日本臨床教育学会1

今年スタートした標記の学会がある。この会の第1回研究大会が今日北海道教育大札幌校で開催された。今日明日の開催。
この第1日目に参加した。道教育大札幌校に来たのは何年ぶりだろうか。そんなことがかすかに頭をかすめる。何十年ぶりであった大学同期のK氏に会った。いろいろ旧知の方がたに会うこともできた。そして何よりも朝9時半から懇親会の終わり午後8時半まで勉強になったしつき合いもできたし、という思いがする。そして臨床教育学という必ずしも聞き慣れない言葉がもつ意味の一端を理解することができた。あくまでも一端であるが。これはこの学会の会長田中孝彦氏のまとめである。

この25年間語りつくりあげた思想であるという。それは3点。第一は、子どもたちの生活と生活史の語りを徹底して聴く(narrative based )、第二は、地域・生活圏の再建・創造の試みを支える(community based)、第三は、子どもたちの「自己」の形成の過程に伴走する(self focused」。

そして臨床教育学の研究スタイルについて、その第一は、第1回大会の設計として3点。領域を超えた共同、実践者と研究者の共同、問題関心を共有する世界の動きとの共同。この第二は、これからの学会の日常的な研究活動の進め方について3点。地域研究の具体化、5つの課題研究の日常化、時間をかけ腰をすえて、共同思考のための言葉と方法を紡ぎだす。
(5つの課題:子ども理解、地域からの共同、専門性の問い直し、教師教育改革、臨床教育学の方法と概念)

以上についての感想であるが、私が一番印象的だったのは、やはり「実践者と研究者の共同」である。これは懇親会で誰かがいっていたが、「学会」としては画期的といえるかも知れない。しかし同時に、ある種の心配もある。理念はいいが、この「共同」が永続的に前進する条件は何かがまだはっきりしない。教育学の発展の契機になる要素は大きいが、実践者と研究者の肉離れを起こして頓挫する危険性だったあるのでは、という心配である。これをどうマネージメントするか、が指導部に突きつけられるだろう。
今一つは、田中氏があげた「思想」であるが、横文字で書くと新規に見えるが、例えば「語り」の尊重ということも、戦前の日本には生活綴り方運動の伝統があったはずだ。これはまさに戦前の良心的教師たちの命がけの取組だった。これらをきちんと継承していく必要があるのでは、という思いである。「思想」の第二にいう地域との関わりを重視することについて、私たちも含めて多くの積極的な学校と教師たちがいかに地域との関係、子どもの教育を支える父母たちとの関係を大事にしていることを正当に評価することが前提ではないのか、という思いである。「思想」の第三にいう「自己形成に伴走する」という言葉が新しいのかも知れないが、端的にいえば「教育」という仕事の当たり前のことだと思う。子どもの自立・成長の力を支えるということである。

少々の不満を持ちながらも日本臨床教育学会がスタートした。いろいろと学ぶことが少なくないという気がしている。明日は、私も報告当番の一人。「語り」あうこと(narrative based)や、父母・地域との「学の共同体」構想(community based)は私たちの学園のそもそもの成り立ちだったことを念頭において話したい。

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