来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
守らなければならない「言論の自由」とは
パリでの反テロの大衆行動は150万人とも200万人とも言われる。ヨーロッパ各国の首脳も参加し、日本の首相も連帯のメッセージを寄せた。
「絶対にテロには屈しない」「近代民主主義の基本中の基本が言論の自由だ」といった叫びがなされている。これも正しい。
しかしどうも今イチ気になることがある。パリの新聞が掲載したイスラムへの批判というのか皮肉というのか、その記事がムハンマドを嘲笑しているようなものではなかったのか。少なくともそういうニュアンスがある記事だったように思う。だからといってこの新聞社を襲い殺戮をおこなっていいことは絶対にない。そんなことは分かりすぎるほど分かっている。それにもかかわらず…?が頭をよぎる。
守らなければならない言論の自由は、他人を嘲笑したり無原則的に攻撃してもいい自由ではないはずだ。
フランスでは「風刺」は文化の一面だという。きっかけになった記事もイスラムへの「風刺」だった。風刺に対してテロで抗議するのは許されないことはいうまでもない。
だからテロへの厳正な批判と抗議と摘発は行われるべきだが、イスラム教徒が心の証明にしているムハンマドを嘲笑するような記事を載せる新聞社への適正な批判と指摘はキリスト教徒であっても行うべきではないのか。そういう基本がなければ宗教戦争を招いてしまう、そういう懸念と心配があるのだがどうだろうか。
イスラム教とキリスト教あるいはユダヤ教の対立は20世紀初頭からのパレスティナ問題と関係していることも忘れてはいけないのでは。
パレスティナ地方を、強権的に支配してきたヨーロッパのキリスト教徒の態度についても総合的に考えていくことも重要ではないか、などとも思ったのだが…。
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