来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
憲法記念日
今日5月3日は、現憲法が施行されることになった日(1947(昭和22)年)である。1946(昭和21)年11月3日に公布されている。半年間、国民は新憲法をしっかり勉強しようという趣旨だったのだろう。
私は田舎の小学校3年、4年のときだった。憲法についてどう勉強したか、はっきり記憶はないのだが、「日本はもう絶対に戦争しないことを決めたのだ」というようなことを先生は強調した、かすかな記憶だ。
当時の私の小学校は1クラスが30人程度(昭和21年頃から生徒数は増えた。都会ではメシが食えないということでツテを求めて田舎に移った子どもたちがクラスで何人もいた)だったが、半数以上は戦争の被害を受けていた。肉親の誰かが戦争で死んでいる、ウチが爆撃でなくなった、とか。
だから、新しい憲法で戦争は絶対にしないことを決めた、ということはきわめて重要なことだった。だから、新しい憲法(子どものアタマでは「憲法」というより日本の新しい姿だった)が戦争放棄を決めたということは当然の認識だったのではないだろうか。だから、私を含めて多くの子どもたちも、「平和日本」は戦後の当然の姿だった。
しかし1950(昭和25)年の6月末から隣の朝鮮で戦争が始まったことを知って、田舎の子どもたちも、戦争の被害を受けることになるかもしれない、みたいなことを心配しあった記憶がある。
それから70余年、日本は直接の戦争の当事国になっていない。これは重要なことだ。明治以来、10年の間隔をおかず戦争をしてきたのだから、半世紀以上にわたって戦争を体験していないことの意味を考えたいものだ、と痛感している。小学校1年から2年の8月までどれだけ怖ろしい戦争を想定したか、今もって忘れられない。私を含めて、何人ものクラスメートたちが戦没者遺族になったのだから。
私は田舎の小学校3年、4年のときだった。憲法についてどう勉強したか、はっきり記憶はないのだが、「日本はもう絶対に戦争しないことを決めたのだ」というようなことを先生は強調した、かすかな記憶だ。
当時の私の小学校は1クラスが30人程度(昭和21年頃から生徒数は増えた。都会ではメシが食えないということでツテを求めて田舎に移った子どもたちがクラスで何人もいた)だったが、半数以上は戦争の被害を受けていた。肉親の誰かが戦争で死んでいる、ウチが爆撃でなくなった、とか。
だから、新しい憲法で戦争は絶対にしないことを決めた、ということはきわめて重要なことだった。だから、新しい憲法(子どものアタマでは「憲法」というより日本の新しい姿だった)が戦争放棄を決めたということは当然の認識だったのではないだろうか。だから、私を含めて多くの子どもたちも、「平和日本」は戦後の当然の姿だった。
しかし1950(昭和25)年の6月末から隣の朝鮮で戦争が始まったことを知って、田舎の子どもたちも、戦争の被害を受けることになるかもしれない、みたいなことを心配しあった記憶がある。
それから70余年、日本は直接の戦争の当事国になっていない。これは重要なことだ。明治以来、10年の間隔をおかず戦争をしてきたのだから、半世紀以上にわたって戦争を体験していないことの意味を考えたいものだ、と痛感している。小学校1年から2年の8月までどれだけ怖ろしい戦争を想定したか、今もって忘れられない。私を含めて、何人ものクラスメートたちが戦没者遺族になったのだから。
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