「人がいやがることをしてはいけません」

倫理の時間、「子どものころから親やまわりの大人からよく言われてきたことはあるか」と聞いたら、「人がいやがることをしてはいけない」という趣旨の言葉が返ってきた。よく分かる。自分も子どもや孫たちにいうことの一つだ。

この言葉に関連させて、今の倫理の授業で行うテーマは「儒教思想は日本にどう受けいれられたか」ということなので、生徒の答えた上のテーゼは、論語の中で有名な「恕」の説明を孔子が答えて言う「己(おのれ)の欲せざる所は、人に施すことなかれ」の日本語の説明だ、ということで補った。

孔子が質問されたことは、人が生涯にわたって行うべきことを一文字で言い表すならばどういう言葉が適切でしょうか、ということであった。これに対して孔子は「恕」だ、という。この説明を「己の…」といって説明した。

儒教の思想が日本人の日常生活に関わっている、というのが倫理教科書の趣旨なのだが、これなどそういうことの一例と言えるかも知れない。
「人がやって欲しいことを積極的に行うことのできる人になりなさい」とか「世の中のためになることを考えて行動できる人であって欲しい」という積極的なテーゼよりも、まず「マイナスになることはするな」という消極的な内容のテーゼになっているのが印象的である。
日本国民は、明治以来「国のために」とか「天皇のために」と、教育される期間がほぼ半分もあった。だからあまり「○○のために」というよりは、「他人にいやがられないように」と教えられる方が適当なのかも知れない、とも思ったのだが、どうだろう。

最近のいじめ問題に応用すると、まさに孔子の言葉はあてはまる。「自分がされたくないことを他人にしてはいけない」。いやがらせ、いじめなど、自分に当てはめたらどうなるか、当然にも「受けたくない」だろう。であれば他人に対していやがらせやいじめのようなことを絶対にしてはいけない、これは今から2000数百年前に中国の哲学者が教えていることだ、と。

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