来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「教育人間塾」懇親会のこと
今回の「教育人間塾」例会は矯正教育にたずさわっている村山紀昭先生の教え子の実際の話だった。非行少年の「エリート」といっていい少年たちと正面から向き合ったときに、彼らの心を解放することができると。このことは教育の本質でもあろう。私たちもまた「ふれ合いの機微」に教育の本質があるのではないか、といった意味のことを繰り返し言ってきた。立場は違っていても共通するところがあることを感じた。
例会終了後、いつもの懇親会。多少酔っていたこともあったが、今回は「教育論議」が印象的だった。相手は回りに座っていたひとたちだったが、最近の子どもたちは「競争がない。だから学力を低下させている」云々という意見があり、私は「教育における競争は適切ではない。今はまさに学力競争オンリーになっていないか。かつて今ほど競争がなかったときの方が子どもの学力は高かった」等と言ったのだが、何分「学力が高かった」か「下がっている」かもあまり論証もなかったし、そもそも競争がどういう形で今あるのか、もはっきりしない。私は「今は学力という単一の尺度での競争が強いのでは」と思うのだが、相手の人たちは昔(70年代ころまで?)の方が競争があったという。
そんなこんなの対立点もあいまいな議論であったが、「学力問題」を議論し合うことは有効という思いがした。
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