来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
坂本龍馬のように…
鳩山邦夫元総務相が自民党を離党した。その際、「与謝野馨元財務相、舛添要一前厚生労働相を結び付ける幕末の坂本龍馬のような接着剤的なことができたら本望だ」という希望をもっていたとのこと。
つまり、これまで対立していた薩摩と長州の両藩の協力体制をつくって、古い支配体制である幕府を倒し、新しい政治体制をつくろうという歴史にあやかろうというわけである。与謝野氏と桝添氏が薩摩と長州で、このお二人が手を組めば、古い体制である(民主党政権)を打ち倒すことができるという目標である。
龍馬が描いた新しい政治は、天皇親政である。これは、彼のマニフェストともいうべき「船中八策」にある。ただこれが成ったのは1867年6月のころであり、薩長同盟は66年1月のことだ。龍馬が薩長両藩の同盟を命がけでめざしたのは、やはり幕府を倒すことであったようだが、直接的には幕府による長州征伐と長州討滅を阻止することが目的だった。しかし、いずれにせよ、薩長同盟が成らなかったなら明治維新はかなり遅れたにちがいない。そういう意味で、坂本龍馬の役割はきわめて重要であったことはいうまでもない。
このたびの鳩山邦夫さんのケースは、坂本龍馬の役割をめざすというのはご自身のテーマを確認したのだろうが、どう考えても龍馬的な革新の意味はあるとは思えない。そもそも与謝野さんと桝添さんが、対立し合っている薩長両藩にあたるとも思えないし、この二人が協力し合うと日本の夜明けに当たるような一大革新事業が展開されるとも思えない。
どこかの仲介役的なしごとをもって「坂本龍馬の役割」というには当の龍馬に失礼なのではないだろか。とはいうものの、鳩山邦夫さんは思い切って自民党を飛び出したと感じ入る。何度目かの離党だろうが、いずれ落ち着く所に落ち着くのだろう。落ち着いた先に「明治維新」があるのだろうか。
つまり、これまで対立していた薩摩と長州の両藩の協力体制をつくって、古い支配体制である幕府を倒し、新しい政治体制をつくろうという歴史にあやかろうというわけである。与謝野氏と桝添氏が薩摩と長州で、このお二人が手を組めば、古い体制である(民主党政権)を打ち倒すことができるという目標である。
龍馬が描いた新しい政治は、天皇親政である。これは、彼のマニフェストともいうべき「船中八策」にある。ただこれが成ったのは1867年6月のころであり、薩長同盟は66年1月のことだ。龍馬が薩長両藩の同盟を命がけでめざしたのは、やはり幕府を倒すことであったようだが、直接的には幕府による長州征伐と長州討滅を阻止することが目的だった。しかし、いずれにせよ、薩長同盟が成らなかったなら明治維新はかなり遅れたにちがいない。そういう意味で、坂本龍馬の役割はきわめて重要であったことはいうまでもない。
このたびの鳩山邦夫さんのケースは、坂本龍馬の役割をめざすというのはご自身のテーマを確認したのだろうが、どう考えても龍馬的な革新の意味はあるとは思えない。そもそも与謝野さんと桝添さんが、対立し合っている薩長両藩にあたるとも思えないし、この二人が協力し合うと日本の夜明けに当たるような一大革新事業が展開されるとも思えない。
どこかの仲介役的なしごとをもって「坂本龍馬の役割」というには当の龍馬に失礼なのではないだろか。とはいうものの、鳩山邦夫さんは思い切って自民党を飛び出したと感じ入る。何度目かの離党だろうが、いずれ落ち着く所に落ち着くのだろう。落ち着いた先に「明治維新」があるのだろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 「『北星余市... | 花育フラワー... » |