来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
野口英世のこと(渡辺淳一著「遠き落日」の紹介)(1)
数日前にこのことについて少し触れた。今「遠き落日」という長編小説はまだ3分の1程度までしか読んでいないのだが、内容の紹介を兼ねて、野口英世についての私なりの印象を記してみたい。
今の人たちは千円札関連で野口英世を知っているだろう。しかし多少年輩の人なら、日本が生んだ優れた学者、世界で活躍した医師、子どもの頃からの苦労と努力の末、世界を舞台として活躍した医学界の偉人、といった枠組みで認識しているのではないだろうか。
この認識は問題ないのだが、上の小説を読んでいくと、彼の生い立ちや性格、生き方などが描かれているのだが、どうもこれまでのイミージだけでは野口英世に関連するロマンが一面的かも知れない、という気持ちになる。それは、おおよそ次のとおりだ。
野口は25歳から死に至る53歳までの、人生の最盛期を外国で暮らしている。
英世の生まれた家は貧しく、しかしその父は家族を思う意欲も力もなく、母シカは必死で働く。
明治5年、20歳のシカは隣村の小檜山惣平の長男佐代助を婿に迎えた。この男は頼りにならない男。一日中酒浸り。もらったカネはすぐ酒に使う。
貧窮の中、明治7年に長女イヌ(戌年生まれだったからこの名がついたのだとか)が生まれ、2年後の明治9年11月9日野口英世が生まれた。シカ24歳。父佐代助は36歳。英世は当初清作。明治32年10月21日、英世に。
イヌと清作、怠け者の母、金を持ち出すだけの夫をもち、シカの苦労は深まるばかり。ひどいウチだった。幽鬼がでるような屋敷。しかしシカは一人で頑張った。他人の田で働き、小エビをとって売る。「人わざでない」と。シカの心のよりどころは観音様。
明治12年、清作4歳の春。シカは家の近くで異様な鳴き声を聞く。囲炉裏のなかに手を差し込んだまま泣いている清作だった。どうすればいいのか、シカは分からない。ひたすら観音様をとなえる。
1か月もすると痛みはとれたが、清作の左手は親指と中指が掌面に癒着し、他の指もそれぞれ内側に曲がった形で縮んでしまった。子どもたちのあだ名、「手ん棒」。病院に行くカネなどない。当時の医術ではどうにもならなかったのでは。
今の人たちは千円札関連で野口英世を知っているだろう。しかし多少年輩の人なら、日本が生んだ優れた学者、世界で活躍した医師、子どもの頃からの苦労と努力の末、世界を舞台として活躍した医学界の偉人、といった枠組みで認識しているのではないだろうか。
この認識は問題ないのだが、上の小説を読んでいくと、彼の生い立ちや性格、生き方などが描かれているのだが、どうもこれまでのイミージだけでは野口英世に関連するロマンが一面的かも知れない、という気持ちになる。それは、おおよそ次のとおりだ。
野口は25歳から死に至る53歳までの、人生の最盛期を外国で暮らしている。
英世の生まれた家は貧しく、しかしその父は家族を思う意欲も力もなく、母シカは必死で働く。
明治5年、20歳のシカは隣村の小檜山惣平の長男佐代助を婿に迎えた。この男は頼りにならない男。一日中酒浸り。もらったカネはすぐ酒に使う。
貧窮の中、明治7年に長女イヌ(戌年生まれだったからこの名がついたのだとか)が生まれ、2年後の明治9年11月9日野口英世が生まれた。シカ24歳。父佐代助は36歳。英世は当初清作。明治32年10月21日、英世に。
イヌと清作、怠け者の母、金を持ち出すだけの夫をもち、シカの苦労は深まるばかり。ひどいウチだった。幽鬼がでるような屋敷。しかしシカは一人で頑張った。他人の田で働き、小エビをとって売る。「人わざでない」と。シカの心のよりどころは観音様。
明治12年、清作4歳の春。シカは家の近くで異様な鳴き声を聞く。囲炉裏のなかに手を差し込んだまま泣いている清作だった。どうすればいいのか、シカは分からない。ひたすら観音様をとなえる。
1か月もすると痛みはとれたが、清作の左手は親指と中指が掌面に癒着し、他の指もそれぞれ内側に曲がった形で縮んでしまった。子どもたちのあだ名、「手ん棒」。病院に行くカネなどない。当時の医術ではどうにもならなかったのでは。
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