「肩書きがとれて夫の割烹着」

わが妻はこの1年余川柳にこっている。ときどき新聞や川柳雑誌に投稿して喜んでいる。

最近詠んだ句がこれ。
「肩書がとれて夫の割烹着」(しんぶん赤旗3月8日)
「割烹着(かっぽうぎ)」なんていうのは、今や死語になりつつあるのではないか、と勝手に思っているのだが、その昔わが母たちは日常的にこれを身につけて働いていた。今ではエプロン。

私もボチボチ学校の仕事から足をあらって家事労働にかかわらなければなるまい、と忖度している段階でまだまだ割烹着でもエプロンでもないのだが、それを「前倒し」して詠んでくれたのはある種の督励(ハッパ掛け)なのだろう。

そしてこの句に添えられたコメントがこれだ。
「現役を退いても好奇心と行動力は衰えず、今度は料理にチャレンジ。過去の栄光にこだわらない姿勢が爽やか」。
上のハッパ掛けをさらに大げさにしてくれている。



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