来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
モンゴルの帝王のこと(1)
日本にとって、「モンゴル国」は親しみのある国だ。その一番大きい要素は、周知のよう日本の「国技」とされる相撲の世界で君臨する力士たちはモンゴル出身者だ、といってもいい。今の相撲界でいえば、朝青龍、白鳳、日馬富士、鶴竜、照ノ富士など。
とは言っても、モンゴル国についてどういう知識があるか、といえば私自身恥ずかしいレベルだ。
人口は約328万人。首都はウランバートル、北はロシア、南は中国と接している内陸の国家。
今、記したいと思ったことは、アジアの歴史の中で、一段と際立つ大帝王だったチンギスカンの孫であるフビライ・ハンについてだ。
日本史の中で、外国から大々的に侵略されそうになったほとんどたった一国が「鎌倉時代(1192~1333)」に2度にわたって北九州をおそったモンゴル帝国(フビライ・ハンをトップとする国家で「元」という国名)だった。
しかしこの元寇(元の侵略)は日本のその後の歴史に大きな影響を与えることになった。このあたりのことをまとめておこう。
私がまだ教師駆け出しだった頃、日本史の中のヒーローの一人が源義経だったが、この人は兄の頼朝に追われ東北で最期を遂げるのだが、それはウソで本物の義経は蝦夷地に逃れ、さらに北のサハリンから大陸のモンゴルに渡りジンギスカンになったという話がすごく面白く、記憶に残っていた。
先日、白石一郎という作家の「蒙古襲来」という長編小説を読んで、昔読んだその話を思い出した。
そんな私的小史はともかくとして、蒙古襲来に関係することを記しておこう。
モンゴルへ気持ち的に近づくことができるかも知れないと思っている。
モンゴル帝国建設の父は、いうまでもなくチンギス・ハン(成吉思汗と漢字でかくこともある)。この孫にあたるフビライ・ハンが主人公だ。ハン(汗)は王という意味。第五代皇帝(在位・1260~1294)。
彼は、1271年に国名を「大元」に改めた。そして、中国大陸を支配する漢族の王朝南を征服し「元」をつくり、この都(大都)を建設した。これが現在の首都北京。
とは言っても、モンゴル国についてどういう知識があるか、といえば私自身恥ずかしいレベルだ。
人口は約328万人。首都はウランバートル、北はロシア、南は中国と接している内陸の国家。
今、記したいと思ったことは、アジアの歴史の中で、一段と際立つ大帝王だったチンギスカンの孫であるフビライ・ハンについてだ。
日本史の中で、外国から大々的に侵略されそうになったほとんどたった一国が「鎌倉時代(1192~1333)」に2度にわたって北九州をおそったモンゴル帝国(フビライ・ハンをトップとする国家で「元」という国名)だった。
しかしこの元寇(元の侵略)は日本のその後の歴史に大きな影響を与えることになった。このあたりのことをまとめておこう。
私がまだ教師駆け出しだった頃、日本史の中のヒーローの一人が源義経だったが、この人は兄の頼朝に追われ東北で最期を遂げるのだが、それはウソで本物の義経は蝦夷地に逃れ、さらに北のサハリンから大陸のモンゴルに渡りジンギスカンになったという話がすごく面白く、記憶に残っていた。
先日、白石一郎という作家の「蒙古襲来」という長編小説を読んで、昔読んだその話を思い出した。
そんな私的小史はともかくとして、蒙古襲来に関係することを記しておこう。
モンゴルへ気持ち的に近づくことができるかも知れないと思っている。
モンゴル帝国建設の父は、いうまでもなくチンギス・ハン(成吉思汗と漢字でかくこともある)。この孫にあたるフビライ・ハンが主人公だ。ハン(汗)は王という意味。第五代皇帝(在位・1260~1294)。
彼は、1271年に国名を「大元」に改めた。そして、中国大陸を支配する漢族の王朝南を征服し「元」をつくり、この都(大都)を建設した。これが現在の首都北京。
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