「情けは人のためならず」

このことわざの理解がある種の「常識」の有無を評価するバロメーターになっているきらいがあるらしい。
昨日、うちの娘との会話である。
「これは他人に情けをかけてはならない、という意味だよね」と娘。
「反対だ。他人への情けは結局は自分にとってプラスになる、という意味だ」と私。
「どこにそういう意味があるの?」と娘。
「人を助けると、助けられた人は苦しい世の中をしっかり生きていく力をつけることができないのじゃない? 渡る世間は鬼ばかり、なんだから」と娘。

もともとこのことわざは私の理解で行われてきた。だから私たち年代の人間にとって、他人を助けることは自分を助けることにつながるのだ、それが人間の世だ、よく言われる「絆」の説明でもあった、と思っていた。
しかし言われてみるとこのことわざには、そういう人の世のデリカシーを示す意味はあるのだろうか、と妙に疑問になりだした。「情けは人のためにならない、人間は独立独歩なんだ、そのことをしっかり心に刻むことだ」といった意味で言えば、このことわざは一種の人生訓である。

調べてみると、「情けは人のためならず、己(おの)がため」という言い方のようだ。後段が省略されていた。だから「情け…」は文字から言えば「他人に同情してはいけない」というような意味になる。多くの人が後段があることを「自明のこと」として言っているに過ぎないのではないか。だからこの文字に忠実になろうとすれば、「人のためにならない」理解の方が正しい(本当?)。
あまり「知ったかぶり」しないで素直な理解をして、いろいろ調べてみる方が人間らしいかも。

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