒りっぽい私」とか「すぐクヨクヨする私」ではなくて、「あら、イライラがきたわ」「クヨクヨがきたわ」と、私がそれにフォーカスするかしないかで。
今まで「私」と思っていたものが、どんどん崩れていく。
あーもっと前から知りたかった。
でも「そしたらあれもこれも」「あの時あーしてれば…」とそれをひっぱり出して責めてくるモノに、「自分が」フォーカスしなければいい。
攻略本を出してくれた人に心から感謝。
攻略本ナシのゲームって難しいよね。
無駄が嫌いな私にはサイコーです!!
俯瞰しても、五感を生き生きと感じてられて全然おもしろいですよ。
うまくできてるなあと思います。