戦前の東京五輪大会返上

対照的と思う2冊の雑誌を買った。「経済」(7月号)は「SDGsが問うもの」を特集し、「月刊日本」(6月号)は「コロナ敗戦」「女帝・小池百合子の深謀遠慮」を特集する。

特に後者について、右よりの雑誌なのかと思い中味を見たら実際はそうでもない。「編集後記」の一部を紹介しよう。
1940(昭和15)年に予定されていた東京五輪は幻に終わった。紀元2千6百年記念行事として準備を進めたが、日中戦争の激化で実現には至らなかった。史上初めて欧米以外で行われる筈の五輪だった。この時、五輪返上の口火を切ったのは政友会の代議士河野一郎だった。いまのワクチン担当大臣河野太郎の祖父である。

廬溝橋事件直前の1937(昭和12)年3月20日、河野は国会で「今日のような一触即発の国際情勢において、オリンピックを開催するのはいかがと思う」と質問した。五輪返上を決定する3年も前のことだった。
日中戦争が長期化し、軍部からも五輪開催に異論が出始めた。河野は再度国会で中止をぶち上げる。
暴れん坊代議士河野一郎の面目躍如たるものがある。

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