31年前の「殺人犯人」の再審決定

こういうことがまだあったのか、と悲惨な思いが重なる。

今日のニュース。1985年1月に熊本県で男性が殺害された。この人の友人だった宮田さんが取り調べの中で殺害を自白した。逮捕はその後だった。宮田さんは殺人罪に問われ、三回の裁判で殺人罪の責任を問われ懲役13年が確定し服役した。それを終えた宮田さんは99年に出所したが、弁護団は再審を要求し、熊本地裁は今日「自白の重要部分に疑義がある」として裁判のやり直しを決めた。

宮田さんは一旦は犯行を自白したが、第一審からずっと無罪を主張してきた。しかし最高裁にいたるまで有罪が認定されていたというからオドロキ。それは今日の判決で「証拠とされていたものをあらためて調べてみると客観的に有罪とすることはできない」とされた。

こういういいかげんな裁判が戦後45年もすぎた1990年に最高裁で行われていたのだ。
戦後数年間にいろいろな「事件」が米軍の占領下で起こっていた。例えば松川事件、三鷹事件、下山事件、三鷹事件、などなど。これらの黒い霧事件が今に至るまで曖昧なところがあるはずだ。そしてこれらの事件で最も多くの死者を出したのは松川事件ではないかと記憶しているが、この松川事件で大きな問題になったのが、「自白」だった。

すでに日本国憲法で第38条で「自白だけで有罪とされない」と決められているのだが、ほんのちょっとの証拠を検察官はデッチあげてこれを裁判官は自白以外の証拠として決めつけていた。

この種の類似の裁判が上の宮田さん有罪とした判決だったのではないかと思う。最高裁判決後25年も経ってようやく再審決定というのだから、繰り返しだがなんとも言えない悲しいことだ。

これからも裁判には注意をしていかなかればならないのか、とうんざりする。
宮田さんは83歳。今病気(認知症)と闘っているという。元気であるうちに無罪を知らせてあげたいとこの離れた地からも願っている。

真の犯人はどうなっているのか、そんなこともまた気になる。

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