「核にノー」と村上春樹さん

スペインでカタルーニャ賞を受けた村上春樹さんが、受賞スピーチで原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対してノーを叫び続けるべきだった」と語ったという。今日の夕刊やテレビのニュース番組で報じている。
村上さんは、広島・長崎への原爆投下に次ぐ二度目の核の被害と言っていた。私はかつて(3月31日)「広島、長崎、第五福竜丸に次ぐ4度目の被害ではないか」と記した。
村上さんは、原発の問題を考える際に必ずで出てくる問題は「効率」だという。原子力発電は効率がよい発電なのだという声は、「危険性」の声よりもはるかに大きく聞かされてきた。

夜の「報道ステーション」で、コメンテーターの寺島さんが「核の平和利用というテーマを最大限探求することに日本の役割があるのでは」という意味のことを言っていたが、古館さんは村上さんの意見を尊重しながら、寺島さんの見解に疑問を表明していた。
寺島意見などが、原発の問題点を指摘しながらも、その効率を肯定する代表的なものだろう。この見解は正しいのだろうか。私は、原発を止める方向が正しいにしてもいろいろな隘路をどうするか難しい、というようなあいまいな態度をとってきたが、日本の行く方向として原発廃止路線を国家戦略として進めることが必要なのではないか、という気持ちに固まりつつある。

効率論という、危険性論を原発有効論と比較して後者を評価することに意義をもつ単純な意見は、福島での「危険性」を認めなければならない無数の根拠を冷静に見たときに、誤謬であることに気づきだしてきた。このような日本人の気づきに村上春樹さんのスペインでの演説は大きなきっかけになったのではないかと思う。

そもそも「原発」という「核エネルギー」と別物のようなとらえ方が問題かも知れない。「原発」ではなく「核発電」という語の方が適切だと思うのだがどうだろう。

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